岩鼻 通明著『出羽三山信仰の圏構造』
掲載誌:山岳修験33(2004.3)
評者:時枝 務


 本書は二〇〇三年三月に京都大学へ提出された学位論文に若干の補筆を加えてまとめられたもので、『出羽三山信仰の歴史地理学的研究』(一九九二年、名著出版)、『出羽三山の文化と民俗』(一九九六年、岩田書院)に次ぐ三冊目の出羽三山信仰に関する研究である。

 本書は序章と終章を含めると全六章から構成されている。

 序章の「地理学からみた出羽三山信仰」では、宗教地理学の研究動向に簡潔に触れたのち、研究対象、研究の視点と方法を論じ、さらに出羽三山を対象として選定した理由や歴史的な概観が記述される。そのなかで重要なのは、研究の視点と方法として掲げられた「山岳信仰の圏構造」という捉え方で、「山岳信仰の中心―周辺関係を聖域圏・準聖域圏・信仰圏の三つの領域からなる圏構造として把握する」(五頁)基本的な視点が示される。この理論の出羽三山での具体的な検証作業の結果が本書として結実したことはいうまでもない。

 第一章の「出羽三山をめぐる宗教集落」では準聖域圏として把握される宗教集落が取り上げられる。まず、出羽三山の宗教集落を起源から「近世再編型」・「近世成立型」・「未成熟型」に類型化し、ついでその景観・社会構造・機能について検討し、「近世再編型」では宿坊機能が発達したのに対して、「近世成立型」では宿坊機能が十分に発達しなかったことをあきらかにする。さらに、各宗教集落の檀那場の分布を示し、「近世再編型」が「近世成立型」よりも広域にわたる檀那場を擁していることを指摘する。そのうえで、おもに近代における宗教集落の動態に注目し、「近世再編型」が現在も宗教集落として機能しているのに対して、「近世成立型」が近代に衰退した事実を確認する。

 第二章の「出羽三山信仰の地域的展開」では信仰圏の問題が議論される。まず、出羽三山信仰の分布を末社・石碑・講を手がかりに解明し、ついで各地の民俗の実態を提示し、その広がりが同心円的な構造をもつことを指摘する。本章では事例の提示に重きが置かれ、その分析はおもに終章でなされている。

 第三章の「旅日記にみる出羽三山」では信者の旅の記録が取り上げられるが、その分析は「旅日記そのものは、信仰圏内に残された史料であるが、記録の中には、準聖域圏および聖域圏に関わる内容が豊富に盛り込まれていることから、いわば信仰圏と準聖域圏および聖域圏とをつなぐ史料」(一一頁)と位置づける視点からなされており、聖域圏の問題に切り込むための準備を整える意図もこめられている。まず、著者の精力的な調査によってあきらかになった旅日記の所在を示し、ついで代表的な事例の行程と参詣季節を整理し、出羽三山への参詣の旅が「往路と復路では異なる街道を経由し、同じルートを再び辿ることはない」(一六〇頁)「循環的行程」であることに着目する。さらに、出羽三山登拝の行程を検討し、三山全てを駈けるのが一般的なあり方で、羽黒山・月山・湯殿山の順での参詣が多かったことをあきらかにした。また、「紀行文にみる三山参詣」と「旅日記にみる食文化」が付され、旅の文化的広がりを知ることができる。

 第四章の「出羽三山の山中他界」では聖域圏を取り上げ、古地図や絵図を史料として検討するなかで、聖域の特質に迫っている。まず、古地図に出羽三山がどのように描かれているかを紹介し、ついで「三山一枚絵図」の解読を試み、そのコスモロジーをあきらかにする。さらに、近代になって作られた案内図との比較によって、神仏分離がもたらした景観の変化について考察する。また、『三山雅集』などの名所図会にみえる出羽三山の景観について紹介し、最後に出羽三山における地獄と浄土の実態について検討を加えている。

 終章の「出羽三山信仰の圏構造」は本書の結論である。冒頭で、著者は「地理学的考察の結果として、出羽三山信仰は同心円的な圏構造を有していることが確かめられた」とし、「霊山の山頂を中心とする聖域圏、霊山の山麓に展開する準聖域圏、そして平地の村落部へ向けて拡がる信仰圏からなる山岳信仰の空間構造が存在する」と主張する(二三七頁)。そして、まず、各圏域の境界を検討する。聖域圏と準聖域圏の境界は「非日常的空間と日常的空間の境界」で、聖域圏が「山岳信仰の登拝者のみが入ることを認められていた空間」であるのに対して、「準聖域圏は山岳宗教集落が立地して、人間が居住する生活空間である」と規定した(二三七頁)。その指標として女人禁制などの入山規制を挙げる。準聖域圏と信仰圏の境界はいずれも日常的空間に属するため曖昧であるが、準聖域圏の宗教集落は高距限界に立地しており、そこから上は聖域圏となるため、「準聖域圏の空間そのものが、日常的空間と非日常的空間の境界に位置する両義的空間である」(二三九頁)として、橋や川が準聖域圏への入口となっていたことに注目する。そして、信仰圏を参詣者の年齢・信仰形態・出羽三山から勧請した分霊の分布を指標として、第一次から第三次までの信仰圏を設定し、各圏域の内部により小さな範囲の地域類型を見出す。また、聖域圏内部にも自然環境を巧みに取り入れたより狭い範囲の宗教空間が存在したとし、各圏域自体の内部にまで圏構造と同様な構造原理が浸透していたことを指摘する。そのうえで、日本の山岳信仰に中心地体系が認められるかどうか検討するが、結論は保留している。

 本書の最大の特色は、出羽三山信仰の研究として貴重な成果である以上に、地理学における山岳信仰の研究方法を具体的に示した画期的な研究である点にあろう。主要なテーマである山岳信仰の圏構造のみでなく、社寺参詣の「循環的行程」や自然と宗教が一体となった聖域圏の宗教景観など、今後地理学の理論としての深化が期待される視点がふんだんに盛り込まれているだけに、読み応えがある。しかも、着実なフィールド・ワークの成果のうえに構築された理論体系であるだけに、今後出羽三山以外の山岳を対象とした研究をおこなう際にも大いに参考になる研究であることは疑いない。

 著者が用いた資料は、聖域圏については地図・絵図・絵画資料など、準聖域圏については集落・文書史料・民俗資料、信仰圏については文書史料・金石文・民俗資料というようにかならずしも均質ではなく、空間を認識するうえで役立ちそうな資料を貪欲なまでに収集し、分析するという手段が採用されている。個々の資料の性格はそれぞれ異なるわけで、それら異質な資料を縦横に使いこなす技は、長年のフィールド・ワークのなかで培ったものにちがいない。旅日記など決して読み易くはない史料を読みこなし、さまざまな事実をあきらかにしていることには、まったく頭が下がる思いである。資料の基礎的な検討は地理学の知識や方法のみではなしえないわけで、それぞれの資料に即した学問的方法を必要な範囲で会得し、みずからの目的に合った使い方を可能にしたようである。その点で、本書は、学際的な性格を帯びた著作であるといえるかもしれない。

 ところで、本書で示された出羽三山信仰の圏構造は、近世に形成されたものと考えられるが、はたしていつ頃まで機能していたのであろうか。聖域圏が神仏分離を契機に大きな変容を来たし、準聖域圏が近代に「近世再編型」と「近世成立型」で明暗を分け、信仰圏の民俗社会が高度経済成長期以降変貌し、出羽三山登拝習俗が衰退したことは本書の随所で述べられているが、圏構造の動態モデルがかならずしも示されているわけではない。むしろ、本書で提示されている圏構造は、各圏域が十分に機能していた段階、おそらく江戸時代後期から明治時代前期の実態を反映したものなのではないか。とすれば、現在の出羽三山信仰はどのように捉えられるのか、あらためて問う必要がありはしないか。宗教学者や民俗学者が現在に強い関心を寄せていることを考えると、学問を越えた共通の課題を解決するためにも、なおさらその必要を感じるのである。

 また、信仰圏については従来から民俗学者を中心にさまざまなモデルが提示され、議論がなされてきたが、著者は参詣者の年齢・信仰形態・出羽三山から勧請した分霊の分布を指標とする新しいモデルを設定した。従来のモデルの多くが理念的なもので、かならずしも実態に即していなかったのとは異なり、明確な指標が示されており、その妥当性をめぐって活発な議論が起こることが期待される。信仰圏という用語は、なにかと安易に使われる傾向があったが、今後はより精緻な認識にもとづいた理論化が求められることになろう。

 地理学に疎い評者では手に余る本書であるが、文章は平易で、内容もわかりやすい。山岳信仰に興味がある者ならば、誰でも楽しみながら、地理的な物の見方を学ぶことができる本であることも驚きである。学位論文などと聞けば、それだけで辟易してしまいそうであるが、なぜか本書はわかりやすい。もっとも、わかったつもりになっているだけかもしれないが、評者のような門外漢でも飽きることなく一気に読み終えたことを告白しておこう。研究者のみならず、山岳信仰や宗教に関心のある一般人に、本書をお勧めするゆえんである。


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