久保貴子著『近世の朝廷運営―朝幕関係の展開―』
評者・安藤優一郎 掲載誌 日本史攷究 25(99.11)


本書は、近世の朝幕関係史を専攻する著者が、一九八五年から一九九四年までに発表した論文を元にまとめた学位論文「朝廷運営と近世朝幕関係」を、改題の上、刊行されたものである。
本書の構成は以下の通りである。
(目次省略)
序章「近世朝幕関係史研究の課題」は、朝幕関係史の研究動向を、三上参次氏の『尊皇論発達史』にまで遡って整理しつつ、本書の課題を次のように設定している。すなわち、幕府が規定することになる近世の朝廷運営に焦点をあて、その形成過程と形成後のそれをめぐる朝廷内の確執と幕府の対応などを検討し、朝廷の変容の実態を明らかにすること。そして、幕府・朝廷各々が朝廷を公儀の中にどのように位置付けようとしたのかを明確にし、公儀の一構成要素となった朝廷の位置の変化を改元を通じて検証することで、幕末・維新期の朝廷像の展望を試みることである。
まず、第一章「朝廷の再生と朝幕関係」では、慶長〜承応期の朝廷の内情を、幕府との関係を絡めて解明することで、従来とは異なる朝幕関係像の構築を試みたものである。当該期の幕府は、公家の新家設立を援助したり、関白職を摂家に戻したことに示されるように、摂家を核とする公家集団の再編を推し進めたが、こうした一連の幕府の朝廷政策は、統制のためであると同時に、幕府が「公儀」を形成するために朝廷の利用価値を認めていた故の挺入れであると評価している。
付章「幕府統制下に見る天皇家と有縁寺院」では、朝廷が幕府の新寺建立禁止の方針の中で、天皇家の関係寺院の復興や創建をなし得たのは、朝廷を「公儀」の一端を担うに相応しい存在にするために、幕府が必要と判断したからであることに着目すべきことを指摘したものである。
第二章「霊元天皇の朝廷運営」は、従来安定した状態と考えられてきた寛文期以降の朝幕関係について、天和・貞享期の三つの事件を素材として分析を加え、当時の朝廷中枢に二つの相反する考え方が存在していたことを解明した。すなわち、天皇(上皇)という天皇家の長による親政を理想としていた霊元天皇に対し、現実の朝政は天皇の意向を受けつつ関白ら臣下の者たちの合議体制によって行うのが基本という近衛基熈らの考え方が存在していたということである。
第三章「朝廷運営をめぐる霊元天皇と近衛基熈」は、第二章を受けて双方の確執の本質と当該期の朝廷運営のあり方を、元禄期の朝廷内の動向の検討により解明したものである。霊元上皇と近衛基熈は目指す天皇像の違いから悉く衝突し、対幕府についても、自己の意向を強引に進める上皇に対し、近衛は幕府との対立を避けて朝廷の繁栄の道を模索していたと指摘している。
第四章「『公儀』の中の幕府と朝廷」は、宝永〜正徳期の朝幕関係について、天皇継躰・近衛の関東下向・家継と八十宮の婚約問題を素材に検討を加えたものである。当該期は全体的には、近衛基熈・家熈父子の優位で朝廷運営がなされたが、家熈が摂政を辞任し、基熈の娘婿である将軍家宣が死去すると、第二次「院政」を敷く霊元上皇の意向の朝幕関係への反映が顕著になっていったと指摘している。
第五章「上皇・天皇の早世と朝廷運営」は、「朝廷復古」の機運を誰がどのように継承し主導していくかに主眼を置いて、享保期以降の朝廷運営の展開について検討を加えたものである。霊元天皇の在世中に高まった朝儀の再興・充実への機運は、桜町天皇の在世中までは引き継がれたが、桜町上皇の没後、天皇の早世が続くという皇統の危機を迎え、「朝廷復古」に向けて主導権を発揮する者が現れにくい状況となり、朝儀再興の実現は事実上頓挫した。だが、その一方、関白らとその他一部の公家衆との間に朝廷の現状に対する認識のずれが顕在化し、朝廷の変容の萌芽を見ることができるとする。しかし同時に、この段階では、天皇の「幼稚」を背景に、従来の体制を堅持することが肝要との意識が強く働いているとも指摘している。
第六章「改元に見る朝幕関係」は、霊元天皇期以降の元号制定をめぐる幕府と朝廷の交渉や朝廷内の動きを検証し、双方の関係、「公儀」における朝廷の位置付けの変化をみたものである。享保改元までは幕府主導型であったが、それ以降は幕府・朝廷共同型であり、その共同型も時代が下るにつれて、幕府の主導性の低下が現れてくることを明らかにしている。
終章「近世朝廷の形成と変容」は、各章のまとめと総括の部分である。そして、今後の課題として、朝廷の意思決定機構(朝廷運営)について、諸藩の動きを含めてより詳細に分析し、公儀の中の朝廷の位置の変動と実態を多角的に解明することを挙げている。
以上が本書の大まかな内容である。著者の指摘する如く、従来の朝幕関係史研究は幕府側の視点でしかおこなわれてこなかった側面が強いため、本書のように朝廷側からの視点に基づく成果は、そうした視点での研究の限界性を克服する上で、極めて有効性を発揮するものと言える。そして、本書の豊富な事例により、朝廷運営の実態も格段に明らかになり、それが今後の朝廷研究の貴重な前提になっていることも確かである。さらに、朝廷内にとどまる事柄においては概ね一致した行動を取る天皇・摂家衆・公家衆も、根幹をなす幕府に対する認識に相違があるため、朝廷の繁栄のあり方をめぐって確執が起り、一丸となってそれに邁進することを困難にしていたという指摘(三二二頁)が示すように、一枚岩ではない、朝廷の多面的な側面を明確にし得たことも本書の成果である。
しかし、そうした問題意識故に、朝廷側の主体性は明確化されているものの、それに比較して幕府側からの視点が若干弱くなっていることは否めないところである。また、幕末に朝廷権威が急浮上したのは幕府権力の失墜により生じたという従来の見方に対して、そのような単純かつ受動的な所産ではなく、長い年月をかけて、朝廷自らの意思によってその素地が形成されていたとみるべきであるという指摘(三二三頁)は重要であるが、この点についても、同様のことがあてはまる。それは、本書でも指摘されている朝廷の変容の問題とも密接に関連することであるが、やはり朝廷運営に対する幕府側の働きかけをもう少し踏まえることで、本書の真の意図もより果たせたのではないかと考える。そして、諸藩の動きを含めてより詳細に分析を加えていくことを今後の課題としているが(三二四頁)、まずは幕府の動きについて分析を重ねていくことが何よりも必要であろう。
しかし、これらの諸点は朝幕関係史研究だけの課題ではなく、幕(藩)政史研究の課題でもある。その課題を克服する上で、本書での貴重な成果が今後有効性を発揮していくであろうことは確かなところであり、本書が朝幕関係史研究にとどまらず、幕(藩)政史研究の更なる前進に資するところは非常に大きいものと言えよう。なお、評者は朝幕関係史研究については全くの門外漢であり、きわめて初歩的な誤解などをしていることを恐れる。著者の御海容を請う次第である。
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