平野 栄次著『富士信仰と富士講』
掲載誌:富士山文化研究会々報18(2005.1)
評者:中嶋 信彰


 平成十年十二月十四日に、富士講研究の先達であった岩科小一郎先生が逝去された。岡田博氏より連絡をいただいて、通夜・葬儀のお手伝いに馳せ参じたのだが、その年の冬はとても寒くて、斎場の入り口で案内をしていた身体は凍えきっていた。時がたち参列者の数も減って室内に戻ってきた私に「お疲れ様、中嶋さんもどうぞこちらへ」と声をかけてくださったのが平野先生だった。以前、山村民俗の会の山神講で何度かお見かけしたことはあったが、実際にお話をしたのはその時が最初だったと思う。そして、その場に集まられた旧富士講研究会の皆様を前に、平野先生が岩科先生の業績を引き継ぐ必要性を説かれたのが、本会の始まりだったのである。

 本会の創立を宣言され、自ら会長をお勤めになった平野氏のその後の活動は、正に迅速・的確であった。手元にあるメモを見ても、設立意趣書の作成、設立総会の開催、会報の発行と当時事務局を勤められた沖本氏と名コンビで次々と業務をこなされていた。手書きの準備会の案内や、総会での日大の学生とのやりとりなど、人間味溢れるご様子に「これでこの会も安泰」と末席ながら思ったものである。これらを切っ掛けとして平野先生からは度々、お手紙やお電話をいただくようになり、文献のコピーなども恵贈いただくようになった。しかし、運命は残酷で、私のファイルの会報創刊号の次の書類は平野先生のご葬儀場の案内の地図となってしまう。岩科先生ご逝去後、わずか一年二ヶ月後のことであった。

 本書の存在を知ったのは、岩田書院のパンフからであったが、それを見てまず思ったことは「ああ良かった」ということだった。先人の遺志を継ぎ尽力された人が、やはりその徳を慕う人々によって顕彰されるのは素晴らしいことである。

 私も常々、平野先生の業績をファイルしたいと考えていたのだが、こうして一冊にまとまったものを見ると大いに参考になる。編者の坂本氏は、平野先生が品川区の調査をされた時のご同輩の由。厳選された内容に感服する。総会の際に手ずからいただいた身録の研究は、先生のご逝去後やっとの思いで、下巻を入手できたが、収録されたそれを見たときには目頭の熱くなる思いがした。

 難を言えば、岩科先生亡き後独壇場であったムック類への執筆が皆無なこと、これは学術的な文献集では無理なことかもしれないが、やや残念。また、大著『富士浅間信仰』所載のものが他を圧倒する感がある。既読のイメージが強いだけにやや違和感を覚える。

 先生の業績に中に、「富士信仰研究会初代会長」がないのも関係者としては残念である。本会は正に平野先生の手によって生まれ、その道筋を与えられたものなのである。岩田書院のパンフに「富士信仰研究会の初代会長であった・・・」とコメントをいただいているのは岩田氏のご配慮であったと知り、深く感謝の念を覚えた。岩科氏・宮田氏・大谷氏を含め、本来ならば本会のすべき仕事であったとの猛省も感じた。


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