平野 栄次著『富士信仰と富士講』
掲載誌:まるはとだより186(2005.1.17小谷三志顕彰会
評者:岡田 博


 近世中期から第二次大戦前まで、江戸・東京市民と、関東・東海・甲信・近畿の地域の都市・農村を問わず結ばれた富士講が、第二次大戦後の社会変動の中で急速に弱体化を始めました。その現実に着目、富士講研究に着手したのが、江戸っ子岩科小一郎「山村民俗の会」主宰でした。

 そして十年昭和三十年代末には「山村民俗の会」の内部機構として「富士講研究会」が生まれました。主宰岩科小一郎先生に直接につながる伊藤堅吉、園尾哲郎、大谷忠雄、遠藤秀男、そして宮田登、平野栄次という、参加以前に地域また学会で、民俗学者として業績をつまれた方々です。

 その岩科小一郎門下の中核者が平野栄次さんでした。昭和六十一年に雄山閣の「民衆宗教史叢書」の第十六巻として『富士浅間信仰』が企画されて、編集を委嘱された岩科小一郎先生が、老齢を理由に辞退されたあとをお受け下さり、構成・編集を主宰されたのが平野栄次さんでした。

 平野さんは立正大学専門部卒、日本大学駿河台病院勤務のかたわら民俗学研究と現地調査をなされて、東京都文化財保護委員、大田区・品川区・江戸川区・北区の文化財保護委員・区史編纂専門委員を兼ねられました。

 平成九年十二月、岩科小一郎先生のご逝去・ご葬儀の席上で先生の遺業継続のため「富士信仰研究会」結成の話がきまり、初代代表に就任して下さいました。会の発足から九ヶ月後の平成十一年二月十日、平野栄次先生は病魔によって逝去されたのです。

 この度宮本記念財団のご助成で『平野栄次著作集』二巻、『富士信仰と富士講』(著作集@)と、『江戸前漁撈と海苔』(著作集A)が、岩田書院より発行されたのは後輩として大きな喜びです。中身は保証しますからお読み下さい。


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