書評: 巡礼研究会編『六十六部廻国巡礼の諸相』(巡礼論集二)
掲載誌:『日本歴史』684 (2005.5)
評者:須永 敬

 本書は、一九九八年十二月五日大阪狭山市で開催された「六十六部シンポジウム−廻国巡礼の発生とその変貌−」(主催巡礼研究会・六十六部シンポジウム実行委員会)における報告、および六十六部研究の成果、六十六部研究文献一覧をまとめたものである。巡礼研究会の前著である『巡礼研究の可能性』(巡礼論集一、岩田書院、二〇〇〇年)は、日本および海外の「巡礼研究」を広く取り上げ、考古・歴史・民俗などの学際的な視点からまとめられた一書であった。本書は研究対象を「六十六部廻国巡礼」に絞りつつも、前著同様の学際的視点を引き継いだものとなっている。
 本書巻頭の「六十六部シンポジウムについて」には、「領域内で完結してしまい、相互の十分な対話と連携を欠いてきた」従来の研究を反省し「各領域の六十六部研究の成果を広く共有財産とし、その到達点と今後の課題を確認して、六十六部研究をさらに新しい段階へと押し進めるべく」企画されたシンポジウムであったことが記されている。六十六部については、これまで考古・歴史・民俗・文学などの分野から断片的な報告が寄せられてはいるものの、その実態は依然として不明な点が多い。そのようななか、本書は「各地域・各地方で個別に仕事を進めてきた研究者たちが、六十六部に関してまず解明すべき大きな課題がどこにあるのか」を確認し「今後の連携のプラットホームを形成」する試みとして注目できる。
 本書の構成は次のとおりである。
 T 六十六部シンポジウム−廻国巡礼の発生とその変貌−
  六十六部回国納経の発生と展開     田代 孝
  六十六部聖・行者の廻国目的とおこない 藤田 定輿
  近世六部の組織性           小嶋 博巳
  民俗社会の六部伝承          川島 秀一
 U 研究論文・史料紹介
  六十六部を描く行列絵巻        小栗栖健治
  六十六部 中山作大夫の廻国修行日記  鈴木 宗朔
  近世阿波の藍商人 盛家の巡礼資料   長谷川賢二
  高野山の六十六部史料         日野西眞定
  六十六部研究文献一覧         小嶋博巳・田中智彦(編)
 田代報告は、中世に出現した六十六部聖の系譜と実像について、古代〜近世にわたる文献資料や遺物資料をもとに考察を行い、六十六部聖が古代の法華経を信仰する山岳修行者・聖の系譜を引くものであり、鎌倉時代前半にはその活動が社会的に定着していたことを示した。さらに中世から近世にかけての六十六部聖の巡拝社寺の変遷を表にまとめ、十六世紀には六十六カ国六十六カ所の巡拝社寺の固定化が進んでいたこと、および近世には諸国一宮への巡拝が目立っていることを指摘した。
 同じく文献資料と遺物資料の分析から六十六部聖・行者の身分や目的とその実践を考察した藤田報告は、六部が日本全国に法華経を奉納する目的のために、五〜九年という長期間に渡り廻国という難行を行ったことを示すとともに、「納経帳」の納経先の数を挙げ「六十六」という数はあくまで象徴的に用いられた数であったことを指摘した。また、経筒銘文に記された奉納者名の分析から、俗名の者はわずかで、大部分が聖や僧と思われる者であるとし、近世に至っても俗人ではない、宗教者や行者が廻国者の中心であったことを明らかにした。
 小嶋報告は、十七世紀末から十八世紀初頭にかけて、中世の廻国と近世の廻国との大きな画期があったことを指摘したうえで、文献資料・絵画資料などの分析から近世の六十六部廻国者たちの組織性について論じた。まず六部に関する随筆資料に登場する「渡世の六部」、廻国供養塔に刻まれた「助力者」の存在に注目し、六部の組織性と集団性、さらには「専業の六部」と「一般の廻国者」との関係性について指摘した。また、寛永寺や仁和寺の「御定目」を取り上げ、六十六部支配に関する研究の展望を示した。
 川島報告は、東北地方の民俗語彙としての〈六部〉に着目し、民俗社会や地域社会の側から見た六十六部について考察を行った。前半部では、村の外部からやって来た〈六部〉が村にもたらした物質資料、昔話、伝説、唱え言の事例を挙げ、特定の村人に呪的能力を授ける者としての〈六部〉像を民俗社会の側から描き出した。さらに後半では、「廻国供養碑」や「六部殺し伝承」などがさまざまな解釈のもと今日も民俗社会において伝承されていることを具体的事例から指摘した。「六部や彼らが供養した石碑が、民俗社会にどのように受け入れられたか」という視点から「六部自体の宗教と民俗宗教との二重構造と不整合、そのダイナミズムを理解」することの重要性を説く点には注目すべきであろう。
 また、紙数の都合上詳しく紹介できないのが残念であるが、Uの「研究論文・資料紹介」では絵巻・日記・図像・経典といった六十六部をめぐるさまざまな資料が取上げられ、考察がされている。なかでも、巻末の「六十六部研究文献一覧」は、六十六部について研究する際の情報源として貴重である。
 本書の特長は、各分野の研究者が、文書・遺物・伝承・図像といったさまざまな性格の資料を扱い、それらを六十六部研究者共有の知的資源として提供・活用しょうという意欲的な取組みにあるように思われる。とかく「領域内で完結」した研究のすり合わせとなりがちな「学際」研究の多いなか、本書の著者たちはそれぞれが「学際」的な視野をもって六十六部の資料群に向き合うという点で、他の「学際」研究とは異なっている。これは本書のもととなった六十六部シンポジウムの開催意図である、各領域・各地方における研究者の「連携のプラットホーム」の構築という目標がもたらした、ひとつの成果であると考えられる。欲を言えば、その点について議論が交わされたであろうシンポジウムの全体討議が収録(あるいは紹介)されていれば、本書に収録された各論文の特長はより鮮明なものとなったように思われる。
 文書資料・物質資料・民俗資料の特徴を踏まえたうえで、これらの資料をどう有機的に結びつけ、新たな歴史像を明らかにしていくのかという課題について、解答を提供することは容易なことではない。しかし本書では、六十六部というテーマに基づいて、上記の問題意識を共有した論者による議論が展開されたことにより、上記の問いに対するひとつの答えを提示するものになったと思われる。そのような意味で本書は、六十六部に関心を持つ研究者のみならず、歴史・考古・民俗の学際研究の道を探る読者にも多くの研究上の示唆を与えてくれるであろう。
 最後になったが、本シンポジウムの「仕掛け人」の一人であり、六十六部をはじめ、今後の学際的な宗教史研究を担うものと目されていた田中智彦氏が、本書の刊行直前に若くして亡くなられたことは残念である。昨年、田中氏の著作は『聖地を巡る人と道』(岩田書院、二〇〇四年)としてまとめられ公刊された。本書とあわせて紹介したい。

(すなが・たかし 岐阜市立女子短期大学国際文化学科講師)


詳細へ 注文へ 戻る