中村 茂子著『奥三河の花祭り−明治以後の変遷と継承−』
掲載誌:日本民俗学240(2004.11)
評者:吉川 祐子


 平成二年十一月、安政年間から絶えていた大神楽が豊根村で催されると聞き駆けつけた。役場の広場に設置された舞処や白山などの装置が巨大で、びっくりしたことを思い出す。平成の大神楽はやはりイベントか、と思ったものである。

 あの催しが実現したのは、明治の宗教政策の中、伝承の先行きをおもんばかった豊根村民が記録を残した功績が大きかったことを、本書で教えられた。明治の宗教政策が彼らを動かしたのであるから、今思えばあの悪政も役に立ったのである。祭りのような毎年行われる暗黙の約束のある行事を記録に残すのは、このような危機感がなければなかなかできるものではない。

 著者の中村茂子氏は、明治以後の花祭り伝承地の神道化と伝承の苦悩を、伝承芸能の次第変遷から読み取る試みをし、それが信仰の自然発生的時代変遷でも、過疎化や少子化のそれでもなく、明治の宗教政策が最大にして最悪な結果を招いたことを確認している。ついで、その後の変遷をも追及し、祭り見学だけでは見えてこない伝承地の人々の苦悩の部分を浮き彫りにした。もちろんご自身の調査資料を駆使しての論考だが、三十年以上を花祭り研究に尽力なさった故武井正弘氏の調査資料と、現地の方々の研究資料や文献資料を駆使しての大著である。

 三河花祭りに限らず、明治の宗教政策によって大変革を迫られた祭りは山ほどある。そうした祭りも、その時々の人々の求めに応じて生き残る方法を模索しながら今日までやって来た。しかし、今日の観光化イベント化の方策は、明治の大変革を実行した人々の苦悩を知ってのものとはいえまい。今、祭りを主催する年齢層は大変革以後、この新しい祭りが定着してから祭りを経験してきた人たちである。それほどに明治は遠くなった。そんな今だからこそ、花祭り伝承の明治以後の苦悩の歴史を書き留めた中村氏の功績は大きいといえよう。

 奥三河はダム建設や道路整備が村の過疎化高年齢化を招き、どの地よりも早く始まった少子化が、村の先行きをますます細くしてきた。こうした日常生活の変化の中で、観光化イベント化しながら生き残っていくのも民俗芸能の今日的ありようかとも思う。どんなに過去の信仰目的を謳っても、中世や近世のような祈りとしての民俗芸能を続けるのはきわめて困難である。それでも、奥三河には花祭りは欠かせない。なぜ、こうまでしてこの地に花祭りが必要なのか、本書はその究極の部分を追及した論文でもある。花祭りの見方を変える一書となろう。


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