相川 高徳編著中世鎌倉人の手紙を読む
掲載紙:神奈川新聞(2005.1.16
評者:大路 和子


胸に迫る生死観−「中世鎌倉人の手紙を読む」刊行に寄せて−

 まことに嬉しい本を入手した。相川高徳氏の『中世鎌倉人の手紙』である。「金沢文庫」の古文書から、北条氏の支流金沢実時以来の一門衆や、かかわりがあった者たちからの手紙を集成したものである。男性編、女性編別に分けて二分冊にし、項目別に仕分けして解読している。

 鎌倉とか南北朝とかの古文書とあれば、私などはしり込みしたく方である。だが今回はあまりの面白さに、夢中になって読み進んだ。

 それというのも@原文の写真版、A原文そのまま、B漢字を当てて読みやすくした釈文、C行き届いた解説付という、この四段構えのせいで、いつのまにか鎌倉人と臨場感を共有していたのである。

 まずは女性編から。大半が散らし書きの仮名文字である。

 「悪ろき茶を給ハリ候ハんずるにて候ける」とある。相手は「心戒の御房御かたへ」とあるので、お慕いするお坊さまが悪ろき茶と記して、茶を下さるという文が届いたのであろう。その厚情に、「御恋しさこそ、申し計りなく思いまいらせて候へ」と返信している。

 「兄の死(自害)」では、奮戦中、家臣の介錯で、自害した兄の追善供養を依頼する妹の文である。「余り絶へ絶へしき体にて候程に」とあり、書き手の悲しみが切り立つ現実味をもって伝わってくる。

 「齢百二十」父の遺産で、恵まれた暮らしをしている百二十歳の老女のことが記されている。書き手は老女の姪あたりであろうか、筆跡は流麗で、達筆である。

 男性編は、仮名文字もあるが、雄渾の漢文体が多い。あまりの達筆にみとれてしまう。

 「ゆめゆめしきもの 茶」の贈り主は、金沢である。最後の得宗北条高時に後を任され、執権になった人物とあれば、某御房に宛てた手紙にもその地位が出る。「ようやらんと覚候て、まいらせ候」とあり、「上等だと思えるので、まいらせる」と記している。

 驚いたのは、次の内容である。成人になった娘が飢死したので、冥福を祈って供養したいが、自分たちの力では出来かねる。それで慈悲功徳を施していただきたいと、娘の両親が、寺の長老に供養を頼む手紙である。なぜ飢死させる前に、この娘のために食べ物を恵んで下さいと言わなかったのか。だがこれが当時の鎌倉人の気概なのだと思う。 
 
 鎌倉幕府存亡の危急に際した鎌倉武士が、家屋敷を寺に譲渡して、出陣の覚悟を示したものもある。すでに戦況の末期的な情況を承知していて「をらせ候ひんぬ」と記す。日付は二年(一三三三)五月十六日。頭を丸め道貞と名を署名する。

 この六日後、北条高時と金沢貞顕は東勝寺で自害。貞顕の嗣子貞将は金沢一族と討死。道貞の最期は記されていないが、運命を共にしたと思われる。

 それにしても彼らの現代人と似て非なる精神構造は、「」もさることながら「死にざま」「」をより重んじていることである。新春にあたり、中世鎌倉人の床しい日常の根底にある、厳しい死生観が胸に迫って思われる。


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