野本 寛一著『山地母源論1−日向山峡のムラから−』
掲載誌:日本民俗学240(2004.11)
評者:永松 敦


生業研究の第一人者、野本寛一氏による椎葉・米良地方を中心とする山村民俗研究の集大成がこのほど著された。内容は次のように、大別して四部から成る。

 I 「個人誌」−山の人生と生業−
 U 生業
 V 山びとの環境観
 W 椎葉民俗拾遺

 著者は本書において、これまでとは違った記述法を試みた。それは、個人誌を綴るという方式である。山の民として生涯を捧げた古老の生き様をあらゆる角度から照射し追求することにより、実り豊かな山村の民俗をより立体的に浮かび上がらせたのである。

 これまでの民俗研究は山村民俗であるならば、狩猟・焼畑といった非稲作農耕文化論に偏るきらいがあった。しかし、山での生活者は狩猟や焼畑、或いは川漁などを分業して、各々を専業として従事した訳ではない。春から秋にかけて焼畑に従事しながら、夏には川で魚を採り、冬には猪や鹿を追い求めて山中深く分け入ったのである。つまり、山村の生活者は幾種類もの生業に従事していたのであり、季節や地形の微妙な変化を絶えず敏感に意識しながら生活の知恵を蓄積した。こうした研究法は、安室知氏の複合生業論によって今では定説となっている。

 複合生業による山の民による民俗知識の集積が日向山間部に全国的に見て比類のない神楽や民謡、焼畑の儀礼や山の神の信仰などの豊富な民俗文化を生み出した。柳田國男氏も椎葉の狩猟習俗に触れて絶賛したのは、このためである。

 同書は環境論にも目を見張るものがある。今まで誰も注目しなかった椎葉の民俗神を祭る荒神の森に注目した。寒冷地であるが故に、数少ない照葉樹林を荒神の森、即ち屋敷神として大切に守りつづけた事例を克明に報告する。そして、現在の山崩れや山村資源の枯渇は、精神的な変化に起因すると現代社会に警鐘を鳴らす。

 日向山間部の豊富な民俗文化は、日本人が自然と共棲してきた、まさに縮図とも言える原風景を辛うじて今に留めていることを、本書は訴えている。


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