菅原 寿清著『木曽御嶽信仰−宗教人類学的研究−』
掲載誌:山岳修験33(2004.3)


 本書の著者菅原氏は、二十数年来の研鑽を踏まえ、サブタイトルのごとく宗教人類学的視点からの詳細な事例探究によって、木曽御嶽をめぐる宗教文化を豊かに描き出した(全三五四ページ)。

 木曽御嶽は、いわゆる修験霊山と呼ばれる他の地方山岳と異なり、江戸期後半の覚明・普寛以降、前座・中座・四天などと称される独自の宗教的役割を有する行者を中心に、御座という宗教行為を格とする講組織を営んできたという特徴をもつ。さらに、こうした御嶽講を三峰山、武尊山、八海山などの地方霊山をはじめ他地方にも展開させてきたため、これまで修験道研究の枠に留まらない多様な研究が進められてきている。

 とくにそのうち、御座の成立論に関して生駒勘七や宮田登は、覚明ら以前に「御嶽」の名に示されるような修験的な土壌が存在し、もしくは土着的な何らかの巫術(例えば山伏とイチとのセット)をベースとして、後に木曽谷に来た覚明らにより御座が体系化されたとするいわば習合論的な起源論を提唱していたと考えられる。また、修験道研究の観点から鈴木昭英や宮家準は、御座と修験道の憑祈祷との関連を、かねてから指摘していた。

 それらに対し本書では、各地に残る伝承の考察などから、覚明の段階では一人で行うものであったのが、霊媒的な能力に加えて神霊を統御する能力をもっていた普寛を経て、泰賢、一心らその弟子たちによって次第に御座の形が整えられたという推論を導いている(主に第五章)。御座の生成に関する新しい見解として特筆できる。

 さらに本書の独創的な点としては、民間宗教者の調査研究では常套手段ではあるが、御嶽行者についてはおそらく最も早く、その詳細なライフヒストリーをかなりの数収集し、分析していること(第一章)。中座を単によりましとして捉えることに異義をとなえ、御座の過程における中座・前座の宗教行為を多様な事例を通じて分析し、中座の巫師的な側面を捉え直そうとしていること(第二章)。治病儀礼の詳細な事例分析(第三章)。大神−諸神−霊神という御嶽のコスモロジーと、御座とが対応するという指摘(第四章)、などが挙げられる。また、三峰山・三笠山・八海山・武尊山などへの御嶽信仰の展開を新史料によってあとづけ(第六章)、御嶽に特有の霊神に関しては、大神−諸神仏−霊神という三区分されたコスモロジーの基層部に位置して祀られるものとして、霊神碑をめぐる儀礼を木曽と他地方に渡って報告している(第七章)。

 以上のように、本書は一九八〇年代以降の木曽御嶽信仰の研究において、確実に新しい地平を切り開いた実証研究が集成されているとしてよい。ただし、十数扁におよぶ初出論文の発表から本書の著作化までにかなり時間を経ているものがあるため、より最新の観点による再編集がなされていたらと惜しまれる点も指摘できる。例えば、サブタイトルの宗教人類学的という分析視点の設定が、必ずしも明確でない憾みがある。序章による限り、シャーマニズム研究の一環という意味であろうが、「シャーマニズム」とは何かや、頻繁に使用される「シャーマニスティック」「シャーマニック」という語の意味も、定義が明確でないといえようかと思う。また、各章で先行研究が簡略に位置づけられている場合もあるが、御嶽講や御嶽信仰の個々の局面に関してどこまでが先学による共通理解で、どこからが著者の貢献なのか分かりやすいとはいえない。とくに、第四章のコスモロジーや第五章の御座の成立論は著者の独立的な業績とすべきに見えるだけに、研究史上に自らを位置づけて記す方が、読者に親切だったかもしれない。また、これは著作の編纂上の問題か初出時点でそうだったのかは不明だが、当初は木曽福島の事例分析であったものが、結論部分で「木曽御嶽信仰」としていわば理念化されてゆく立論には説明が必要かもしれない。

 しかし、多少の難点を指摘しても、本書に紹介された豊富な事例や独創的な立論に比べれば、本書の価値は少しも落ちることはない。むしろ、著者に続いて木曽御嶽や各地の御嶽講を調査研究する若手研究者が現在まで複数輩出している現実を見れば、著者の研究がいかに里程標として踏まえられているかを示すものである。

 以上により、本書は著者の木曽御嶽信仰研究の集大成として、本学会賞に値すると考えられ、ここに推薦する。

 二〇〇三年十一月九日

第十三回 日本山岳修験学会賞 
選考委員・木場明志(委員長)/時枝務/長谷川賢二/福島邦夫/由谷裕哉


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