著者名:原田敏明著『宗教 神 祭』
評 者:森 悟朗
掲載誌:「神道宗教」196(2004.10)

 著者である故原田敏明は、一方で古代日本人の宗教社会を厳密な資料批判を用いて追究し、また一方でそれを基盤に日本で最初期のフィールド・ワーカーとして近現代の全国の神社祭祀を調査・研究した碩学であった。『日本古代宗教』『日本宗教交渉史論』『村の祭祀』『神社』『宗教と社会』『宗教と民俗』など著書は数多い。その膨大で深い「原田学」の学界に与えた影響は非常に大きい。このことは、本書第二編(目次は後述する)に論考を寄せた、原田と縁の深い六人の研究者の専門分野がそれぞれ異なっていることからも分かる。すなわち神道学は勿論のこと、民俗学、歴史学、民族学、宗教社会学、宗教人類学などに亙って影響を与えているのである。
 原田は神宮皇學館(のち皇學館大学)、熊本大学、東海大学(名誉教授号を授与される)などで教鞭をとったが、特に皇學館大学とは、戦前には大学昇格に尽力し、また晩年まで教鞭をとるなど縁が深く(本書第三編の故西川順土氏による「原田敏明小伝」、「略年譜」に詳しい)、昭和五十八年に逝去されたのち、その蔵書・資料類のほとんどが皇學館大学に寄贈された。それらは「毎文社文庫」(「敏」にちなむ)として皇學館大学神道研究所に収蔵されている。
 文庫の内容は、和本・洋装本はそれぞれ『原田敏明先生旧蔵 毎文社文庫目録』(平成八年、神道研究所)、『原田敏明先生毎文社文庫蔵書目録』(平成十六年、同研究所)にまとめられた(以下、本書第三編の牟禮仁氏による「編集後記−出版の経緯−」参照)。また九百八十冊に及ぶ覚書、原稿草案、調査資料は「原田敏明毎文社文庫研究調査資料目録」(『皇學館大学神道研究所所報』六七、平成十六年)として報告され、三千六百六十葉にのぼる調査写真は『原田敏明毎文社文庫写真目録』(平成十六年、同研究所)に整理された。
 そして平成十四年の寄贈資料のなかに、原田が逝去したとき書斎の机辺に置いてあった函があり、中には刊行が意図されていた貴重な原稿が納められていた。これを編者である牟禮仁氏を中心に、櫻井勝之進・故西川順土・櫻井治男・早川万年などの諸氏が先師の意思を生かして整理・編集され、本書の出版を実現された。
 以下にまず目次を掲げ、内容を概観したい。

 第一編 本編
  一、宗教/二、信仰/三、神・神社/四、神体
  五、祭/六、司祭者/七、評論・他/八、補論
 第二編 原田学研究
  原田敏明「宮座」論の普遍性と特殊性(住谷一彦執筆)
  日本文化研究と原田敏明の学説(ヨーゼフ・クライナー執筆)
  「原田学」における「日本古代宗教」論(岡田重精執筆)
  原田敏明の宗教社会学−宗教と社会の一般理論を求めて−(石井研士執筆)
  原田敏明の視座−古代社会論と古典の位相−(早川万年執筆)
  神宮に関する四つの新見解(櫻井勝之進執筆)
 第三編 補編
  小伝(故西川順土執筆)/略年譜/著述目録
 あとがき(原田敏丸)
 編集後記−出版の経緯−(牟禮 仁)

 本書は大きく三編構成になっている。第一編が本編であり、先に述べた著者の遺稿が収められている。項目名は基本的に著者によるもので、その研究の骨格を示すともいえるものである。その内容は、既刊の論文集に未載の論文・書評・辞典項目・短文等からなっている。辞典項目が多く収められていることもあって、「神社」や「氏神」「宮座」「当屋」「伊勢神宮」「祭」など原田学のキーワードについて著者の考えが端的にまとめられており、広汎で多岐に亙る原田学の大要を知るには最適の内容になっている。
 第二編「原田学研究」では、先述した通り、著者と縁の深い六人の研究者が、それぞれの分野から原田学の特色・意義・課題等を論じている。
 そこで、まず原田学の概要について要約したうえで、第二編の各氏の論考を紹介する。ただ紙数の制限もあるので、筆者が関心を持つ近現代の神社祭祀論と両墓制に関わるものを中心にとりあげることにしたい。
 原田は、日本の社会生活の根幹をなすものは農村であり、農村的性格が日本の社会制度の根底をなすとする。そしてその特徴として、@村人全体が協同して農作業を営む必要から生じる集団的性格、A地縁的性格をあげる。特にAに関しては、血縁的性格を重視した柳田に対し、それを二次的なものとした点で大きく異なっている。
 そして村の氏神は、第一に村という地縁集団の神であり、村人にとって生活に密接な関係を持った唯一・絶対の神であるとする。
 村の氏神祭祀組織の歴史的な変遷に関しては、本来は氏子全体が奉仕するのが氏神祭祀の基本であるとしたうえで、氏子の中から一年交替で神主を勤める当屋(頭屋)が発生する。その後、神社の祭祀・祭礼が発展し複雑化し、またその奉仕者の人格が尊敬を受けるようになったり、人間関係において血縁的関係や家柄を重視する意識が生じてくると、世襲化された専門の神職が成立する。
 宮座については、もともとは神社を中心に経済・政治・芸能も含めた一つの座が営まれていたが、歴史的な変化の中で分離・独立し、神社の座だけが宮座として残ったとみる。その後、村がしだいに拡大し、他所からの移住が増えてくると、従来からの氏子集団は一種の特権階級となる。しかしさらに経済的に村人たちの力が拮抗してくると、その特権が失われ、神社経営の面でもその権限が一般の村人に開放される。また原田の宮座論の特徴として、長老制や若衆組を宮座の本来の構成要素とは認めず二次的なものとする点もあげられる。
 氏神の祭祀を担当する当屋は、当番として村人を代表し、一年を通じて日夜直接に神霊を奉斎する。しかしこの神との同床共殿は精神的に長期間の緊張を強いられる。またそれはあまりに神の身近に居すぎて冒?になるという観念も発生する。そこで、時間的に当屋の神性を祭礼の期間だけに限定するようになったり、空間的に聖域を注連縄で張り廻らせた所や祭礼の場所、神社の境内に限定したりするようになる。
 そしてこの限定の結果、祭礼のとき、本来は神霊が当屋から神社に「お渡り」されていたものが、反対に神社から当屋へ一時的に「お旅」されるものと、氏子に観念されるようになる。
 また原田はこの「お旅」の観念への注目から、「若宮」に関して、祭礼のとき若宮の神霊が本社に「お渡り」する多くの事例や、またその際しばしば若宮の祭が本社の祭より重要となる点を指摘し、若宮は本来、氏子の間に本社の分霊が祀られ固定化し社殿が設けられたものと想定した。
 次に「両墓制」について述べる。埋墓と別に詣墓を設ける両墓制は柳田国男などの指摘によって日本古来の祖霊信仰、また祖先祭祀を示すものとして注目された。しかし原田はそれを否定し、両墓制は上代の古俗を示すものではなく、それも近世を余り遡らない時代からのものである可能性を示した。すなわち古くは死者に対してその穢れを忌み、村境の外に遺体を放棄していたような態度が、後代になって仏教の来世思想や死者尊重の先祖祭祀が民間に浸透したことによって、祖先の霊を供養し礼拝する姿勢に変化し、詣墓を設けるようになったと考えられるとする。
 以上のような氏神祭祀や両墓制の論点に関して、本書第二編で考察を加えているのは、住谷一彦、ヨーゼフ・クライナー、石井研士、櫻井勝之進の四氏である。
 まず住谷一彦は「原田敏明『宮座』論の普遍性と特殊性」において、原田の氏神論の特徴として、キリスト教・イスラム教・仏教などのように崇拝される神仏の側からではなく、つまり神や仏の本質論から神学的・哲学的に論じられるのではなく、むしろ祀る村人(氏子と呼ばれる)の側から「人と人との関係」、つまり宮座などの氏神の祭祀組織を通じて、具体的に理論が展開されていることを指摘する。そしてその分析を通じて村という共同体の世界観を理解し、ひいてはそれら農村を基盤とする日本社会全体が抱く世界観の解明を目指しているとする。
 また原田の両墓制の考え方に関しては、「このような見解は、民俗の新古を見ていくには、いわゆる古俗は辺境に残るという『周圏論』的な視点ではなく、むしろ文化の古くから発達した文化中心地に累積された文化層の厚みを解析することが重要であるという方法ないし視角に裏打ちされている。これは文化の発展能力と文化の受容力を重視する看点であり、私は仮にこれを『文化のすり鉢型』理論と呼んでいる」とする。そして原田の宮座論について、歴史民族学者岡正雄との見解の類似点を指摘しっつ、「共同体祭祀の日本的類型として特殊的に捉えることから、共同体祭祀の類型論を普遍的に展開することが可能」な、「いわば普遍性と特殊性の両面に向けて、開かれた性格の共同体祭祀論」と規定できるとする。
 次にヨーゼフ・クライナーは「日本文化研究と原田敏明の学説」において、住谷同様、原田の氏神祭祀論に注目し、柳田国男らの学説と原田学説を対比させ、前者を閉鎖的、後者を「開かれた性格」のものと捉え、どちらの視点にたつかによって日本の近現代史の解釈に重大な違いが生じると指摘している。
 また石井研士は「原田敏明の宗教社会学−宗教と社会の一般理論を求めて−」と題し、原田の民俗学者としての側面ではなく、宗教社会学者としての側面に注目して論ずる。原田論は、文献による古代宗教研究においても、近現代の日本農村のフィールドワークによる研究においても、視点は社会的存在としての人間、つまり人間は社会的存在であり、社会を離れて個人を考えることができないという基本的視点に立っているとし、フランスの宗教社会学者E・デュルケムとの理論的相似点を指摘する。そして原田の「村」の宗教と「町」の宗教を対比した捉え方には、デュルケムが指摘した社会の複雑化(complexity)や宗教の機能分化(functional differentiation)を読み取ることができないか、とも指摘している。
 ついで櫻井勝之進は「神宮に関する四つの新見解」において、原田の伊勢神宮論について「極めてユニークであり、未開発の分野を解明した」とし、それらを四項目に分けて紹介している。その中で櫻井は、伊勢の外宮をもって内宮の若宮とする解釈について、原田の論拠を一つ一つ検討し、この若宮説に依ると神宮の祭祀を理解できる部分が多いことを評価している。また式年遷宮を本来「神嘗祭の前段階としての遷宮」であるとした「祭典遷宮」説については、「爾来通説ともなっているようである」とする。
 以上四氏の論考の概略を紹介した。
 また原田の研究のもう一本の柱である古代宗教研究に関しては、岡田重精、早川万年の両氏が論考を寄せている。昭和十年代における原田の厳密な「資料批判」による古代宗教研究は、家永三郎によって「戦後特に大きな成果をあげた研究のいとぐちが開かれた」(『日本古典文学大系 日本書紀』解説)と評されるほどに斬新なものだった。
 岡田重精は「『原田学』における『日本古代宗教』論」において、原田はナチュリズム、アニミズム、マナといった術語を用いて分析したが、それをただ単に当てはめ分析するのではなく、直接に古代文献にあたって古語や漢字を丹念に検討し、その語釈の研究に深化をもたらし、古代日本人の宗教的心性を追究したとする。また原田の氏神の至上性・絶対性・無像性はウィーン学派の歴史民族学者シユミットの原始一神観や、その弟子コッパーズの「高神」Hoch-gottと符合している点を指摘している。
 また早川万年は「原田敏明の視座−古代社会論と古典の位相−」において、原田が上記のような古代宗教研究と同時に、近畿地方を中心に現代の農村の民俗調査を続けた点に関して、「長い歴史を有する農村の民俗の根底にあるものこそ、この国の伝統に他ならないと観じ」、そこに見出した共同体としての日本農村の姿こそ学問的に追求され、後世に語り継がれなくてはならないと考えていたとする。また「これに対して、数少ないがゆえに重視され、国民の歴史を語る際の出発点として扱われる古典は、そもそも日本の歴史の総体に対して、いったい何ほどのことを語り得ているのか、原田はここに冷静な眼差しを向けていたように思われる」とした。そして原田の遺した多くの論考は、今日でも大きな意義を有するわれわれへの「問いかけ」であるとした。
 以上甚だ概略ながら本書の内容紹介をさせていただいた。原田学は、日本の宗教、特に神社に関する研究を行う者にとって必修の研究であろう。本書は第一編においてそのキーワードについて著者の考えを的確に知ることができ、第二編の諸論文によってその論点の現在における意義を知ることができる。そして第三編には著者の「略年譜」や詳細な「著述目録」も付されており、まさに原田学の事典的役割を果たす。会員諸氏に是非ご一読をお薦めしたい。

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