佐々木 寛司編『国民国家形成期の地域社会−近代茨城地域史の諸相−』
掲載誌:明治維新史研究12004.12
評者:鈴木 伸江


 本書は近代茨城地域史研究会の企画になる論文集である。三編構成、計七本の論文を収め、論点はさまざまであるが、それぞれに新鮮な切り口をもったものとなっている。

 第一編 国民国家形成のイデオロギーは、近代言説の出発点となったイデオローグとして会沢正志斎の『新論』を取り上げる論文二稿より成る。双方ともJ・ヴィクター・コシュマンが『水戸イデオロギー 徳川後期の言説・改革・叛乱』(田尻祐一郎・梅森直之訳 ペりかん社 一九九八)において提起したテクストの読みの可能性をうけ、具体化した試みといえる。

 菅谷務「『新論』における国体論の位相−転換期の言説−」は、『新論』というテクストにおける国体論の位相を、祭祀・戦争といった非日常的な場において祭式神話論と行為執行文体制を軸に検討し、そこに要請としての共同幻想たる「国体」をみるものである。この国体論は歴史の転換期における人間の知の機能として認識されるという。注目されるのは「国体」の読みである。氏は国体認識の普遍化を身体論から読み解き、身体を世界のメタファーとした「国体」の空間性を回復させている。

 桐原健真「『新論』受容の一形態−吉田松陰を中心に−」は日本という自己意識の形成に果たした『新論』の役割を、吉田松陰による受容の過程から、テクストの発展的<読み替え>による言説の用意に求めるものである。松陰と水戸学、とりわけ『新論』との関係については、平戸遊学時以来『新論』からの強い影響下にあったとする通説的見解に反駁し、水戸学からの乖離についても完全な乖離は否定する。その論拠にあげられるのが、「思想体系への影響を考えるとき、必ずしもそれが全的に受容され、思想的行動の内容として充足されるわけではない、という事実」であり、思想体系の媒介としてのテクストとそれを<読む行為>に内在する<読み替え>の契機といった特質も視野に精査した松陰の読書歴である。ここには受容者=読者の側からテクストとの関係性をみる視座が開かれている。

 第二編 国民国家形成期における地域秩序の動揺と再編は十九世紀後半から二十世紀初頭、国民国家形成期における「地域」の動向を追跡した三論文より構成される。

 佐々木寛司「地租改正期の地域社会−動揺する地域社会の実相−」は現鉾田町域の村々を対象に、新政府の開化政策への様々な地域住民の対応を、徴兵制・旧慣禁止令も視野に入れながら、地租改正を軸に論じたものである。氏は地租改正期に発生したトラブルを、必ずしも政策の内実に惹起されたものではなく、過渡期ならではの村内矛盾がそれをきっかけに噴出したものと理解している。その後一連の地域編成方式の変転も、過渡期の混沌からの脱却を求め、統一的な国民国家体制に照応する地域編成のありかたを模索した結果と捉えられている。地域に内在する矛盾を、再編によって解消することは共同体意識の拡大による近代国民国家体制の確立とも連関する。村内政争を央と地方の対比としてだけではなく、「政治」の領域で扱うことには意義があろう。尚この際史料たる文書の取り扱いが問題となろうが、議論を俟ちたい。

 松澤克昭「作成されていた大暴風雨記録の全容−明治後期茨城大暴風雨記録『被害一斑』とその意義について−」は明治三十五年、茨城県下を襲った大暴風雨被害とそれへの対応を分析し、この災害を危機管理の濫觴かつ地域に特性を与えるひとつの社会経済史上の転換点と位置づけるものである。自然災害は平生忘れられがちで、自体問題とされることは少ない。しかし、そんな「自然」は人間に意識に時代の折り目として記憶され、近代化・資本主義化としての「文明」に与える影響力も無視し得ないとする主張が、災害を実際に体験した長塚節の視点を交えて、実感を伴うようになされている。

 宮本和明「帝国在郷軍人会成立の社会的基盤−大正期茨城県の農村を素材として−」は帝国在郷軍人分会が明治末期から大正期の農村に定着していく過程とその条件を、茨城県下の複数の農村を事例として、農村の側から明らかにしたものである。当初分会は農村において補助的な存在に過ぎず、郷土の代表としての意識づけをまず必要とした。そこで学校・青年団等地方官民と連繋を図りながら、村内における在郷軍人のポジションを獲得、シベリア出兵戦死者村葬や関東大震災への対応を端緒に中心的地位を確保、風紀粛清にまで関与していく。こうした定着過程の分析は、市町村長のあて職とは違い、官の上意下達ルートからもずれた位置にある分会の性質上、また明治末期から大正期にかけてという国民国家の形成過程といった時期の特質とも相俟って、社会史的な観点からも非常に興味深いテーマといえよう。

 第三編 資本主義確立期における地域経済の変容は十九世紀末から二十世紀初頭、資本主義が体制的に確立する時期における地域経済の変容を考察する二論文を収める。

 桐原邦夫「利根川水系舟運の推移と地域社会−鉾田河岸・小川河岸を事例として−」は明治維新以降の利根川水系における舟運の推移と結果としての地域社会の社会的変化を、北浦沿岸の鉾田河岸を中心に考察したものである。変化の要因として鉄道の敷設があるが、舟運と並存し補完的関係にあった時期も長い。むしろ利根川の流路の変化を決定的な要因とみている。洪水対策を主眼とした治水対策は舟運への配慮を欠き、代替手段としての鉄道輸送を促進したため、河岸によって発展してきた地域社会は裏通りとなり、社会的・経済的な後進地域となったとする。文明開化の象徴たる鉄道の前に河川交通はなす術もなく敗退したとの、多分には現代の鉄道・舟運観に左右された思い込みを批判し、過渡期としての姿が浮き彫りとされている。

 市川大祐「新興養蚕地域における地主肥料商の経営展開−茨城県結城郡廣江嘉平家の事例−」は結城郡の地主肥料商廣江嘉平家を事例として、同家が地域社会に果たした役割を養蚕業の地域への定着を軸に検討し、また寄生地主化せず、昭和期まで広大な手作り地を保持した同家の経営を地主・肥料商兼営の意味を再検討しながら考察したものである。同家の肥料商としての側面は地域社会の構造変化のみならず地主制研究においても刺激的な視点となろう。

 以上、近代日本の形成期を過渡期であるとの認識のもと、その特性を地方地域社会あるいは個人を焦点に捉えた諸相であり、近代日本の一面を明らかにしたものといえよう。


      
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