書評:山路興造 『民俗芸能研究』38(2005.3)
下野敏見著『御田植祭りと民俗芸能』

 私はかつて「御田植祭試考」という論文を書いたことがある(『芸能』二七巻五〜六号 昭和六〇年五月〜六月)。そこで全国に伝承された御田植祭の歴史を考察したつもりであった。ただし私の論文はマイナーな雑誌に掲載されるため、注目されないのが通例である(もちろん下野氏は読んで下さっている)。しかし、御田植祭については、今でも関心があるので、下野氏が『御田植祭りと民俗芸能』を刊行すると聞いて楽しみにしていた。
 下野氏は鹿児島県在住の研究者であり、そのフィールドは九州南部であることは承知していたが、表題からすれば、全国的な観点に立った御田植祭研究であるかもしれないという期待はあった。その点で手に取ってみて多少がっかりはした。やはり本書の調査の対象は南九州であった。氏はあとがきで「私は南島の種子島、北薩摩の川内川流域の芸能の悉皆調査をした」と書いているように、この地方においては絶対の自信を持っておられる。その意味では我々は、地元に腰を据えた堅実な研究者の、信頼できる民俗芸能報告を得たことを喜ぶべきなのかも知れない。
 まずその内容について紹介しよう。第一編が「御田植祭り」で、宝満神社(鹿児島県熊毛郡南種子町)・新田神社(鹿児島県川内市)・日向田代神社(宮崎県東臼杵郡西郷町)の三ヶ所が取り上げられている。種子島宝満神社の御田植祭りは赤米を奉納することで知られた神社で、全国の御田植祭の南限地。新田神社は大隅国の一宮とされた神社であり、古文書も多く残る古社で、棒踊りも伝承する御田植祭である。また日向田代神社は「オンダ祭り」と称されており、ウナリやミョウドなどが登場するが、氏は南方系文化を底流とし、その上層に修験文化が覆っていると指摘している。
 第二編は「祭礼と行事」と題し、鹿児島県下の祭礼と行事の調査報告。ただし長年県下各地を歩き、また全国的視野をも持った氏独自の鋭い考察が加えられている。その第一章は氏が、古代に淵源があるとする海神巡行の祭礼である大隅半島の御崎祭り(鹿児島県肝属郡佐多町 御崎神社)。第二章が知覧町の御船歌と家粥祭り、第三章が「先祖が二度来る島から」と題して、トカラ列島のおやだま祭りを報告。七月正月のある島の民俗である。第四章と第五章が、甑列島に残る内侍舞いと呼ばれる巫女神楽の報告。「隼人の国の内侍舞いと内侍神楽」と題して、薩摩郡里村八幡神社と上甑村などの祭礼行事を、また「上甑島の内侍の衣裳」と題してその扮装の具体像を書いている。
 第六章が加治木町の蜘蛛合戦。第七章が知覧町の水車からくり。知覧町の豊玉姫神社に伝承された水車からくりによって動く人形戯の調査報告で、「薩南に花咲く人形芸技術の謎解き」という副題が付されている。確かに写真を豊富に使用して、その実体を克明に報告してくれている。私もかつて訪ねたところだけに懐かしく拝読した。
 以上は薩南の変化に富んだ民俗芸能の報告が主体であったが、第三編「歌謡と民俗芸能」以下が論文編ともいうべきものである。まずその一章が「南日本御船歌の研究」。特異な消去歌唱法はどうしてできたかという副題がある。「日本の御船歌の南限地は南日本であり、正確にはトカラ列島であり、今もよく伝承されているのは種子島である」「南日本の御船歌は、ヤマト御船歌である。少なくとも天保七年以前に伝播した古いタイプの歌が、儀礼歌として合唱されている」というような確固たる結論は、いかにも南日本をテリトリーとしてきた著者の自信に満ちた発信である。
 第二章は「隼人の国に咲いた花、アケスメロ」という論。表題だけでは何なのか分からないが(下野氏の論題の傾向であるが読者には不親切である)、これは鹿児島県下の特殊な太鼓踊りのことのようである。薩摩郡入来町・宮之城町などに伝承している。この太鼓踊りを報告するとともに、薩南地方の太鼓踊りの芸態的特色について考察する。韓国の農楽との関係、太鼓踊りの表現、御船歌との関係などを考察し、最後に芸態を論じ、アケスメロの語源や成立について言及している。
 第三章が「隼人の国の芸能の発生と意義」。これは講演録であるが、氏の鹿児島県に伝承された民俗芸能に対する考えがよくわかる論である。神招きの芸能・神願いの芸能・神来訪の芸能・神遊びの芸能・鎮魂の芸能・ビナマキと隼人舞い・地霊鎮めと足耕の舞い・言魂の呪術・物真似の呪術・悪魔祓いの芸能という項目を立てて解説しているのが興味深い。
 第四章が「塗木やんせ踊り考」と題し、知覧町塗木に伝承された「不思議な魅力の踊り」(副題)の起源と特徴の考察。
 最後の第五章が「琉球国フェーヌシマ踊りと隼人の国の棒踊り」。「棒を持った人たちが登場して棒を振りながら、あるいは打ち合いながら踊るという棒踊りは、琉球国の故地沖縄や隼人の国の故地南九州で、現在も盛んに踊られている。この両地域の棒踊りは、どちらかがもとになっているというような関係があるのだろうか」という問いかけで始まるこの論は、南九州の棒踊りと棒術、奄美の棒踊り、沖縄の棒踊り(フェーヌシマ踊り他)を比較しつつ、その起源・伝播を考察する。棒踊りは日本各地にあり、その伝承も多いはずで、それらを考察した論文も多い(私も『京都府の民俗芸能』に「棒の芸・太刀の芸」という短い文を書いた)はずで、沖縄を含めて全国的視野で考察されるべきであるが、その南国編と位置づければ大変に貴重な論考である。
 以上本書の内容は薩南の民俗芸能研究である。表題との関係で若干私の期待は裏切ったが、内容的には第一級の薩南地方の民俗芸能調査報告と研究の書である。

詳細へ ご注文へ 戻 る