今谷明・高埜利彦編『中近世の宗教と国家』
評者・幡鎌一弘 掲載誌・歴史評論 596(99.12)


本書は文字どおり、宗教と国家の問題を扱った一六人の編者・論者からなる論文集である。対象は南北朝から幕末にまで及んでおり、論題に関心の深い気鋭の若手研究者が寄稿したことで、緩やかながら一つのテーマを論じたすぐれたテキストとして捉えることができる。このような書が上梓され、また書評の機会が与えられたことを素直に喜びたい。
とはいえ、評者に五○○年の時間幅の中で展開される個別論文の成果と意義を正確に論じるだけの力があるわけではなく、それぞれが提示する宗教論・国家論を前にして、正直なところたじろがざるを得なかった。しかし、概ね同じ世代にあって、やはり宗教を研究するものの責務として、微力ながらあえて思うことを述べてみたい。
よって、ここでは個別論文を単体として取り出して、それぞれに細かく立ち入ることはせず、本書を一つのテキストと見た場合、内在的にどのような論点が析出できるのか、逆にこのテキストはどのような状況に置かれているのかについての言及にとどめたい。そのため、執筆者の意図からずれたり、評者の関心にそって論点の一部だけを取り出すなど、恣意的な書評となっていることをご了解いただきたい。
本書に論文を寄せられた研究者と論文名は以下の通りである(以下論文は数字で示す)。
@今谷明「室町時代における宗教と国制」
A田中浩司「寺社と初期室町政権の関係について―祈祷(命令)を中心に、北朝との関連を視野に入れつつ」
B高橋千恵「室町初期の『修法』―武家と寺院の関係を考えるために」
C伊藤幸司「堺における遣明船と禅宗勢力―東福寺派と取龍首座について」
D古河元也「中近世移行期の法華宗寺内組織と檀徒の構造」
E伊藤真昭「京都の寺社と統一政権」
F村井早苗「朝鮮生まれのキリシタン市兵衛の生涯」
G間瀬久美子「伊勢・賀茂正遷宮前後争論をめぐる朝幕関係覚書」
H山口和夫「霊元院政について」
I井上智勝「近世中期における吉田家批判の現実化―神位宗源占宣旨を題材に」
J笠原綾「伊勢御代参の年頭恒例化と将軍権威」
K小川朝子「近世の幕府儀礼と三方楽所―将軍家法会の舞楽を中心に」
L西村敏也「近世後期における武州三峰山の発展―異宗門交渉をキーワードに」
M朴澤直秀「近世中後期関東における祈祷寺檀関係」
N谷本晃久「幕末期、蝦夷地への寺院建立と開拓政策」
編者の高埜利彦が記した「はじめに」には、本書の特徴が短くまとめられている。それによれば、(1)室町期・織豊期・江戸期の国家権力の特質が描かれていることで、各時代の変質を捉える有効な素材を提供している。(2)宗教統制・祈祷を考えるときの権力構造を、幕府だけでなく朝廷・門跡・公家を含めた総体として捉えなければならない研究段階にあることを示す。(3)対象とする宗教・信仰の多様性、の三点であるという。(1)に関するような見通しを込めた総論的な部分は、編者の@に期待されるべき所であるが、事情によってそれが十分果たされなかったのは残念であった。なお、(2)に天皇は入っていないが、要素として欠くべからざるもので、Hのように直接それを対象にした論文も寄せられている。

本書は、個々人の自由な関心によって寄稿されたものであり、編者のイニシアチブのもとに論点や素材が戦略的に配置されたわけではないとされている。にもかかわらず、通時的に見て共通のポイントがいくつかある。一つは、本書に直接は扱われていない鎌倉時代までの状況は、黒田俊雄の提唱した権門体制を踏まえている点である(@AB)。もっとも、@Bは、その限界について若干のコメントを付しているが、批判を十分に展開したものではない。いずれも南北朝期を経て義満政権を一つの画期としている。Aは、義満政権を扱ったものではなく、その前史を丹念に分析したものである。ついで、中近世移行期に当たる戦国期から織豊政権期の大きな変動の後(DE)一七世紀における諸制度の整備に続いていく(GJ)。その後は、綱吉政権期を一つの転換点としている論文が見出せた(HIJ)
これらの転換点は、編者の先行研究などを踏まえ、新たな事実を掘り起こしつつ、多様な視点から照射されている。いわゆる戦国時代や織豊政権期といった大きな社会変動の起こった時代の宗教変動の研究のみならず、義満政権論や綱吉政権論と宗教研究のかかわりの深さを示している。

さて、宗教の問題に力点を置きながら本書を読む場合、中・近世両面において祈祷あるいは祈祷寺の問題が扱われていることに注目できる(@ABELM)。宗教として当然の行為とはいえ、祈祷主宰権の所在は国家権力を考察する上で論点の一つとなってきている。もっともABで詳細に取り上げられた室町前期の祈祷と、織豊政権期あるいはその後の祈祷が、どの程度信じられ、権力者の行動をも拘束したものなのかという心理学的問題での相違については、踏み込んだ議論が必要である。祈祷あるいは呪術に拘束される度合によって、それぞれの位置づけが変わってくるのは当然である。なおさら、近世では、宗教に関わる問題が「儀礼」的に扱われていることもあって(GJK)、宗教行為を権力との制度的・政治的な関係によって捉えるというだけでは、不十分に思えるからである。それぞれの時代の人が神仏をどのようなものとして信じ、救いを求めていたのか。あるいは求めなかったのか。幕府の外交・宗教政策の前に翻弄された人生を描いたFは、社会的な存在としての宗教ではなく、個人の信心を素描している。国家に回収されない人間の営みとしての宗教を照らし出すことで、問題を浮き彫りにしてくれていると思う。評者もしばしばとらわれてしまうことだが、中世の人のほうが近世の人より信仰的だという考えも、一旦は捨てて、その内実をよく分析する姿勢を忘れないようにしたい。
Lであつかう修験道は、聖護院と三宝院を本山として編成されているが、この両院は、Bで室町期に祈祷を主管する有力な院家であったことが示されており、本山となる由緒の形成にも光が当てられている。@で、戦国期における宗教の在地性深化が指摘されており、ABが戦国期に檀家を形成し、LMのように転換する道筋を見て取ることもできる。国家との関係であっても寺院側の問題に踏み込んだ議論をしようとする姿勢もあり(ABE)、在地性深化をふくめた寺社の営み全体の中で、天皇・朝廷や将軍・幕府の位置付けをあらためて問う必要が、特に近世にはあるように思える。寺社側から幕府をみる場合であっても、国家との関係を研究者が先に規定してしまいがちだからである(例えば、天皇・将軍だけでなく、守護大名から近世大名までの位置付けとそれらとの関係も考えなければならない)。ABのような包括的な検討が待たれるのではないか。
Mでは、村の祈祷寺院が扱われている。内部に檀家を含みつつ、村における宗教を論じたことで、国家論に広がりを持たせて考えることが可能になる。そもそも本書が対象とする社会は、前近代社会であって、国家を「幕府・朝廷」と規定してかかることは容易かもしれないが、原理的に言えば、国家的存在と社会的存在を明確に分けて考えることは容易でない。なにより、寺社もまた権力的な存在である。近世の身分制論では、身分を決定する重要な要素の一つとしての「地縁的・職業的身分共同体論」(朝尾直弘―一九八一)があり、戦国期から近代までを見通した「村町制」(勝俣鎮夫―一九八五)の提言があることは周知のことであろう。村・町における宗教(あるいは民俗)については少なからず研究があると承知しているが、このように考えると、宗教と国家との関係論の中にも村・町を組み入れるということは重要なことに思える。先に触れた在地性の深化とも関わる問題として、宗教の世俗化理論における、宗教の「国家制度と家族制度への分極化」がある(バーガー―一九七九)。この中間にある村・町の政治的位置付けや宗教的慣行を一つの軸にすることで、宗教の長期的な変動を理論化し比較する視点も開けて来るだろう(幡鎌―一九九六)。
またDは、戦国期の檀家組織が、町組織との類似性を持ち、そのことが法華宗の受容につながっていたことを指摘した。宗教社会学でいわれる「宗教の信憑性を支える構造」の問題である。近世における浄土真宗の教団組織と幕府組織との類似性のように(井上鋭夫―一九六○)、寺院全体を捉えてみる必要もあるが、両者の類似性は、単に形態のみならず、具体的な影響関係、運営方法やその特質の抽出にまで踏み込んでいくことが望まれる。Eは、徳川政権下にいたり、寺院が政権への依存度を増していくと結論づけたものであるが、このような寺院は、法度に示された規定だけではなく、法度の背後にある権力の性格からも影響を与えられ、寺院の構造あるいは僧侶の思考法に何がしかの変化を与えていただろうと思う(こうした観点は幡鎌―一九九七で試みた)。この点、Iが従来宗教史・思想史あるいは政治史で検討されるような個別の事象を総合するような方法を提供していることは注目されるだろう。

近世史で最近発表された論文の中には、「はじめに」の(2)のような総括を前提としたものもみられるようになった。こうした総括が、そのまま一人歩きすることに一抹の不安がある。次の文章を見ていただきたい。
「戦国時代や徳川時代そして幕末の政治も、天皇の権威に全く触れることなくしては語りえないものであることが最近の歴史研究で認められつつある。」
「はじめに」の(2)で主張されていることと、細部では表現や対象が違い、そしてなにより天皇を権威として取り上げて考えることと、権力構造を諸要素の総体として把握することは、確かに違う。しかし、天皇の存在を無視できないという方向性が違うとはいいきれない。この文章の書き手は、自由主義史観の中心メンバーである坂本多加雄である(坂本―一九九八)。(2)の総括の叙述には、いささか危険な落とし穴があることに気づく。正直言って、両者の類似に、少しばかりショックをうけた。
天皇制の議論を行うことによって、その体制を強化してしまう危惧については、早くから深谷克己によっても指摘されており(深谷―一九七八)、最近でも酒井直樹が、天皇制をめぐる「歴史的な言遂行面」の「自覚」を促している(酒井―一九九二)。自由主義史観の問題については、義江彰夫が検討を加えているが(義江―一九九八)、義江が指摘する天皇制を克服しようとした歴史的側面について、本書ではあまり配慮されていなかったように思う。
小熊英二は自由主義史観の背景分析から、歴史を含めた「言葉」の生産に関わる人々の力量と責任がこれほど問われている時代はないと結論付ける(小熊―一九九八)。国家ことさら天皇の問題に近づいていく場合は、なおさらであろう。まして、読み手に責任を負わす事も適切ではあるまい。
国家論あるいは天皇制論が盛んに議論されはじめた一九七○年代の研究を見ると、教科書裁判という現実的な課題などを契機として、歴史家としての問題意識を深めている様子がうかがえるが(天皇制をめぐる研究の詳細については、久留島典子―一九九五や山口和夫―一九九五の整理を参照されたい)、そこから現在の研究段階に到達した私たちの抱くべき問題意識は、どこへ向けられたらよいのだろうか。本書が生まれる契機となった「宗教と国家研究会」に参加した人々には自明なことかもしれないが、戦後歴史学の総括が学会のテーマになっている状況でもあり、総括の部分で、研究を牽引してきた第一人者の編者から何がしかの示唆があればと思った。
個別論文にあっては、国家の問題について示唆的な素材を提供してくれている。国家領域について言えば、近世後期・幕末の蝦夷地に創建された寺院を扱ったNは、周辺部から国家を照らし出そうとした点で貴重である。中世研究でのAは、尊氏の祈祷命今をうけた寺社の分布を俯瞰している点でこの問題に配慮しているが、東北地方で祈祷命令を受けた寺院が一力所にすぎず、「全国的」と表現された内実の違いを意識せざるをえない。Cは明との交流を扱うという点で、国家論に適切な示唆を与える可能性がある。ここでは国内の門派を分析指標に加えたが、明における国家と仏教の関係あるいは日・明仏教の違いや門派の関係など視野に入れることで、東アジア史的視野に立った宗教と国家の関連に展開できるように思える。

個別論文は、編者の言うように大変充実度の高いものである。本論で言及できなかった論点も多く、ぜひ通読し確かめていただきたい。そうすれば、我田引水の拙い評者のコメントで、それぞれの研究価値がゆらいだりしないこともわかっていただけると思う。また、執筆者の多くが、一九六○年代から七○年代生まれであり、本書の価値は、おそらく寄稿した研究者の今後の活躍によって、いかようにも光を増していくだろう。評者もこれらの研究に示唆を受けながら、新たな論点を発見していきたいし、なによりなぜ歴史を研究するのかを自問したい。
誤読・誤解については、ひとえに御海容を願いたいと思う。
【参考文献】
朝尾直弘「近世の身分制と賎民」『部落問題研究』六八輯、一九八一年一○月。
井上鋭夫『本願寺』至文堂、一九六○年。
小熊英二「『左』を忌避するポビュリズム―現代ナショナリズムの構造とゆらぎ」『世界』六五六号、一九九八年一二月。
勝俣鎮夫「戦国時代の村落」『社会史研究』六号、一九八五年八月。
久留島典子「中世天皇制研究史」『講座前近代の天皇五』青木書店、一九九五年。
酒井直樹「天皇制と近代」『日本史研究』三六一号、一九九二年九月。
坂本多加雄『歴史教育を考える』PHP選書、一九九八年。
バーガー・P『聖なる天蓋』薗田稔訳、新曜社、一九七九年。
幡鎌一弘「明治初年の宗教の世俗化をめぐって―奈良県における開化政策と宗教」『天理大学学報』一八三輯、一九九六年九月。
幡鎌一弘「近世寺院の脱呪術化と官僚主義について―興福寺学侶引付を一例に」『仏教史学研究』三九巻二号、一九九七年三月。
深谷克己「寛永期の朝幕関係」『近世の国家・社会と天皇』校倉書房、一九九一年、初出は一九七八年。
山口和夫「近世天皇・朝廷研究の軌跡と課題」『講座前近代の天皇五』青木書店、一九九五年。
義江彰夫「『自由主義史観』と歴史教育」『ナショナル・ヒストリーを超えて』東京大学出版会、一九九八年。
(はたかま かずひろ)
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