書評:田畑 勉       『地方史研究』314(2005.4)
井上定幸著『近世の北関東と商品流通』

 本書の著者・井上定幸氏は、群馬県の県立高校→県教育委員会→群馬県史編纂室→県立養護学校→県立文書館→財団法人群馬県地域文化振興会に勤務するかたわら、さらに、一切の公的勤務から離れて喜寿をこえる今日に至るまで、五十年余にわたり一貫して、地元の近世社会経済史の研究に邁進されてきた。著者は、二十歳後半の若き日、創立期の地方史研究協議会(以下、本会と略す)に参加し、昭和二十八年の群馬大会を皮切りに、毎年のごとく、本会の年次大会で精力的に研究発表を続けられた。その後も、著者は欠かさず年次大会に参加して、多くの会員と交流することを、研究の原動力とされてきた。
 その著者が、平成十六年十月に開催された本会の高崎大会で、栄誉ある「児玉幸多賞」を受賞された。これは筆者が日ごろから、著者を畏敬の“地方史研究者”と思ってきたことが、やはり、大方にも認められていた証左であると確信した。
 ところで、今回、刊行された本書は、多岐・多数にわたって発表されてきた諸論文のうちから、近く刊行を予定されている、産地で買占めにあたる「江州商人」関係のものを除く論文を収めている。本書は、刊行後まもなくご逝去された、かつて、本会の通称“幹事長”、次いで会長を務められた、木村礎氏の「戦後地方史研究と井上定幸氏」にはじまり、以下、次のような構成をとっている。
     まえがき
   T 農村の家族形態と雇用労働
 第一章 近世における農村構造と家族形態に関する一考察
     −北開東・東上ノ宮五人組帳の分析−
 第二章 近世期農村奉公人の展開過程
     −北関東・畑作(養蚕)地帯の一事例−
   U 領主米の地払いと流通
 第三章 高崎藩城米のゆくえ
     −払米制度の成立と運用実態−
 第四章 旗本領における貢租米の地払い形態
     −佐位郡東小保方村・久永氏陣屋元史料の紹介−
   V 信州米と越後米の流入
 第五章 西上州における信州米市場をめぐる市立て紛争の展開
     −西牧領本宿村の天明五年「穀市立て訴訟記録」の紹介−
 第六章 上州沼田藩領における米穀流通統制
     −他所米津留政策をめぐる二、三の問題−
   W 特産物の生産と流通
 第七章 近世西上州における麻荷主の経営動向
     −下仁田町桜井家史料の紹介と若干の考察−
 第八章 館煙草の流通をめぐる二、三の問題
     −産地荷主木部家文書の紹介を中心に−
   X 製糸地帯の形成と糸繭商人
 第九章 幕末・維新期東上州における糸繭商人の実像
     −山田郡塩原村高草木家の経営動向をめぐつて−
 第十章 横浜開港後における越後生糸・繭の関東流入形態
     あとがき
 すなわち、本書は著者の研究をTからXの分野に大別し、それぞれに、代表的な二編の論文を二つの章とし、計十編の論文を十章に収めている。その内容について、順次紹介することにしたい。
 「T 農村の家族形態と雇用労働」(昭和二十七年〜同三十五年にかけて発表された、関連論文から選ばれたもの。以下、発表年のみ示す。)
 第一章(昭和三十一年発表)は、前橋藩領東上ノ宮村の元禄十一年〜明治六年にかける「五人組帳」を詳細に分析する。そして、零細な本百姓経営の崩壊が、展開する地主手作経営(非血縁者を内包)の労働力供給源となる元禄〜享保期、地主手作経営が解体し、家庭労働を軸とする小規模農民経営(血縁者)の展開にともなう、戸数が増加する宝暦〜安永期、災害等をひきがねに、戸数・人口共にきわめて減少する幕末期、血縁構成が単純化し、家族員が増加する明治初期と、村の農民戸数・人口、および家族構成の有機的関連の動向を継起的にとらえ、特に、元禄〜享保期の地主手作経営層の複雑な血縁構成の実態をも論証する。
 第二章(昭和三十五年発表)は、上州榛名山麓畑作=養蚕地帯の高井村の福島家に残る、寛永十四年〜明治八年にわたる一五三通の「奉公人手形」を分析する。これにより、譜代形態の残存と原型的質物形態の第一期(寛永・寛文〜延宝期)から、押切質(居消)形態の第二期(寛文・延宝〜享保期)、押し切質形態と年給・給取形態出現の第三期(享保〜寛延期)、年季・給取の一般化と日割形態出現の第四期(寛延・宝暦〜化政期)、年季・給取の存続と短期・養蚕・日雇形態展開の第五期(化政・天保期以降)へと、奉公人=雇用労働力が進化する過程を段階的にとらえて示し、特に、第五期にあたる、福島家の養蚕経営を基軸とするブルジョワ的側面の発展と、それに対応する雇用労働力のあり方について論証する。この論文は、発表当時、幕末の経済発展段階が注目されるなかで、雇用労働力の進化のとらえ方に一石を投じ、若き日の著者の新進気鋭ぶりをほうふつさせるものがある。
 「U 領主米の地払いと流通」(昭和四十三年〜平成十五年)
 第三章(平成十五年発表)は、高崎藩領内における米穀流通について、藩主間部家の時代に行われた、貢租米換金策の一つとして始まる藩有米の地払いに源流を求める。その後、藩有米の地払いは、藩主家の交代があるにもかかわらず、制度的に定着するようになる、地払い業務の一括担当者である払米掛屋によってになわれ、藩領内における米穀流通の基軸になるが、後期には、在村の米穀商人による農民余剰米の流通もおきることを究明する、最近の成果である。
 第四章(昭和四十三年発表)は、在地の陣屋元史料を駆使し、財政困窮化する上級旗本久永家(三二〇〇石)の財源確保からおきた、村役人層の調達する雑用金の元利決済のためにおこなう貢租米地払いが、さらに翌年の貢租米の前売りをもきたす先納金すら生むことによって、知行地における地払い米流通の一般化を究明する。米穀流通に取り組まれた最初の成果である。
 「V 信州米と越後米の流入」(昭和五十三年〜平成十四年)
 第五章(平成十四年発表)は、天明五年、西上州西牧領(幕府領)において、流入する信州米の市立てをする本宿村と、新たに市立てを試みる隣接の市野萱村との間におきる、代官所から勘定奉行所にまで持ち込まれた紛争について、その初発から決着までの詳細な争論をベースに、西上州米穀市場の成立が背景にあったことを論証する。
 第六章(昭和五十九年発表)は、中期以降、米穀の非自給地域にある沼田藩の穀留令について、実施する機構・状況、その影響をうける隣接他領域、飢饉時における対応等を分析し、それまで維持してきた実効性と、幕末期の米価騰貴のまえにそれが失われることを究明する。
 「W 特産物の生産と流通」(昭和五十六年〜平成十六年)
 第七章(昭和五十六年発表)は、地域特産物(麻・絹・糸・繭)を取り扱う、西上州下仁田町の在方商人桜井家の経営について、大きな比重をしめる上質な麻の江州・江戸・名古屋・大坂の遠隔地麻仕入問屋に対する一方的な売り手立場の販売が、寛政期以降、各地の麻仕入問屋による産地直接買付けの動向によって、不振におちいることを論証する。
 第八章(平成五年発表)は、初期の頃から名産として知られる館煙草について、江戸館問屋から仕入内金を受けて原料葉煙草の集荷にあたる、高崎藩領山名付の産地館問屋荷主木部家が、寛政期以降、城下町高崎に展開する、煙草刻職人を傘下におく、煙草商品を生産・販売する高崎館問屋と結んで、脱却・自立することを究明する。
 「V 製糸地帯の形成と糸繭商人」(昭和三十年〜平成十六年)
 第九章(平成十二年発表)は、幕末期に上州内に形成された絹生産工程の地域的分業のなかで、赤城東南麓の製糸地帯において、大間々糸繭市に密着する糸繭商人として成長した、旗本能勢家知行地塩原村の高草木家が、横浜開港後、奥州出買いを導入し、生糸・蚕種を扱う浜向け商人へと転身して、経営を拡大することを論証する。
 第十章(昭和五十七年発表)は、幕末・維新期に、三国街道八木沢口留番所を通過する、上州向けの越後産糸繭の流入につき、その中心が上州絹織物生産への原料供給から、横浜移送の貿易品になることを究明する。
 以上、拙い紹介からも知られるように、本書は著者の代表的な論文を収めた論文集であることから、十章にわたる論文をもって、特別な結論を導き出そうというものではなく、換言すれば、章とする各論文そのものの成果を問うものであろう。筆者は本書から、著者が県内をくまなく採訪され、大量の「在地史料を発掘し、それから知りえた歴史事実」(あとがき)を細密に組み立てる姿勢を、あらためて教えられた思いである。書評が著者と本書内容の紹介にとどまったが、大方のご寛恕をいただきたい。

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