書評: 平野栄次著『富士信仰と富士講〈平野栄次著作集1〉』
掲載誌:『歴史研究』2005年5月号
推薦者:小川 博

 富士講の研究を岩科小一郎氏とともに推進された平野栄次氏(平成十一年二月十日逝去)が、岩科氏(平成九年十二月十四日逝去)の後を追うようになくなられたが、東京を中心とした富士講の研究成果が坂本要、岸本昌良、高達奈緒美の三氏によりまとめられられた。平野氏は日大病院の事務局長として勤務されるかたわら日大文理学部で民俗学を講せられ、品川区、北区、大田区、目黒区にて民俗の調査に尽力された。そして『民衆宗教史叢書16富士浅間信仰』(雄山閣 昭和六十二年六月刊)には岩科氏の依嘱で編者となられているし、東京都とその周辺の富士講の調査はくわしくおこなわれた。本書は巻頭の「富士信仰−その起源と文化」は平成十年十月二十三日に浅草寺における仏教文化講座の講演をまとめられた平野氏の富士講に関する最後の文章であり、岩科氏の業績を継承して平成十年五月に発足した富士信仰研究会の初代会長に推されたが、その会誌『富士信仰研究』(平成十二年五月刊 一号〜五号まで刊行中)にはざんねんながら執筆は頂けなかった。
 本書はカラーの富士曼荼羅三頁と各地の富士塚の写真が収められ、T・富士信仰の成立と展開の部には富士浅間信仰研究史の回顧と展望、富士信仰と曼荼羅、富士行者食行身禄の政治・社会批判、そして入定の背景、吉田御師の成立と近世におけるその活動、「菊田日記」から見た吉田御師と富士講、明治前期における富士講の糾合と教派神道の活動の章が、U・富士講と富士塚の部には、富士と民俗−富士塚をめぐって、大田区・品川区の富士講、品川富士山開きの行事−品川丸嘉講社、富士塚と胎内洞穴−目黒新富士遺跡をめぐって、山護講について、丸不二講と富士塚、清瀬富士の「火の花祭り」、武蔵野の富士講の章が、V・高尾講と高尾山の部には、馬込の高尾講のこと、高尾山火渡り祭、都市化と信仰−東京都南部地域の場合の章からなっている。平野氏はまだ都市民俗学が現在のように認められない状態の中で東京二十三区のうち江戸・東京の郊外地帯の民俗にとりくまれた草分け的な存在であり、『大田区史資料編民俗』(東京都大田区 昭和五十八年刊)、『北区史民俗編1・2・3』(東京都北区 平成八年刊)の刊行の平野氏もすぐれた調査の下地があってのことであった。この富士講研究とともに大田区、品川区、目黒区、北区、墨田区、江東区、江戸川区の文化財研究にかかわっておられたことから、のこされた資料はかなり多量にあるといわれている。
 つづいて『江戸前の漁撈と海苔〈平野栄次著作集2〉』が刊行されることになっている。


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