保坂 達雄著『神と巫女の古代伝承論』
評者:斎藤 英喜
掲載誌:日本文学53-7(2004.7)


あらたな“発生学”の胎動

 南島沖縄の巫女たちの宗教生活、神婚譚生成の現場、または沖縄の他界観、あるいは古代王権に孕まれた斎宮や采女の歴史的な実像、兄妹婚の禁忌と神話発生の論理、さらに「罪」の始源、また民間神楽としての花祭、大神楽の現場、そして折口信夫の学問的環境と、そこから生成する「折口名彙」の解読……。

 六部構成、全五八〇ページにわたる、保坂達雄の著書『神と巫女の古代伝承論』は、きわめて多様な内容と方向性をもった、文字どおりの大著である。本書を前にしたとき、国文学、民俗学、歴史学、宗教学、近代思想研究などの既成の分類は通用しないだろう。まさに「領域」を越境する世界がここには開示されていく。

 もっとも、「古代文学」や「日本神話」を論じるにあたって、南島沖縄の祭儀や伝承世界とクロスさせ、あるいは民間神楽の世界を参照する手法は、「民俗学的方法」あるいは「発生論」といったネーミングによって、すでに既成のものだといえるかもしれない。折口学の再検証も、その方法から必然的に導かれたものにすぎない、と。

 たしかに、本書に収められた諸論考には、一九八〇年代の「古代文学研究」で培われた、南島沖縄を視野におく「発生論」の議論や、そこから導かれた折口学の再検証といった研究動向と不可分に生まれたものが少なくない。たとえば第三部第一章「兄と妹」論文は、近親婚のタブーという「習俗」と、それと〈逆立〉する「この現実社会を超越した神話世界の独自な論理」の発生を、『記』『紀』神話の読み解きを通して明らかにしていく。その「神話発生の論理」を見定める視線の根底にあるのは、南島沖縄に広く伝わる兄妹婚の伝承であった。とくに本論文は、七十年代の西郷信綱「近親相姦と神話」(『古事記研究』)の構造主義的な研究から、八十年代の古橋信孝「兄妹婚の伝承」(『神話・物語の文芸史』)、三浦佑之「話型と話型を超える表現」(『古代叙事伝承の研究』)など発生論、様式論的研究への展開を促した、研究史上のミッシング・リングとなるものだ。本書は、八十年代の“発生論の時代”と密接につながっている。それはまちがいない。

 けれども、本書の眼目は、それだけには留まらないところにあった。それは何か。保坂の語るところを開こう。

 筆者の古代文学研究は神話の論理とは何かを思考するところから始まったが、神話を共同体の側から考察するのではなく、巫女の身体という個体の視点から神話生成の過程を解明してみたいという新たな欲求が起こってきた。本書の第一部・第二部に収めたいくつかの論考はこの関心に発したもので、この数編が生まれたことで論文集としての体裁が見えてきたのである。(あとがき)

 「神話を共同体の側から考察する」とは、南島沖縄の「村落共同体」の世界観を基点にして、神話の論理や歌謡の解読を進めた「発生論」の方法といってよい。それにたいして、保坂は、「巫女の身体という個体の視点」をさらに設定する。その視点から「神話生成の過程」を解明する方法を獲得したことで、本書全体の構成ができたという。ここに本書の読むべき中心があることは、いうまでもないだろう。

 以下、保坂自身の指示に従って、本書を読み解いてみよう。まず着目すべきは、「巫女の身体という個体の視点」のもとに生み出された、第一部第一章「神を抱くツカサの生活」、第二章「籠もりと雨乞い」、第三章「南島の神話生成と巫女のことば」、あるいは第二部第一章「巫祝の家の兄妹」、第二章「神婚幻想と斎宮伝承」などの諸論考である。

 スポットが当てられるのは、沖縄八重山のツカサ=神女の「神を抱いての内的生活」であり、その「神秘体験」である。彼女たちは従来、共同体祭祀の担い手という「共同体の側から」のみ扱われることが多かったが、たんに血縁や村落共同体の規範だけで「ツカサ」になるのではなく、神を身体のうちに深く宿す体験が繰り返されることで、はじめて村落の女性宗教者=神女たりうる。保坂の視線は、彼女たちの霊的な成熟・進化の「内的生活」へと注がれるのである。

 そのとき、神女たちの「スピリチェアルな世界との緊張関係」のなかから、「沖縄の宗教体系」が再構築されていく過程や、神と結婚し、その子供を宿す「神婚譚」の神話が生成していく現場がキャッチされていく。とくに「籠もりと雨乞い」という共同体祭祀やイニシエーションのなかに、神女たちの神秘体験の生々しい現場を読み取っていくところや、祭祀の場で謡われる神謡に、神女が直接神と向き合う「第二人称叙述」を解読するところは、本書のハイライトといっていいだろう。ここにおいて保坂は、「文学の信仰起源説」という折口学のセオリーにたいして、神女たちの霊性が発現していく現場のただ中から、神話が、歌謡が、そして「文学」が顕現していく瞬間を呼び起こしていくのである。

 だが、このとき本書は、次なる問いの前に立たされる。沖縄の「村落共同体」から発想された発生論は、近代的な個人や内面をこえる、文学発生のあらたな論理を導いた。それは現代を生きるわれわれの存在や思考、感性をするどく撃つ、新しい思想の可能性を切り拓いた、と。ならば、本書が、「共同体の側」ではなく、「巫女の身体という個体の視点」に立つというとき、それはふたたび近代的な個人や内面という発想に引き戻される危険はないのか。近代的な思考をこえた「発生論」の地平から後退することはないのか−。

 「個体の視点」を強調する本書は、不可避的にこうした問いにさらされる。それにたいして保坂は、どのような理論提示をなしえたか。おそらくここにこそ、本書の核心部分があるだろう。

 注意されるのは「共同体」にたいして「個体」「内面」を対置したのではなく、「巫女の身体」「神秘体験」「霊性」というタームを打ち立てたところだ。本書が「神話生成」の現場としてこだわったのは、神女たちが「神を呼び寄せ神と交流し神の子を生んだ」という、まさに神女の身体にのみ宿る「神秘体験」の内実であった。それは村落共同体のなかの役割を負いつつも、そこから突出していく、神女たちの宗教的な境位への眼差しといってもよい。霊性の危機/顕現のあいだに立つ彼女たちは、近代的な個人なるものの表層的な領域からは把握しえない存在性=身体を作り出していく。保坂の視線は、「個体」や「内面」という認識では捕捉不可能な、宗教的な魂の危機や成熟、その深みへと向けられていくのだ。それは発生論をこえる、〈霊性〉の学の獲得といってよい。

 ただし、第二部の論考、とくに第二章「神婚幻想と斎宮伝承」のなかには、保坂の方法的な「揺れ」が見える。伊勢斎宮に顕現したアマテラス=蛇神という神話言説を、斎宮の「神秘体験」の内質から読み解く方向にたいして、保坂は「斎宮に原初的に備わっていた幻想」に来歴すると強調していく。だが、その議論の立て方は、本書が「発生論」的な思考へとぶれていく一面を見せているといわざるをえない。

 そこで後半、第五部に配される「折口学の成立」の論考群を読んでみよう。いうまでもなく「折口学」の再検証は、保坂にとって、自らの研究方法やそのモチベーションの自己検証とリンクする重たいテーマであった。そうした緊張感が、第五部の各論考にはひしひしと感じ取れる。

 第五部の主題は「折口学」の生成の現場だ。すなわち「深層に潜んでいる時代の学的状況を通して、そこから折口がどのように飛躍しようとしていたのか」、「その現場を確実に押さえること」が、ここに設定される。以下、第一章「まれびとの成立」、第二章「まれびと論成立以前」、第三章「折口信夫の沖縄採訪」、第四章「青年折口信夫の精神的遍歴」など、それは「折口学」としてセオリー化される前の、個人としての折口の学問が形成されていく具体的、時代的な状況を明らかにする作業ともいえるが、重要なのは、折口の学を生成させた時代精神の現場へと視点が向けられるところだ。とくに大正期における「生命主義の大きなうねりと広がり」のなかに折口を位置づけるところは注目される。「生命主義」とは「人を観念の世界から解放して、身体論の地平に誘い出し、ひいては宗教への関心に引き寄せる」ものだ。これは大正期に広がるヨーロッパ経由の神秘主義、心霊主義などの「魂の成熟」や「霊的進化論」などの思想動向のなかで、折口の学知が形成されていったという議論へと、さらに展開されうるものだろう。いうまでもなく〈霊性〉の学としての折口学の再検証は、第一部、第二部で扱われた「巫女の身体」「神秘体験」の議論とも呼応していく。

 かくして本書は、八十年代の発生論、共同体論から九十年代の身体論、現場論などへと方法や視角が展開していった時代動向に、保坂自身の「身体」が向き合い、格闘していった、その成果と位置づけることができよう。そこには、発生論を突き抜けた、あらたな“発生学”の胎動が感知されるのだ。


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