田崎 哲郎編著『三河地方知識人史料』
掲載誌:地方史研究311(2004.10
評者:鈴木 雅晴


 近世から近代初期にかけて、三河国を中心に活動した知識人に関連する史料を収集し、その解説と論考を付した史料集が刊行された。

 本書は、長年にわたり三河地域をフィールドとして、在村で活動していた知識人に焦点を当て、その動向の解明に精力的に取り組んで来られた編著者によって纏められたもので、その構成を簡略に記すと以下の通りである。(省略)

 まず、第一章では三河における知識人層の形成過程や交流の様子などを、医学・洋学・国学・漢学・俳諧といった分野に大別して概観した解説となっており、また『近世人名録集成』やその他の門人帳などに見られる三河の人物を抜粋して載録している。

 第二章では、神職であり西三河での国学の始祖とも言われ、近世中期以降に起こった吉田家と白川家による神職の組織化とその争いの過程で、当該地域において重要な役割を果たしたと考えられる鈴木梁満の門人帳、俳人で吉田藩を中心に活動した五束斎木朶や佐野蓬宇の交遊録や人名録、その他に諸道の門人帳として蹴鞠・花道・茶道・寺子屋の門人帳を収めている。

 第三章では、本居大平の門人で後に平田国学に傾倒していった吉田藩在住の神主羽田野敬雄を中心として、それを取り巻く国学者たちとの書簡や彼らが記した古記録を豊富に掲載している。これらの史料からは、幕末維新期における神職や国学者の活発な活動の状況を窺うことができる。

 第四章では、京都の錦小路家の門人で、西三河地域で同門の取締となり、当該地域での医家統制の中心的役割を負った加茂郡の眼科医酒井家の蔵書目録や書簡類を掲げ、そして第五章では吉田の蘭学者であった土倉家の二代目当主土倉玄忠の記した『土倉玄忠一代記録』や、三河国宝飯郡国府村の住人中林恒助が記したと思われ、文政年間から明治に至るまでの東三河地域の様子を知ることのできる『中興年代記』などが収められている。

 これらの史料に付せられた編著者の解説は史料の内容だけからでは解釈できない領域にまで踏込んでおり、それは氏の地道かつ丹念なフィールドワークによる成果がふんだんに盛り込まれているからである。

 こうした近世における知識人層の門人帳や書簡類を検討すると、身分や職業を越えて非常に広範でしかも遠方の人物との交流が行われていたことを再認識させられる。本書は、三河地域を中心としたものであるが、近世の知識人層の学問的ネットワークを考察するうえで、今後、他地域における同様の史料集の上梓を待ち望む次第である。


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