木村 衡著古代民衆寺院史への視点
掲載誌:地方史研究310(2004.8)
評者:國見 徹


 著者は明治大学大学院を修了後、神奈川県相模原市に奉職し、教育委員会埋蔵文化財担当を経て相模原市立博物館考古担当学芸員として活躍していた気鋭の研究者であった。しかるに近時病を得、残懐に尽きることながら昨年五月に幽明境を異にすることとなった。
 本書は病との激しい闘いの一方、尚旺盛な研究活動を展開し続けた著者の研究蓄積を、周囲の呼びかけ人の方々の手により一書に具現化したものである。

 本書は三部構成の体裁をとっている。則ち

 I 「古代民衆寺院史試論」
 U 「文化財保護への模索〜遺跡・遺物はだれのものか〜」
 V 「博物館学芸員として」
である。

 Tの「民衆寺院史試論」は、「地方における古代の仏堂」等八篇の論考によって構成さている。主眼としては所謂「村落内寺院」・「山林寺院」等に関して、東日本の事例を中心に論を展開している。瓦茸構造及び整備された伽藍配置を有さない寺院址を題材として、在地の仏教受容に迫ることを試みている。また相模原市田名坂上遺跡出土資料に端を発する奈良三彩小壺に関する考察も着目される。

 全体を通して文献史学と歴史考古学の連関について常に意識しつつ研究を進める著者の方法論が注視されると言えよう。

 Uの「文化財保護への模索〜遺跡・遺物はだれのものか〜」は八篇の論考が収められている。先ず、学部在籍時のリポート「歴史学と考古学」は著者の学問体系の原点を看取することが出来る。「地方史資料の保存活用と文化財保護」に於いては「文化財保護」に対する分析を示し、更に「埋蔵文化財保護の受益者をめぐって」では埋蔵文化財の「価値」について言及している。

 文化財行政の最前線で業務に取り組んでいた経験を持つ著者が如何にあるべきかを呻吟していた崇○(山+卒)たる問題意識が析出しており、大きな問題提起を示し且つ示唆に富む内容であると言える。

 V「博物館学芸員として」は博物館資料に関しての考察と展示に際して執筆された文章等十二篇によって構成される。通常の考古学の展示とは違った展示を目指し成果をより昇華させようとする著者の試みが垣間見られる。一般向けの短文は、短くそして咀嚼された表現であるが故に著者の意図が凝縮されているといえる。一例として「発掘調査をめぐるあれこれ」は一見何気無い文章に見受けられるが、博物館と考古学との根幹的問題に触れている一文であると言える。

 本書の三部の構成は、著者が歴史学としての考古学、また文献史学と両輪としての考古
学的研究法に腐心し、また調査研究の成果である資料に関して、文化財行政の中での位置づけと活用、博物館の中での活用と還元について多大なる興味と情熱を傾注している点を的確に表現していると言える。

 本書は文献史学と歴史考古学、文化財、博物館といった著者が歩みまた主要題材としていた事象の融合を試みた研究書であると言える。若し画竜点睛を欠く点が有るとするならば、著者の更なる研究の展開を享受することが叶わぬ点が挙げられようが、何れかの分野に於いて僅かなりとも関心の有る方々には是非一読を推奨したい書である。


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