鈴木哲雄著『社会史と歴史教育』
評者・戸川 点 掲載誌・人民の歴史学139(99.3)


本書は優れた中世史家であり、千葉県の高等学校で歴史教育に携わっている鈴木哲雄氏の歴史教育に関する論文集である。鈴木氏の教育実践はその中世史研究と同様、高い評価を与えられているものである。評者も鈴木氏同様教育現場に身を置くものだが、氏の論文からはつねに授業改善のヒントや刺激をいただいている。その鈴木氏の歴史教育に関する論文がこうしてまとまって読めるようになったことをまずは喜びたいと思う。
さて、本書の構成は以下のようになっている。
(目次省略)
第六章が完全な新稿である他は既発表論文の再録あるいは既発表論文をもとにした新稿である。大づかみに紹介すれば、本書は氏の教育実践を分析した論文と授業内容を紹介する教材からなり、序章と終章とで中世史を中心とするカリキュラムや歴史教育のありようについて考察を加えたものといえよう。さて、以下、各章毎に簡単に内容を紹介し、あわせてコメントも述べていきたいと思う。

序章「社会史と歴史教育」は一九八四年に書かれたものである。一九八四年の段階でなぜ社会史が注目されるに至ったのか、中世史研究の流れを総括し、歴史教育の側から社会史の成果を整理している。鈴木氏によれば社会史が歴史教育に与えた成果は@絵画史料や民俗資料など史料(教材)を豊富にした、A中世民衆の日常生活が具体的に明らかになった、B『無縁』の原理や「逃散の作法」、一揆などの研究が進展し、非日常的側面も含めた中世民衆像が豊かになった、C御成敗式目四二条が注目されることにより新たな中世社会論を提示することが可能になった、などである。氏は歴史教育の課題を、歴史学の成果を日常生活に根ざしたものとする場を提供することであるというが、そのための方法として社会史の成果に期待を寄せているのである。
氏の指摘されるとおり社会史の成果を取り入れることによって授業が生徒の身近なものになることは間違いないだろう。鈴木氏の授業実践の最大の特徴は良質の歴史学の成果を生徒が興味を持つ形で(あるいはわかりやすい形で)示す点にあると評者は受け取っているが、そうであるからこそ氏は社会史の成果に期待しているのである。そのこと自体は当然のことであるが、しかしそれならば本書に収録するにあたってはその後の社会史の展開についてももう少し言及が欲しかったように思う。
絵画資科に関する研究は現在でも成果を生んでいるが、本章が書かれたころ盛んだった心性史などの分野は現在では「下火」になっているように思う。社会史は史料の豊富化は進めたが、氏が期待したような新たな中世社会論を提示するには至らなかったということもできるかもしれない。序章の初出時と現在とでは学界における社会史の位置づけもずいぶん異なっているように思うのだが、こうしたその後の動向も踏まえてさらなる積極的な提言を聞きたいところである。

第T部の第一章から第三章は中世社会を基礎づける荘園や荘園公領制をどう教材化するかに取り組んだものである。荘園が教師にとって教えにくく、生徒にとってわかりにくいものであることは誰もが実感していることだろう。この実践はこうした課題を克服しようとしたものであり、雑誌発表時に大きな反響を呼んだものである。
第一章は摂関期の荘園と中世荘園の違いをはっきりさせて、荘園公領制を理解させようとした氏の実践とその分析である。氏は本章で小山靖憲氏の提言(「古代荘園から中世荘園へ」『歴史地理教育』三二九)を受けて、摂関期を免田型荘園の時代、中世を領域型荘園の時代と捉える。そしてその両者の差異を明確にさせるため、免田型荘園の典型として越後国石井荘を、領域型荘園の典型として紀伊国駐c荘を取り上げる。
石井荘については絵図が存在しないため、氏が作成した想定図を利用しながら摂関期の荘園が免田の集合体にすぎなかったこと、田堵は荘公を兼作する存在であったことなどをつかませていく。一方、*田荘の方は著名な絵図(この絵図は大抵の教科書に掲載されている)の読みとりを行わせ、領域型荘園の実態に迫っていくというものである。
第二章は第一章の実践に寄せられた批判に答えながら、授業編成を組み替えた報告である。そこでは「国司の地方支配と富豪百姓」などがテーマ学習として設定され、摂関期の公田支配の授業も位置づけられている。その上で先の石井荘の「摂関期の公田と荘田」の授業が行われる。そしてさらに新たな史料として山城国玉井荘住人等解が取り上げられ、用水確保を目指して田堵らの住人結合が生まれたことを示していく。その後、「荘園公領制の成立」の授業を径て鈴木哲雄著『社会史と歴史教育』
評者・戸川 点 掲載誌・人民の歴史学139(99.3)

本書は優れた中世史家であり、千葉県の高等学校で歴史教育に携わっている鈴木哲雄氏の歴史教育に関する論文集である。鈴木氏の教育実践はその中世史研究と同様、高い評価を与えられているものである。評者も鈴木氏同様教育現場に身を置くものだが、氏の論文からはつねに授業改善のヒントや刺激をいただいている。その鈴木氏の歴史教育に関する論文がこうしてまとまって読めるようになったことをまずは喜びたいと思う。
さて、本書の構成は以下のようになっている。
(目次省略)
第六章が完全な新稿である他は既発表論文の再録あるいは既発表論文をもとにした新稿である。大づかみに紹介すれば、本書は氏の教育実践を分析した論文と授業内容を紹介する教材からなり、序章と終章とで中世史を中心とするカリキュラムや歴史教育のありようについて考察を加えたものといえよう。さて、以下、各章毎に簡単に内容を紹介し、あわせてコメントも述べていきたいと思う。

序章「社会史と歴史教育」は一九八四年に書かれたものである。一九八四年の段階でなぜ社会史が注目されるに至ったのか、中世史研究の流れを総括し、歴史教育の側から社会史の成果を整理している。鈴木氏によれば社会史が歴史教育に与えた成果は@絵画史料や民俗資料など史料(教材)を豊富にした、A中世民衆の日常生活が具体的に明らかになった、B『無縁』の原理や「逃散の作法」、一揆などの研究が進展し、非日常的側面も含めた中世民衆像が豊かになった、C御成敗式目四二条が注目されることにより新たな中世社会論を提示することが可能になった、などである。氏は歴史教育の課題を、歴史学の成果を日常生活に根ざしたものとする場を提供することであるというが、そのための方法として社会史の成果に期待を寄せているのである。
氏の指摘されるとおり社会史の成果を取り入れることによって授業が生徒の身近なものになることは間違いないだろう。鈴木氏の授業実践の最大の特徴は良質の歴史学の成果を生徒が興味を持つ形で(あるいはわかりやすい形で)示す点にあると評者は受け取っているが、そうであるからこそ氏は社会史の成果に期待しているのである。そのこと自体は当然のことであるが、しかしそれならば本書に収録するにあたってはその後の社会史の展開についてももう少し言及が欲しかったように思う。
絵画資科に関する研究は現在でも成果を生んでいるが、本章が書かれたころ盛んだった心性史などの分野は現在では「下火」になっているように思う。社会史は史料の豊富化は進めたが、氏が期待したような新たな中世社会論を提示するには至らなかったということもできるかもしれない。序章の初出時と現在とでは学界における社会史の位置づけもずいぶん異なっているように思うのだが、こうしたその後の動向も踏まえてさらなる積極的な提言を聞きたいところである。

第T部の第一章から第三章は中世社会を基礎づける荘園や荘園公領制をどう教材化するかに取り組んだものである。荘園が教師にとって教えにくく、生徒にとってわかりにくいものであることは誰もが実感していることだろう。この実践はこうした課題を克服しようとしたものであり、雑誌発表時に大きな反響を呼んだものである。
第一章は摂関期の荘園と中世荘園の違いをはっきりさせて、荘園公領制を理解させようとした氏の実践とその分析である。氏は本章で小山靖憲氏の提言(「古代荘園から中世荘園へ」『歴史地理教育』三二九)を受けて、摂関期を免田型荘園の時代、中世を領域型荘園の時代と捉える。そしてその両者の差異を明確にさせるため、免田型荘園の典型として越後国石井荘を、領域型荘園の典型として紀伊国駐c荘を取り上げる。
石井荘については絵図が存在しないため、氏が作成した想定図を利用しながら摂関期の荘園が免田の集合体にすぎなかったこと、田堵は荘公を兼作する存在であったことなどをつかませていく。一方、駐c荘の方は著名な絵図(この絵図は大抵の教科書に掲載されている)の読みとりを行わせ、領域型荘園の実態に迫っていくというものである。
第二章は第一章の実践に寄せられた批判に答えながら、授業編成を組み替えた報告である。そこでは「国司の地方支配と富豪百姓」などがテーマ学習として設定され、摂関期の公田支配の授業も位置づけられている。その上で先の石井荘の「摂関期の公田と荘田」の授業が行われる。そしてさらに新たな史料として山城国玉井荘住人等解が取り上げられ、用水確保を目指して田堵らの住人結合が生まれたことを示していく。その後、「荘園公領制の成立」の授業を径て駐c荘絵図を読む実践へとつながっていく。
第一章の実践では何を読みとっていくのかやや曖昧であった駐c荘絵図の読みとりがここでは玉井荘の住民結合に関する学習を経ることによって中世村落の実態を読みとるという明確な位置づけを獲得しており、より完成度が高まったといえよう。
第三章は上述の第一章、第二章の実践報告、及びそれに寄せられた加藤公明、今野日出晴、木村茂光氏らの批判に答え、再度鈴木氏の授業構成を示したものである。本章を読むことによって氏の授業の全体像およびねらいが明確になる。
さて、このように第T部の三本の論文は批判を受けながら氏が組み替えた授業実践の報告である。その都度の氏の意図や工夫が示されており、日々教師がどれほど苦労をして授業を組み立て、組み替えているかがよくわかるだろう。
この第T部の実践の特徴は石井荘の想定図と駐c荘絵図を用いて、対比させていることだろう。この二つの図によって生徒は具体的な荘園のイメージを描くことができ、その結果、荘園は広い土地(領域型荘園)だけではなく、免田型荘園もあること、さらには摂関期と中世の荘園の違いや社会の仕組みの違いを認識していくことになる。また、この二つの図をつなぐ史料、免田型荘園から領域型荘園への変化を説明する史料として用意された玉井荘住人等解は中世成立期の民衆の力強さを鮮烈に印象づけて行くだろう。この鈴木氏の巧みな授業に生徒が生き生きと参加していることは本書に取り上げられた生徒の感想などを見ればよくわかる。内容といい、史料・構成といい実にずばらしいものである。
しかし、いささか気になる点もある。この三本の実践報告を積み重ねていく中で氏は、班田制から公田制ヘ、そして公田制から荘園公領制へという授業の軸をはっきりさせていく。そして公田制から荘園公領制への変化の要因を住民結合の成立=中世村落の成立に求めていくのである(玉井荘住人等解はそのための史料である)。むろん領域型荘園の成立や荘園公領制の成立に中世村落の成立が影響したことは確かである。また、民衆の視点を確保し、中世村落の成立という民衆の動きから荘園公領制の成立を解こうとした意図もわかる。しかし、荘園公領制の成立という問題を考えるときに果たしてこうした視点だけでよいのかどうか、いささか疑問にも思うのである。
たとえば荘園の持つ都市的・貴族的な性格を教えなくてよいのだろうか。あるいは荘園公領制の持つ国家的な性格について触れなくてよいのだろうか。荘園公領制の成立についても、鳥羽院政期に荘園整理政策が放棄されたことに一因を求める従来の理解(正確には荘園が爆発的に増加した理由だが)から、一国平均役免除を求めるという在地の要求とともに御願寺の経済基盤確保を求めるという中央の動きに寄進急増の要因を求める見解(上島享「財政史よりみた中世国家の成立」『歴史評論』五二五)も存するのである。何も最新の学説を授業に持ち込めといっているのではない。しかし、荘園公領制という概念自体、荘園の持つ、公領と同質の国家的性格に注目して提出されたものなのである。こうした国家や荘園領主による働きかけという側面を抜きに民衆の動きのみでは荘園公領制については解ききれないように思うのだがどうだろうか。


さて、第U部は絵巻物等を中心に近年の社会史の成果を積極的に教材化したものである。第四章では著名な一遍聖絵の備前福岡市の場面を用いながら中世の身分制と子ども論に迫る。福岡市に集まった様々な人々を烏帽子の有無で分類させ、中世の身分制へと迫るものである。中世社会において身分が可視的に区別されていたことを実感できる優れた実践といえよう。さらに氏は生徒自身の視点から身分制を考えたいとして積極的に中世身分制の中に「子ども」(童)を位置づけていく。ここでは中世身分制の学習から中世子ども論へと論が展開している。
一方第五章では同様の事例を扱いながら、身分制の学習の後、中世百姓の自立性へと議論を展開させている。つまり、福岡市の読みとりの後、中世の百姓も武士と同様烏帽子をつける自立した地位であったことを確認し、さらに御成敗式目第四二条を読みながら、中世百姓の居留の自由へと議論を展開させていくのである。
一遍聖絵の福岡市の場面が魅力的な教材であることは誰もが認めるだろう。そのため多様な展開が可能であろう。氏の実践でも第四章のように子ども論へとつなげたり、第五章のように中世百姓の自立性へとつなげたりとなる。その多様な魅力を紹介するという意味もあったのではあろうが、もう少し整理しでいただくことはできなかったのだろうか。現時点で氏がベストと考えている位置づけはどのようなものなのか、そのあたりの議論を読みたかったように思う。
第六章は氏と同じように福岡市を扱った加藤公明氏の実践をめぐる考察である。加藤氏の実践を巡っては今野日出晴・宮原武夫氏らが批判・検討を加えているが、それらの議論も踏まえて加藤実践の意義を解明しようとしたものである。
加藤実践およびそれを巡る議論の重要性は歴史教育に関心を持つ者なら誰もがよく知るところではある。しかし、本書の読者がすべてそれらの論争を丁寧にフォローしているとは限らないのである。本章では加藤氏の実践やそれに対する議論は自明のこととして記述されており、やや読者に対する配慮が足りないような気がした。もう少し丁寧に加藤実践やそれと対比される田村実践またはその後の議論の経過を紹介してもらいたかったと思う。
さて、それはともかく本章での分析の結果、氏は加藤実践の評価すべき点は「討論授業」そのものではなく討論に至る過程での準備―それは相当量の知識・理解を前提としている―であることを指摘する。従来の加藤実践に対する理解とは異なるものであるが、この鈴木氏の分析を踏まえて今後どのように議論が展開していくのか注目したい。

終章は本書全体のまとめというべきもので、氏の実践を踏まえた上での教科書編成プランを示している。とりわけここで氏は院政期からを中世として、荘園公領制の成立をその冒頭に持ってくるべきだと主張する。そしてそのことによって荘園公領制は中世社会の仕組みとして位置づけられるだろうという。氏のこの提言は一九八九年のものであるが、現在ではこの構成に近い教科書が何点も出版されている。氏の視角の鋭さを証明するものといえるだろう。

さて、以上各章ごとに内容紹介とコメントを付したが最後にもう少し感想めいたことを述べておきたい。
すでに述べたように本書は既発表論文を集めたものである。そして各章を読むことによって鈴木氏がいかに丁寧に授業の改善につとめているかがよくわかるようになっている。この鈴木氏の真摯な態度から学ぶことも大きいと思う。しかし率直に言ってやや読みづらさを感じてしまった。第T部の荘園公領制の問題の場合、三本の論文の中で授業構成が変わっていくのである。第U部の福岡市の実践も子ども論につなげる場合と百姓の自立性につなげる場合と、絵図の読みとりのみでまとめ上げる場合とが書かれているのである。論文を発表し、批判を受けそれを基にさらに改善していく、これは正当なことであり、その過程がたどれることは意味のあることではあるが、もう少しすっきりと現時点での到達点を見せてはもらえなかったのだろうか。
さらに、勝手な注文を言わせてもらえばもっと多くの実践に触れて欲しかった。本書の終章では教科書の編成プランが示されており、また第二章では授業編成プランが示されているのである。これらについてどのような教材を用いてどのような授業を行うのか、その全体像をぜひ示して欲しかった。本書の中で氏は五つの教材を紹介している。この書評では取り上げられなかったが、武士論を扱った「屠膾・殺生の輩」、徳政令を扱った「本主にもどる土地と質物」などいずれも現在の研究水準を取り入れた上での刺激的な実践である。氏の実践を読むたびにつくづくとそのすばらしさを思い知らされるのである。こうした教材・実践をもっと読ませて欲しかったと思う。
もちろん氏が目指したのは授業のマニュアル本などではなく、このような要望は的外れなことかもしれないが、氏の示された教科書や授業のプランを本当に生かしていくためにはそこまで言及する必要があったようにも思う。鈴木氏の提案する編成プランが魅力的なものであり、そしてそのプランに近い教科書も出てきている時だからこそぜひそうした配慮が欲しかったように思う。そうすることによって鈴木氏の編成プランがより広く検討され、実践されていくことになったのではないだろうか。
さて、ここまでまことに勝手な感想ばかりを述べてきてしまった。誤読や的外れな批評も多いのではないかと恐れている。その点鈴木氏にお詫びをしたいと思う。このような評者の感想はさておき、鈴木氏の実践は完成度の高いもので、刺激的なものであることは確かである。歴史教育に携わる方、これから教職を目指す方、中世史の研究者、あらゆる方にぜひご一読をお願いしたいと思う。鈴木哲雄著『社会史と歴史教育』
評者・戸川 点 掲載誌・人民の歴史学139(99.3)

本書は優れた中世史家であり、千葉県の高等学校で歴史教育に携わっている鈴木哲雄氏の歴史教育に関する論文集である。鈴木氏の教育実践はその中世史研究と同様、高い評価を与えられているものである。評者も鈴木氏同様教育現場に身を置くものだが、氏の論文からはつねに授業改善のヒントや刺激をいただいている。その鈴木氏の歴史教育に関する論文がこうしてまとまって読めるようになったことをまずは喜びたいと思う。
さて、本書の構成は以下のようになっている。
(目次省略)
第六章が完全な新稿である他は既発表論文の再録あるいは既発表論文をもとにした新稿である。大づかみに紹介すれば、本書は氏の教育実践を分析した論文と授業内容を紹介する教材からなり、序章と終章とで中世史を中心とするカリキュラムや歴史教育のありようについて考察を加えたものといえよう。さて、以下、各章毎に簡単に内容を紹介し、あわせてコメントも述べていきたいと思う。

序章「社会史と歴史教育」は一九八四年に書かれたものである。一九八四年の段階でなぜ社会史が注目されるに至ったのか、中世史研究の流れを総括し、歴史教育の側から社会史の成果を整理している。鈴木氏によれば社会史が歴史教育に与えた成果は@絵画史料や民俗資料など史料(教材)を豊富にした、A中世民衆の日常生活が具体的に明らかになった、B『無縁』の原理や「逃散の作法」、一揆などの研究が進展し、非日常的側面も含めた中世民衆像が豊かになった、C御成敗式目四二条が注目されることにより新たな中世社会論を提示することが可能になった、などである。氏は歴史教育の課題を、歴史学の成果を日常生活に根ざしたものとする場を提供することであるというが、そのための方法として社会史の成果に期待を寄せているのである。
氏の指摘されるとおり社会史の成果を取り入れることによって授業が生徒の身近なものになることは間違いないだろう。鈴木氏の授業実践の最大の特徴は良質の歴史学の成果を生徒が興味を持つ形で(あるいはわかりやすい形で)示す点にあると評者は受け取っているが、そうであるからこそ氏は社会史の成果に期待しているのである。そのこと自体は当然のことであるが、しかしそれならば本書に収録するにあたってはその後の社会史の展開についてももう少し言及が欲しかったように思う。
絵画資科に関する研究は現在でも成果を生んでいるが、本章が書かれたころ盛んだった心性史などの分野は現在では「下火」になっているように思う。社会史は史料の豊富化は進めたが、氏が期待したような新たな中世社会論を提示するには至らなかったということもできるかもしれない。序章の初出時と現在とでは学界における社会史の位置づけもずいぶん異なっているように思うのだが、こうしたその後の動向も踏まえてさらなる積極的な提言を聞きたいところである。

第T部の第一章から第三章は中世社会を基礎づける荘園や荘園公領制をどう教材化するかに取り組んだものである。荘園が教師にとって教えにくく、生徒にとってわかりにくいものであることは誰もが実感していることだろう。この実践はこうした課題を克服しようとしたものであり、雑誌発表時に大きな反響を呼んだものである。
第一章は摂関期の荘園と中世荘園の違いをはっきりさせて、荘園公領制を理解させようとした氏の実践とその分析である。氏は本章で小山靖憲氏の提言(「古代荘園から中世荘園へ」『歴史地理教育』三二九)を受けて、摂関期を免田型荘園の時代、中世を領域型荘園の時代と捉える。そしてその両者の差異を明確にさせるため、免田型荘園の典型として越後国石井荘を、領域型荘園の典型として紀伊国駐c荘を取り上げる。
石井荘については絵図が存在しないため、氏が作成した想定図を利用しながら摂関期の荘園が免田の集合体にすぎなかったこと、田堵は荘公を兼作する存在であったことなどをつかませていく。一方、駐c荘の方は著名な絵図(この絵図は大抵の教科書に掲載されている)の読みとりを行わせ、領域型荘園の実態に迫っていくというものである。
第二章は第一章の実践に寄せられた批判に答えながら、授業編成を組み替えた報告である。そこでは「国司の地方支配と富豪百姓」などがテーマ学習として設定され、摂関期の公田支配の授業も位置づけられている。その上で先の石井荘の「摂関期の公田と荘田」の授業が行われる。そしてさらに新たな史料として山城国玉井荘住人等解が取り上げられ、用水確保を目指して田堵らの住人結合が生まれたことを示していく。その後、「荘園公領制の成立」の授業を径て駐c荘絵図を読む実践へとつながっていく。
第一章の実践では何を読みとっていくのかやや曖昧であった駐c荘絵図の読みとりがここでは玉井荘の住民結合に関する学習を経ることによって中世村落の実態を読みとるという明確な位置づけを獲得しており、より完成度が高まったといえよう。
第三章は上述の第一章、第二章の実践報告、及びそれに寄せられた加藤公明、今野日出晴、木村茂光氏らの批判に答え、再度鈴木氏の授業構成を示したものである。本章を読むことによって氏の授業の全体像およびねらいが明確になる。
さて、このように第T部の三本の論文は批判を受けながら氏が組み替えた授業実践の報告である。その都度の氏の意図や工夫が示されており、日々教師がどれほど苦労をして授業を組み立て、組み替えているかがよくわかるだろう。
この第T部の実践の特徴は石井荘の想定図と駐c荘絵図を用いて、対比させていることだろう。この二つの図によって生徒は具体的な荘園のイメージを描くことができ、その結果、荘園は広い土地(領域型荘園)だけではなく、免田型荘園もあること、さらには摂関期と中世の荘園の違いや社会の仕組みの違いを認識していくことになる。また、この二つの図をつなぐ史料、免田型荘園から領域型荘園への変化を説明する史料として用意された玉井荘住人等解は中世成立期の民衆の力強さを鮮烈に印象づけて行くだろう。この鈴木氏の巧みな授業に生徒が生き生きと参加していることは本書に取り上げられた生徒の感想などを見ればよくわかる。内容といい、史料・構成といい実にずばらしいものである。
しかし、いささか気になる点もある。この三本の実践報告を積み重ねていく中で氏は、班田制から公田制ヘ、そして公田制から荘園公領制へという授業の軸をはっきりさせていく。そして公田制から荘園公領制への変化の要因を住民結合の成立=中世村落の成立に求めていくのである(玉井荘住人等解はそのための史料である)。むろん領域型荘園の成立や荘園公領制の成立に中世村落の成立が影響したことは確かである。また、民衆の視点を確保し、中世村落の成立という民衆の動きから荘園公領制の成立を解こうとした意図もわかる。しかし、荘園公領制の成立という問題を考えるときに果たしてこうした視点だけでよいのかどうか、いささか疑問にも思うのである。
たとえば荘園の持つ都市的・貴族的な性格を教えなくてよいのだろうか。あるいは荘園公領制の持つ国家的な性格について触れなくてよいのだろうか。荘園公領制の成立についても、鳥羽院政期に荘園整理政策が放棄されたことに一因を求める従来の理解(正確には荘園が爆発的に増加した理由だが)から、一国平均役免除を求めるという在地の要求とともに御願寺の経済基盤確保を求めるという中央の動きに寄進急増の要因を求める見解(上島享「財政史よりみた中世国家の成立」『歴史評論』五二五)も存するのである。何も最新の学説を授業に持ち込めといっているのではない。しかし、荘園公領制という概念自体、荘園の持つ、公領と同質の国家的性格に注目して提出されたものなのである。こうした国家や荘園領主による働きかけという側面を抜きに民衆の動きのみでは荘園公領制については解ききれないように思うのだがどうだろうか。


さて、第U部は絵巻物等を中心に近年の社会史の成果を積極的に教材化したものである。第四章では著名な一遍聖絵の備前福岡市の場面を用いながら中世の身分制と子ども論に迫る。福岡市に集まった様々な人々を烏帽子の有無で分類させ、中世の身分制へと迫るものである。中世社会において身分が可視的に区別されていたことを実感できる優れた実践といえよう。さらに氏は生徒自身の視点から身分制を考えたいとして積極的に中世身分制の中に「子ども」(童)を位置づけていく。ここでは中世身分制の学習から中世子ども論へと論が展開している。
一方第五章では同様の事例を扱いながら、身分制の学習の後、中世百姓の自立性へと議論を展開させている。つまり、福岡市の読みとりの後、中世の百姓も武士と同様烏帽子をつける自立した地位であったことを確認し、さらに御成敗式目第四二条を読みながら、中世百姓の居留の自由へと議論を展開させていくのである。
一遍聖絵の福岡市の場面が魅力的な教材であることは誰もが認めるだろう。そのため多様な展開が可能であろう。氏の実践でも第四章のように子ども論へとつなげたり、第五章のように中世百姓の自立性へとつなげたりとなる。その多様な魅力を紹介するという意味もあったのではあろうが、もう少し整理しでいただくことはできなかったのだろうか。現時点で氏がベストと考えている位置づけはどのようなものなのか、そのあたりの議論を読みたかったように思う。
第六章は氏と同じように福岡市を扱った加藤公明氏の実践をめぐる考察である。加藤氏の実践を巡っては今野日出晴・宮原武夫氏らが批判・検討を加えているが、それらの議論も踏まえて加藤実践の意義を解明しようとしたものである。
加藤実践およびそれを巡る議論の重要性は歴史教育に関心を持つ者なら誰もがよく知るところではある。しかし、本書の読者がすべてそれらの論争を丁寧にフォローしているとは限らないのである。本章では加藤氏の実践やそれに対する議論は自明のこととして記述されており、やや読者に対する配慮が足りないような気がした。もう少し丁寧に加藤実践やそれと対比される田村実践またはその後の議論の経過を紹介してもらいたかったと思う。
さて、それはともかく本章での分析の結果、氏は加藤実践の評価すべき点は「討論授業」そのものではなく討論に至る過程での準備―それは相当量の知識・理解を前提としている―であることを指摘する。従来の加藤実践に対する理解とは異なるものであるが、この鈴木氏の分析を踏まえて今後どのように議論が展開していくのか注目したい。

終章は本書全体のまとめというべきもので、氏の実践を踏まえた上での教科書編成プランを示している。とりわけここで氏は院政期からを中世として、荘園公領制の成立をその冒頭に持ってくるべきだと主張する。そしてそのことによって荘園公領制は中世社会の仕組みとして位置づけられるだろうという。氏のこの提言は一九八九年のものであるが、現在ではこの構成に近い教科書が何点も出版されている。氏の視角の鋭さを証明するものといえるだろう。

さて、以上各章ごとに内容紹介とコメントを付したが最後にもう少し感想めいたことを述べておきたい。
すでに述べたように本書は既発表論文を集めたものである。そして各章を読むことによって鈴木氏がいかに丁寧に授業の改善につとめているかがよくわかるようになっている。この鈴木氏の真摯な態度から学ぶことも大きいと思う。しかし率直に言ってやや読みづらさを感じてしまった。第T部の荘園公領制の問題の場合、三本の論文の中で授業構成が変わっていくのである。第U部の福岡市の実践も子ども論につなげる場合と百姓の自立性につなげる場合と、絵図の読みとりのみでまとめ上げる場合とが書かれているのである。論文を発表し、批判を受けそれを基にさらに改善していく、これは正当なことであり、その過程がたどれることは意味のあることではあるが、もう少しすっきりと現時点での到達点を見せてはもらえなかったのだろうか。
さらに、勝手な注文を言わせてもらえばもっと多くの実践に触れて欲しかった。本書の終章では教科書の編成プランが示されており、また第二章では授業編成プランが示されているのである。これらについてどのような教材を用いてどのような授業を行うのか、その全体像をぜひ示して欲しかった。本書の中で氏は五つの教材を紹介している。この書評では取り上げられなかったが、武士論を扱った「屠膾・殺生の輩」、徳政令を扱った「本主にもどる土地と質物」などいずれも現在の研究水準を取り入れた上での刺激的な実践である。氏の実践を読むたびにつくづくとそのすばらしさを思い知らされるのである。こうした教材・実践をもっと読ませて欲しかったと思う。
もちろん氏が目指したのは授業のマニュアル本などではなく、このような要望は的外れなことかもしれないが、氏の示された教科書や授業のプランを本当に生かしていくためにはそこまで言及する必要があったようにも思う。鈴木氏の提案する編成プランが魅力的なものであり、そしてそのプランに近い教科書も出てきている時だからこそぜひそうした配慮が欲しかったように思う。そうすることによって鈴木氏の編成プランがより広く検討され、実践されていくことになったのではないだろうか。
さて、ここまでまことに勝手な感想ばかりを述べてきてしまった。誤読や的外れな批評も多いのではないかと恐れている。その点鈴木氏にお詫びをしたいと思う。このような評者の感想はさておき、鈴木氏の実践は完成度の高いもので、刺激的なものであることは確かである。歴史教育に携わる方、これから教職を目指す方、中世史の研究者、あらゆる方にぜひご一読をお願いしたいと思う。田荘絵図を読む実践へとつながっていく。
第一章の実践では何を読みとっていくのかやや曖昧であった駐c荘絵図の読みとりがここでは玉井荘の住民結合に関する学習を経ることによって中世村落の実態を読みとるという明確な位置づけを獲得しており、より完成度が高まったといえよう。
第三章は上述の第一章、第二章の実践報告、及びそれに寄せられた加藤公明、今野日出晴、木村茂光氏らの批判に答え、再度鈴木氏の授業構成を示したものである。本章を読むことによって氏の授業の全体像およびねらいが明確になる。
さて、このように第T部の三本の論文は批判を受けながら氏が組み替えた授業実践の報告である。その都度の氏の意図や工夫が示されており、日々教師がどれほど苦労をして授業を組み立て、組み替えているかがよくわかるだろう。
この第T部の実践の特徴は石井荘の想定図と駐c荘絵図を用いて、対比させていることだろう。この二つの図によって生徒は具体的な荘園のイメージを描くことができ、その結果、荘園は広い土地(領域型荘園)だけではなく、免田型荘園もあること、さらには摂関期と中世の荘園の違いや社会の仕組みの違いを認識していくことになる。また、この二つの図をつなぐ史料、免田型荘園から領域型荘園への変化を説明する史料として用意された玉井荘住人等解は中世成立期の民衆の力強さを鮮烈に印象づけて行くだろう。この鈴木氏の巧みな授業に生徒が生き生きと参加していることは本書に取り上げられた生徒の感想などを見ればよくわかる。内容といい、史料・構成といい実にずばらしいものである。
しかし、いささか気になる点もある。この三本の実践報告を積み重ねていく中で氏は、班田制から公田制ヘ、そして公田制から荘園公領制へという授業の軸をはっきりさせていく。そして公田制から荘園公領制への変化の要因を住民結合の成立=中世村落の成立に求めていくのである(玉井荘住人等解はそのための史料である)。むろん領域型荘園の成立や荘園公領制の成立に中世村落の成立が影響したことは確かである。また、民衆の視点を確保し、中世村落の成立という民衆の動きから荘園公領制の成立を解こうとした意図もわかる。しかし、荘園公領制の成立という問題を考えるときに果たしてこうした視点だけでよいのかどうか、いささか疑問にも思うのである。
たとえば荘園の持つ都市的・貴族的な性格を教えなくてよいのだろうか。あるいは荘園公領制の持つ国家的な性格について触れなくてよいのだろうか。荘園公領制の成立についても、鳥羽院政期に荘園整理政策が放棄されたことに一因を求める従来の理解(正確には荘園が爆発的に増加した理由だが)から、一国平均役免除を求めるという在地の要求とともに御願寺の経済基盤確保を求めるという中央の動きに寄進急増の要因を求める見解(上島享「財政史よりみた中世国家の成立」『歴史評論』五二五)も存するのである。何も最新の学説を授業に持ち込めといっているのではない。しかし、荘園公領制という概念自体、荘園の持つ、公領と同質の国家的性格に注目して提出されたものなのである。こうした国家や荘園領主による働きかけという側面を抜きに民衆の動きのみでは荘園公領制については解ききれないように思うのだがどうだろうか。


さて、第U部は絵巻物等を中心に近年の社会史の成果を積極的に教材化したものである。第四章では著名な一遍聖絵の備前福岡市の場面を用いながら中世の身分制と子ども論に迫る。福岡市に集まった様々な人々を烏帽子の有無で分類させ、中世の身分制へと迫るものである。中世社会において身分が可視的に区別されていたことを実感できる優れた実践といえよう。さらに氏は生徒自身の視点から身分制を考えたいとして積極的に中世身分制の中に「子ども」(童)を位置づけていく。ここでは中世身分制の学習から中世子ども論へと論が展開している。
一方第五章では同様の事例を扱いながら、身分制の学習の後、中世百姓の自立性へと議論を展開させている。つまり、福岡市の読みとりの後、中世の百姓も武士と同様烏帽子をつける自立した地位であったことを確認し、さらに御成敗式目第四二条を読みながら、中世百姓の居留の自由へと議論を展開させていくのである。
一遍聖絵の福岡市の場面が魅力的な教材であることは誰もが認めるだろう。そのため多様な展開が可能であろう。氏の実践でも第四章のように子ども論へとつなげたり、第五章のように中世百姓の自立性へとつなげたりとなる。その多様な魅力を紹介するという意味もあったのではあろうが、もう少し整理しでいただくことはできなかったのだろうか。現時点で氏がベストと考えている位置づけはどのようなものなのか、そのあたりの議論を読みたかったように思う。
第六章は氏と同じように福岡市を扱った加藤公明氏の実践をめぐる考察である。加藤氏の実践を巡っては今野日出晴・宮原武夫氏らが批判・検討を加えているが、それらの議論も踏まえて加藤実践の意義を解明しようとしたものである。
加藤実践およびそれを巡る議論の重要性は歴史教育に関心を持つ者なら誰もがよく知るところではある。しかし、本書の読者がすべてそれらの論争を丁寧にフォローしているとは限らないのである。本章では加藤氏の実践やそれに対する議論は自明のこととして記述されており、やや読者に対する配慮が足りないような気がした。もう少し丁寧に加藤実践やそれと対比される田村実践またはその後の議論の経過を紹介してもらいたかったと思う。
さて、それはともかく本章での分析の結果、氏は加藤実践の評価すべき点は「討論授業」そのものではなく討論に至る過程での準備―それは相当量の知識・理解を前提としている―であることを指摘する。従来の加藤実践に対する理解とは異なるものであるが、この鈴木氏の分析を踏まえて今後どのように議論が展開していくのか注目したい。

終章は本書全体のまとめというべきもので、氏の実践を踏まえた上での教科書編成プランを示している。とりわけここで氏は院政期からを中世として、荘園公領制の成立をその冒頭に持ってくるべきだと主張する。そしてそのことによって荘園公領制は中世社会の仕組みとして位置づけられるだろうという。氏のこの提言は一九八九年のものであるが、現在ではこの構成に近い教科書が何点も出版されている。氏の視角の鋭さを証明するものといえるだろう。

さて、以上各章ごとに内容紹介とコメントを付したが最後にもう少し感想めいたことを述べておきたい。
すでに述べたように本書は既発表論文を集めたものである。そして各章を読むことによって鈴木氏がいかに丁寧に授業の改善につとめているかがよくわかるようになっている。この鈴木氏の真摯な態度から学ぶことも大きいと思う。しかし率直に言ってやや読みづらさを感じてしまった。第T部の荘園公領制の問題の場合、三本の論文の中で授業構成が変わっていくのである。第U部の福岡市の実践も子ども論につなげる場合と百姓の自立性につなげる場合と、絵図の読みとりのみでまとめ上げる場合とが書かれているのである。論文を発表し、批判を受けそれを基にさらに改善していく、これは正当なことであり、その過程がたどれることは意味のあることではあるが、もう少しすっきりと現時点での到達点を見せてはもらえなかったのだろうか。
さらに、勝手な注文を言わせてもらえばもっと多くの実践に触れて欲しかった。本書の終章では教科書の編成プランが示されており、また第二章では授業編成プランが示されているのである。これらについてどのような教材を用いてどのような授業を行うのか、その全体像をぜひ示して欲しかった。本書の中で氏は五つの教材を紹介している。この書評では取り上げられなかったが、武士論を扱った「屠膾・殺生の輩」、徳政令を扱った「本主にもどる土地と質物」などいずれも現在の研究水準を取り入れた上での刺激的な実践である。氏の実践を読むたびにつくづくとそのすばらしさを思い知らされるのである。こうした教材・実践をもっと読ませて欲しかったと思う。
もちろん氏が目指したのは授業のマニュアル本などではなく、このような要望は的外れなことかもしれないが、氏の示された教科書や授業のプランを本当に生かしていくためにはそこまで言及する必要があったようにも思う。鈴木氏の提案する編成プランが魅力的なものであり、そしてそのプランに近い教科書も出てきている時だからこそぜひそうした配慮が欲しかったように思う。そうすることによって鈴木氏の編成プランがより広く検討され、実践されていくことになったのではないだろうか。
さて、ここまでまことに勝手な感想ばかりを述べてきてしまった。誤読や的外れな批評も多いのではないかと恐れている。その点鈴木氏にお詫びをしたいと思う。このような評者の感想はさておき、鈴木氏の実践は完成度の高いもので、刺激的なものであることは確かである。歴史教育に携わる方、これから教職を目指す方、中世史の研究者、あらゆる方にぜひご一読をお願いしたいと思う。
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