岡田 博著二宮尊徳の政道論序説−報徳獺祭記−
掲載誌:富士信仰研究会々報 第17号(2004.8)


 岡田会長が岩田書院より刊行された新刊。現在は休刊中の一円融合会の機関紙『かいびゃく』に連載途中であった論考を纏められたものである。岡田氏が『かいびやく』に連載された論考は今回以前に三回。「二と三を結んだ人たち」「二宮金次郎あて小谷三志書状考」「郷土史の中の報徳考−二宮尊徳の思想と報徳を醸成した村−」の三編は既に単行本化されている。

 氏が富士信仰と出会ったのは四十六歳の時というから、現在の私と正に同年齢。既に枯れようとしている自分と比べて氏の研究・調査は何かに取り付かれたような凄まじいものであった。

 十六年前に氏に知己を得て、氏のお宅に日参し氏の蔵書を真似て富士講文献を収集するようになったのだが、どうしても真似のできなかったものが、氏を報徳に没頭させた『二宮尊徳全集』であった。当時五十五万の大枚を書籍購入に費やす在野の研究者というのも凄いが、それを「獺祭」(かわうそが捕らえた魚を食べずに並べて楽しむということから積読の意。)せずに精読し、三志と尊徳の思想的関係を解明してしまったのだから恐れ入る。(氏にはその業績を矮小評価する自虐的傾向が多々ある。)

 確かに、一連の『鳩ヶ谷の古文書』の論考と比べると、報徳に関係する氏の著書は次第に富士講から遠ざかっていく感がある。また氏自身が述べられているように氏の研究は富士講から最終的に「不二道」に到着したかもしれない。実際、今回の論考を富士講関連文献として読めば既刊のものと比べても一番富士講とは遠いものと言っていいだろう。しかし、初期富士講が身録によって教義を確立し、三志によって新たな思想を得、尊徳をも感化していった歴史が、氏の研究史を通して追体験できるかのような印象を感じた。氏の既刊を精読した上で是非とも揃えなければならない一冊であると思われる。

 この手の刊行物としては安価である本書の価格は、氏の持ち出しによって支えられているという事情もお伝えしておかなければならないことだろう。

 それにしても富士講の資料の発掘が、岩科小一郎・岡田博という先達によって、ここ三十年の間になされた奇跡に我々は感謝しなければならない。


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