飯島康夫・池田哲夫・福田アジオ編
環境・地域・心性 −民俗学の可能性−
掲載誌:高志路354(2004.12
評者:大竹 信雄


『環境・地域・心性 −民俗学の可能性−』を読んで

 本書は、新潟大学民俗学研究室が創設10周年を記念して発刊した論文集である。執筆者は22名、民俗研究室で教鞭をとられた先生方およびそこで民俗学を専攻し、卒業後、社会で活躍している者、さらに専門研究者としての道を進み、その成果を発表している者などである。つまり、本書は、一九九三(平成五)年度に新潟大学人文学部の地域文化課程に民俗学専任教官として福田アジオ先生が着任され、博士課程の独立研究科である大学院現代社会文化研究科が創設されてから、二〇〇二(平成一四)年度までの、同研究室における10年間の研究活動成果(論文)をまとめ、一つの節目としたものである。

 内容は、三つの分野によって構成されている。第一編は、「環境と生業の関連性」と題して論文六本、第二編は、「地域社会研究の新展開」として論文八本、第三編は、「心意・心性・感性の民俗研究」と題して八本の論文が収められている。

 以下、ただ民俗に興味をもつというずぶの素人、いささかおこがましいが、本書を一読して感じたことのいくつかを述べてみたい。

 まず、第一は、新潟大学民俗研究室では、はつきりとした目標のもとに民俗の研究がなされ、フイールドワークを重視した本来の調査研修が基本にあることがうかがわれたことである。「まえがき」のなかで福田アジオ先生は、「民俗学は現代社会の日常生活から発せられる課題を究明する」とし、「現代の生活にいたる、形成と変化の過程を歴史的に明らかにするのが現代の民俗学である」と述べられている。そして、大学などの高等教育の場においては、「講義・演習を通じてアカデミックな学問としての民俗学」を教えるとともに、「本来持っていた野の学問」を失わないようにする努力を絶えずしなければならないと強調している。こうしたことは民俗を勉強する者にとっては当たり前のことだといえばそれまでであるが、多くの若い人の研究論文を読みながら、率直にそれが確実に根付いていることを知り、改めて民俗研究にたずさわる者にとって至極大切なことと思ったのである。

 第二に感じたことは、数多くの論文が掲載され、研究対象が多岐に及んでいることである。しかし、それは民俗学の対象が、現在の日常生活にあれば当然であろう。むしろ、いずれもがいまの暮らしの中から選ばれた課題であり、本書の構成からも知るところであるが、現代社会の生活に視点を据えた研究であることである。そして、経験豊な研究者先生方の味わいある論文に対し、若い民俗研究者の素直な発想、熱心な研究態度は新鮮であり、民俗研究の将来が期待できる想いがしたのである。

 私ごとであるが、学問の殿堂外にいる者にとっては、いつも研究者の著作、論文などにより新知識を得、それに刺激・触発され、身近に問題のあることに気付くことが多い。正直、本書を読み、民俗研究の新しい手だてや方法、新しい見方・考え方などを教えられた。

 第三は、先にも触れたが、新潟大学民俗研究室には、いま民俗研究という一本の木が根を張り、着実に育ちつつあるということである。こうしたことは、県内で曲りなりでも志を同じくする者として誠に有難いことである。まずは、国立の新潟大学に民俗学の専任教員を置き、民俗学専門コースが設けられることになった当時の関係者の英断と、その後、このようにまで着々と築き上げてくださった先生方、そこで学んだ人々の並々ならぬ努力に感謝する。

 そして、希望的意見であるが、できることならこれを機会に、大学の民俗学研究室と県民俗学会、民俗に興味をもつ者などが互いに交流を深め、刺激しあえる環境が築かれ、今まで以上に、その研究成果が社会に還元されたらいいと思ったのである。たとえば、大学の開放も耳にする昨今であれば、大学の公開開放講座の開設、研究室と県民俗学会の人々とが気軽に話し合える談話会や勉強会の実施など、なにかいい方法を模索するのも相互の発展に寄与するのではないだろうか。

 最後に、本書の副題にあるように「民俗学の可能性」を信じ、新潟大学民俗研究室の発展を期待して筆を擱く。


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