佐久間 耕治著『底点の自由民権運動』
評者:山村 一成
掲載誌:房総史学44(2004.7)


 本書は、自由民権運動の研究と顕彰運動を長年行ってきた佐久間耕治氏の最近一〇年間(一九九二年〜二〇〇二年)の労作をまとめたものである。本書は以下のような七章と補論から構成されており、一九九二年に崙書房から出版された『房総の自由民権』の内容を引き継ぐものである。

(目次省略)

 第一章では一八七九(明治一三)年六月〜八〇年五月までの一年間に桜井静は、全国に「国会開設懇請協議案」など有名なものを含む印刷物を送っている。佐久間氏は神奈川県の吉野泰三家文書を紹介して、桜井のアピールが神奈川県でも大きな波紋を投げかけていることを指摘し、「桜井静宛吉野泰三書簡草稿」と「国会開設認可懇請法協議臨時会開会ノ報告」などを紹介している。

 第二章では、大原の民権活動家井上幹文書の中で、自由党本部報道書を紹介している。なお、井上幹については前述の『房総の自由民権』において紹介されているので参照されたい。本書では自由党本部報道書という名称で一八八三(明治一六)年四月二二日の自由党大会の議案書、同日の決議録、自由党党則、改進党批判の報道書など、新しく発見された史料が紹介されている。

 第三章、加波山事件の中心人物の富松正安の隠匿に関わり、後に官吏侮辱罪により自由党員が投獄された夷隅事件については、滴草充雄氏などによって紹介されているが、本書は井上幹家の捜索過程を記した史料をもとに、官憲の捜査がどのように行われたかというめずらしい史料が紹介されている。警察がどのような文献に関心を持ち、押収したかがよくわかる興味深い史料紹介である。

 第四・五章は、斉藤自治夫文書をもとに、従来研究が手薄だった一八八七(明治二〇)年〜九〇年にかけての千葉県の三大事件建白運動を中心に検証している。第四章では、まず、一八八五年に自治夫が板垣退助の各地での演説をまとめた『板垣退助君高談集』や、板倉中が大井憲太郎の大阪事件を弁護したことに対して、房総の民権家が救援体制をとり、資金援助をしていることなどが紹介されている。これは『房総の自由民権』が斉藤自治夫の一八八四年頃の史料を紹介しているのに対して、本編ではその後の部分を扱った続編的な性格をもった史料紹介である。

 第五章の「近代史料の解説」では、『房総史学』三五号に掲載された三大事件建白運動の書簡の紹介であるので、読者諸氏には、すでに既読の文である。

 第六章は三大事件建白運動時期の一八八七年一〇月四日に開かれ、『自由党史』に参加者が記されていない「連合懇親会」の名簿から、石坂昌孝と北村門太郎(透谷)の名前を発見し、この時期の透谷が政治に対して無関心ではなかったことを、石坂宛の書簡をつかって論じている。

 第七章は田中正造と桜井静とのかかわり、農事改良を目指して設立された「精農社」の紹介、嶺田楓江らが教えた「薫陶学舎」の教育内容など概要の紹介、集会条例違反者の裁判言渡書、板倉中夫人の比佐と女性民権家の景山英との書簡の紹介、藍和三郎の三大事件建白時期の建白書の紹介、明治憲法発布前後の県内政談演説会の紹介、敗戦直後の民主化の時期における自由民権像の紹介、民権家佐久間吉太郎の「監獄改良論」の紹介と千葉斉首堂主人の監獄論の紹介など、史料紹介やエッセイなど多岐にわたる一五編から構成されている。

 補論の第一の「房総の自由民権−民権家桜井静の生涯を追いかける−」は、本歴史部会編『新しい日本史の授業−地域・民衆からみた歴史像』に、第二の「房総の自由民権研究と授業−歩きながら教え、教えながら歩き続けて」は『房総史学』三七号に所収され、読者諸氏もすでに良く知っている論考を再収録したものである。

 以上が本書の概要である。構成からも明らかなように、本書は三大事件建白運動期に、多くの紙数がさかれている。まず、最初に指摘しなければならないことは、この佐久間氏の研究により、従来研究成果の乏しかった千葉県の夷隅事件、安房事件以後、明治憲法成立時期までの民権運動の研究の空白が埋まり、千葉県における民権運動の全体像の理解が深まったことである。本書は、現在刊行中の千葉県編『千葉県の歴史』の資料編・通史編とともに、今後の民権運動の研究に、欠くことのできない業績ということができよう。

 それとともに、序文において全国自由民権研究連絡会世話人の安在邦夫も指摘されているように、本書の特徴は、自らを「歩きながら考え、考えながら歩き続ける」、「歩きながら教え、教えながら歩き続ける」という立脚点に立ち、地域の史料の発掘と、先人の足跡を復元していることである。

 近年、指導要領などにより地域学習の重要性が指摘されているが、その一方で、一部を除くと教員による地域の歴史研究は、深まりを見せているとは言い難い。こうした現状の中で、佐久間氏の研究と本書の刊行が、教育に携わるものが地域の歴史にたいして、いかに取り組むべきか、歩むべき道を示唆してくれる道標になることも指摘しておきたい。

 最後に本書により、私たちが新たな知識や地域学習にたいする姿勢について、大きな刺激を授かったことに感謝して筆を置きたい。


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