大石 学編『近世国家の権力構造 政治・支配・行政』
評者:斉藤 司
掲載誌:歴史評論651(2004.7)


 本書は、東京学芸大学において編者である大石学氏の指導を受けた若手の研究者たちの論考を、「一六世紀から一九世紀に至る日本近世国家の権力構造の解明」というテーマのもとにまとめた論文集である。序章において、「近世権力を構成する諸家が、国家官僚・行政官僚として国家的な『役』を果たし、これを担保するために領地や知行所や俸禄を与えられていたことを具体的に明らか」にするという共通の分析視角は提示されているが、幕府・大名・旗本・朝廷などといった個別の場における具体的な諸相を対象としている点からは、各章の叙述はそれぞれ独立した論文ということができる。

 本書の構成は、次の通り。(省略)

 紙幅の関係で、各章の詳細な内容は省略するが、その要旨のみを示せば次のとおりである。なお、各論文はおおよそ叙述の対象となる時代順に並べられている。

 序章は先述した分析視角と各章の概要を編者である大石氏が述べたもの。第一章は、一七世紀前半に一柳家が小規模な外様小藩として分知していく中で家臣団のみならず、豊臣秀吉発給文書を中心とする文書群(アーカイブズ)があわせて分割されていく過程を論証している。第二章は、承応三(一六五四)年に行われた後光明天皇葬送儀礼の復元的検討を行い、幕府が天皇の遺体を「管理」していく姿勢を示していることを明かにし、それがこれ以降の幕府の対天皇・朝廷政策の基調となっていくことを指摘する。第三章は、越後国高田藩(藩主松平光長)で起きた越後騒動と、それに対する将軍綱吉の親裁=高田藩の改易と新しい家としての津山松平家の創出の過程を検討している。そこには越後松平家という一門を排除する「御一門払い」という要素が含まれており、将軍権力を弱体化させる大名の「家」の自律性を否定するとともに、新たに大名の「家」を国家の経営を担う一「機関」として創出・存続させたと位置づけている。第四章は、水戸藩の連枝である守山藩の藩政機構、特に常陸領の在地支配機構の実態を分析し、在地支配の中心である松川陣屋に水戸藩家臣が派遣されるなど、水戸藩の強い影響下にあることを明らかにしている。第五章は、徳山毛利藩再興運動を素材に吉宗政権初期における政治的スタンスを検討したものである。それによれば、正徳六(一七一六)年の改易は萩藩・萩毛利家を中心とした家の本末の論理で、将軍の権威は領国内の具体的問題に触れることはなかったが、享保四(一七一九)年の再興では徳山藩の個別の藩政面(領民に対する善政、幕令の遵守、公儀に対する忠義)と藩領の独自性が評価されたとしている。第六章では、御三卿の領地変遷を丹念に追ったもの。三〇頁をこえる領知一覧の表は今後の研究の基礎的データとなろう。第七章は、明和四(一七六七)年の前橋藩主松平朝矩の川越転封時における藩主家・家臣団・関連寺院の移転の実態について検討している。類例研究の少ない分野であり、今後の事例蓄積が期待される。第八章は、高家である戸田・今川両氏の知行所支配、特に高家が負担する京都御使・伊勢代参・日光代参などの「高家役」に際して村方へ賦課される人足役=「高家人足役」の賦課実態とそれに対する知行所村々の認識について分析している。第九章は、一五〇〇石の旗本牧野氏が、幕末期の軍事的緊張が強まる中で遂行した安政五(一八五八)年に行った家政改革の内容と村方の対応を扱っている。第一〇章は、領主と官僚という二面性をもつ旗本=旧幕臣が、維新政府の官僚へと転化していく過程を、『明治五年官員全書』を統計的に処理したものである。

 以上、各章の概要を記したが、それぞれの内容・記述は独立した個別論文として理解されるべきものと思われる。その意味では、本書の記述をふまえた各執筆者の今後の研究の進捗を期待することとしたい。ただ、全体を通読して気になるのは、政治権力に関する理解として上→下への方向がやや強いように思われる点である。国家的・公共的な「役」の具体的な確定と変化の理解には、下からの政治権力の視線という観点も必要のように感じられる。
(さいとう つかさ)


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