第9回日本山岳修験学会賞受賞
福江充著『立山信仰と立山曼荼羅―芦峅寺衆徒の勧進活動―』

富山湾を見下ろすように北陸にそびえる立山は、山中に地獄と称される場所があることで、平安時代すでに都まで知られていた。福江充氏はその立山の宗教と歴史をめぐって、じつに精力的に取り組んできた。今回第9回日本山岳修験学会賞推薦の対象となった本書は、氏のこれまでの研究を体系的に集約したものである。以下その内容と特色について簡単に紹介してみることにする。
本書における立山信仰に関する研究はおおむね二つの方向に大別される。その第一は、信仰対象としての立山を管理する、芦峅寺という宗教組織をめぐっての考察である。本書では全10章のうち、第1章「もと高野山の学僧龍淵の在地宗教活動」、第2章「江戸時代の立山参詣者」、第3章「『芦峅寺文書』に見る布橋と布橋潅頂会」、第8章「立山山麓芦峅寺の宿坊家と護符」、第9章「近世幕末期の江戸における立山信仰」、第10章「立山講社の活動」がそれにあたる。各章の内容の一々について紹介するゆとりはないが、第3章を例にとるならば、立山一山の行事としてあまりに有名な布橋潅頂の、布橋という呼称ははじめ橋そのものの名ではなかったこと、呼称としての「布橋」の初出は宝暦10年、「布橋大潅頂」の名も文政10年が初出であること、そして文政期末に法会としての完成の域に達したこと、さらにはその後芦峅寺が山上への権利を喪失することと引き替えのようにして、多数の民衆が参加するイベントとして発展していったことなど、同行事がきわめて古くから存続していたというこれまでの漠然とした思いこみに大きな―石をなげかけた。近世末期という時代への着目は、研究方法の上から見れば、確実な史料に基づいて立論するために欠かせない条件で、その点に物足りなさを指摘する向きもあろうが、福江氏の研究の堅実さを物語るものといえよう。同様に第9章で、芦峅寺衆徒が近世末期の江戸の旦那場を舞台に行った廻檀配札活動の解明は、地味ながらも立山信仰の実態をみていく上に極めて重要な仕事となろう。
福江氏の仕事の領域の2つ目は、立山曼荼羅に関する考察である。この分野の研究は本書の第4章「立山曼荼羅『坪井龍童氏本』について」、第5章「立山衆徒の勧進活動と立山曼荼羅」、第6章「近世後期における芦峅寺系立山曼荼羅の制作過程についての一私論」、第7章「越中立山の地獄信仰と立山曼荼羅に描かれた地獄の風景」の4つの章で論じられた。芦峅寺の衆徒が廻檀配札活動の際に持参した、いわゆる立山曼荼羅は現在40本ほどの存在が確認されている。氏の仕事のこの分野での功績の第一は、それら各本のあいだの模写関係をつきとめ、系統づけたことであろう。その際、高野山出身の真言僧龍淵の活動を明らかにするとともに、龍淵の改作になる1本を基準作品として位置づけることによって、現存立山曼荼羅のすべてが文政末期以降の制作になるものであることの論証に成功した。
民衆宗教の対象としての立山の発展をこのように近世末期以降に求める視点については、信仰するものの立場からは若干の抵抗感はあるかもしれないが、それは研究者の立場とはおのずから別のものである。豊富な史料に基づく着実な論旨の展開は、ひとり立山のみならず、全国の山岳宗教研究のモデルともなるものであろう。

以上の理由によって、本選考委員会は福江充氏の『立山信仰と立山曼荼羅―芦峅寺衆徒の勧進活動―』を、第9回日本山岳修験学会賞にふさわしいものとして推薦するものである。

第9回日本山岳修験学会賞選考委員会 委員長 真野俊和
小田匡保・神田より子・永井彰子・吉井敏幸

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