保坂 達雄著『神と巫女の古代伝承論』
評者:上野 誠
掲載誌:日本民俗学237(2004.2)


筆者の自己規定

 この大著は、次のような言葉ではじまる。

 本書は筆者がこれまで発表してきた約三十編の論文を一書に纏めたものである。『神と巫女の古代伝承論』と題したが、意図したところは文学として自覚される以前の言語世界と神を軸とした古代日本人の世界観の解明である。文学化以前の言語世界とは一般的には奈良時代以前を指すが、本書では歴史的段階をあえて特定していない。文学史上の特定の時期を指すものではなく、また歴史上のある一定の時間と空間を生きた日本人というよりは、日本文学を通して姿を現してくる古代日本人を意味していると言ったほうがよい。(傍線は引用者。評書、一頁)

 この「自己規定」ないし「自著規定」はいささかもゆるぎなく全編を貫いているといえるだろう。そして、それは折口信夫の「古代」を「発生」と置き換える思考法と軌を一にしている、といえるだろう。時間軸ではなく、観察の対象となる文学や民俗に「古代」を発見しようとする研究態度を、ここに見て取ることができよう。したがって、筆者(保坂)が歩いた一九八〇年代の沖縄も、万葉歌にも「古代」を発見することは可能なのである。

 このような考え方は、意外なことに「常民」という概念にも共通した部分がある。「常民」という概念は、階級や時代さらには地域によって、規定されるものではない。したがって、どの人物が「常民」で、どの人物が非「常民」か黒白をつけよ・・・という議論が提起とされたとしよう。そうすると、天皇をはじめとするすべての人びとの生活のなかに、「常民」としての要素を見出すことができるとしか、答えようがないのである。民俗学の立場からは。

折口信夫の学問的遺産をどう再投資するか

 実は柳田も折口も、民俗学が官の学であった歴史学の中に埋没することを極端に恐れて、その学問を構想していたのである(戦略的に時に反発して)。つまり、民俗学という学問の面白さは歴史軸を取り払ったところにある、と私は最近なかば狂信するようになった。民俗学がもっとも輝きを見せるのは、「日本人にとって神とは何か」とか「なぜ、日本人は稲を選んだのか」などといった総論を語る時である。「昭和初期における○○地方の祭礼」とか「○○地方における祇園祭の歴史的変化」といった時間軸を持ち出すと途端に二流の歴史学になるのではないか。だから、民俗学は嘘でもいいから、歴史学の語らない日本文化の総体やエトスを語るべきではないか、と思う。もちろん、個々のフィールド調査は、そういう時間と空間を限定した具体的なところに立脚すべきではあるが、そこから己の感性を信じて、総論を語る必要があるのではないか。つまり、評者は微視から巨視を語るところにこそ、民俗学のおもしろさがある、と思うのである。だから、歴史学は民俗学にとって禁断の木の実であるとさえ思う。むしろ、時間軸では語れないものを、民俗学はすくい上げる必要があるのではなかろうか。評者が冒頭の自己規定に注目したのは、以上のような思いがあったからである。

 本書は折口信夫の遺産を原資として、それを古代文学研究や民俗研究に資本投下し、そこから自らの「観(ものの見方)」を形成するという研究戦略が取られている。問題は、それが拡大再生産になっているか、縮小再生産であろう。この点に注意して、本書の「部立て」を俯瞰しておきたい。(中略)
  
 こう見ると第五部と第六部が、本書の原資に当る部分であることがわかる。ここでは、正確に折口の言説を捉えることに筆者は専念する。第五部では「第一章 まれびとの成立」「第二章 まれびと論成立以前」において、折口のまれびと論の成立過程が整理され、「三章 折口信夫の沖縄採訪」「第四章 青年折口信夫の精神遍歴」「第五章 折口信夫と北野博美」では、その思想的背景や学問環境が語られている。

 続く、第六部は、折口が提示した分析概念の検討が、個別の語彙ごとになされている。筆者や西村亨のいう「折口名彙」である。「精霊」「もの」「もののけ」「つみ」「あまつつみ」「みぞき」「はらえ」などの語彙が解釈されている。もちろん、それはただの解釈ではない。折口の学問体系の中での位置づけがなされ、次にはそれが古代文学研究や民俗研究の中で果たす役割についても言及している。この部分は、池田弥三郎や西村亨といった折口に近侍したいわば折口チルドレン第一世代の作業を引き継ぐものである。したがって、評者は書評をものするにあって、第五部と第六部から読みはじめた。これが筆者のテキストであり、このテキストを原資として、古代の文学世界や民俗世界のフィールドに筆者は乗り出して行った、と考えたからである。

筆者のフィールドワーク

 「第一部 南島の神話とシャーマニズム」は、折口学をベースとして記述された筆者の民俗誌と、そこから得た「古代世界」に対する筆者の思索が開陳された部である。筆者のフィールドは「八重山」「波照間島」「石垣島」「奄美」へと続き、その関心は、もっぱら神話と儀礼との関係にあり、神話と儀礼を結びつける「古代論理」が、浮かび上がってくるように記述されている。

 では、筆者は第一部に、なぜ民俗誌を置いたのであろうか。民俗誌を持ってきたのは、これらのフィールドで得た「古代論理」をもって、第二部以降で古事記・日本書紀に現れた神話世界を復原しようとしたからであろう。つまり、筆者のフィールドワークは、折口の描いた「古代」を、自分の足で確認し、さらには新たな「古代論理」を発見しようというフィールドワークなのである。ならば、遡って、なぜ歩いてその民俗誌を書いたのかといえば、そこから得た「古代論理」を使って、古代文学を読み解いてゆく「観」を作るためなのである。つまり、折口の言説と自らのフィールド体験を重ね合わせることによって、自己の「観」をうち立てようとするのである。実は、筆者もこれと同様の考えに基づいて、三十代前半までフィールドワークをしていた。

 しかし、こういったフィールドワークのあり方には、危険も付きまとう。つまり、折口のフィルターを通してしか、現実を捉えようとしないからである。実はこの点については、かつて評者も、煩悶したことがある(上野誠「第一部 第一章 折口信夫のフィールドワーク―『古典』と『生活の古典』を結ぶもの―」『芸能伝承の民俗誌的研究』所収、七頁、二〇〇一年、世界思想社)。そして、評者の出した結論は、「第一章第四節 <神>という名の自動説明ボタンに封印をせよ」(同書所収、六六頁)というものであった。それは、そういうフィールドワークを忌避する態度を選択することである。その意味では、筆者と評者は折口について正反対の態度を取ったことになる。筆者は継承・発展をめざしたのに対して、評者は忌避と逃亡を図ったのである。だから、第一部は評者には眩しかった。と同時に、折口信夫というテキストを背負って学問を進めてゆくことの重圧を慮ったのは、いうまでもない。

巫女と古代社会

 「第二部 巫女と古代王権」は、古事記や日本書紀に登場する巫女の「伝承」「物語」などを取り扱っている。ここで、古代王権との関わりから巫女を考察しているのは、筆者が沖縄の「聞得大君」そして「ノロ」「ツカサ」「ユタ」などの事例を踏まえているからである。例えば、采女については、歴史学の側からは制度論や権力論的視座から論じられ、大きな成果がすでに蓄積されている。対して、筆者はその宗教的側面に注目する。そして、そこから「制度」や「権力」を支える「共同幻想」、さらには「共同幻想」を支える「古代論理」を、筆者は明らかにしてゆくのである。「第一章 巫祝の家の兄妹」では神婚伝承における兄妹婚のモティーフが、「第二章 神婚幻想と斎宮伝承」では「共同幻想」と「禁忌」との関係が、第四章および五章の「采女―変容する伝統―(上)(下)」では采女の生活の実態が・・・それぞれ考究されている。第二部に共通しているのは、古代社会はなぜ巫女を必要としたか、という問いであろう。

神話と古代論理

 「第三部 神の誕生・罪の始原」は、筆者の神話研究を集大成した部分である。「古代論理」から見ると神話はどう読めるのか、という問題設定がこの部にはなされている。
「第一章 兄と妹―習俗と神話の構造―」は、近親相姦の禁忌と神話の関係がなぜ逆立ちしているのか、ということを考究している。習俗と神話との関係を考えることは、そのまま社会生活と神話との関係を考えることになる。そして、それは生活からどのように神話が生まれ、生まれた神話が社会生活をどのように規制しているのか、ということを明らかにしている。

 「第二章 天孫神話の誕生」は、神話における結婚の意味と古代王権における結婚の意味が考究されている。続く「第三章 降霊と示現―古代語を読む―」では、言葉の背後にある古代論理を明らかにして、そこから神話を読み直そうとしている。「第四章 罪の発生」「第五章 罪の始原」は、神話における罪の役割を考究するものであるが、ここでも現実の社会生活における罪と、神話における神々の罪との関係が考察の対象となっている。罪の問題は、折口が「道徳の発生」や「社会生活の規範の成立」を考える上で重要視した観点であり、折口が暗示的に述べた部分を文献で詰めようとしているのである。さらに、「第六章 乞食考―霊異記説話の形成―」では、神話から説話へと考察の範囲が広げられ、「第七章 海の行幸と留守官の歌」では考察の範囲が歌へと広げられている。

 この第三部は、そのボリュームからいっても、内容からいっても、筆者の学問への情熱がひしひしと伝ってくる部であった。

芸能を支えるもの、芸能の始原

 「第四部 神楽と再生」は、筆者の芸能論を集成した部である。折口の芸能論は、芸能を支える「古代論理」の考察に主眼があり、芸能の起源や変遷を歴史軸に沿って記述してゆくものではないのである。したがって、折口の「芸能史」は、歴史軸に沿った芸能の歴史ではないのである。この点を踏まえて、筆者は芸能を以下のように論ずる。
その第四部は、「第一章 奥三河の花祭」という民俗誌からはじまる、それは本書の第一部に南島のフィールドワークが据えられているのと相似形の関係にある。つまり、筆者は自らの芸能を分析する視点(=「観」)を、己のフィールドワークから示そうとしているのである。では、筆者の花祭論の主眼はどこに置かれているかというと、宗教的な生まれ変わりという点におかれている。したがって、「第二章 生まれ清まわりと浄土入り―奥三河の太神楽―」では、擬死と再生の儀礼について考察されている。さらに、続く「第三章 神楽歌の構造」は、その始原を神と人との掛け合いに見定めた上で構想された神楽歌の構造論である。

 「第四章 遊部の伝承と『凶癘魂』」は、古代の葬礼において活躍した遊部の役割や起源伝承、呪術について論じた章である。「芸能」と今我々が呼んでいるものは、前近代の社会では「歌舞音曲」と具体的にその行為で呼ぶか、「遊び」と呼ばれたものである。筆者は「芸能」の始原である「遊び」に注目しながら、遊部の役割を「霊魂が死者の肉体から離れて新しい肉体に付着するのを補佐することである」と説く。「遊び」を霊魂論として説くのが、筆者の示した「観」といえよう。

本書が示した思索の方法 

 以上が、評者の読み取った本章の概要である。では、本書の方法論の特徴はどこにあるのであろうか。評者は、以下の@からCを、循環することに集約できると考える。

 @ 折口信夫の言説の正しい咀嚼
 A @を実感するためのフィールドワーク
 B Aのフィールドワークに基づいた「観」の樹立
 C Bの「観」に基づいた文学や民俗の読解

 これを無限に繰り返し、さらに反芻することによって、神話や伝承の読み直しをしてゆくというのが本書の方法であろう。@では正しさが求められ、Aでは感性を磨き、Bでは論理の普遍性が追究されている。少しかっこよく言えば、永遠の旅人の学問ということになろうか。評者はここに、筆者の求道的研究態度を感じ取っている。

絶滅種の研究スタイル

 反面、それは重い荷物を背負う苦しい旅であるに違いない。それば、まず研究状況が折口の生きた時代とはまったく違うからである。とめどない研究の細分化が進んでいる現在では、民俗の世界と古典の世界を往復し、そこから思索を深める研究スタイルを貫き通すことは難しい。折口の研究をベースとしながらも、評者はフィールドから逃亡し、折口から逃亡してしまった。そこで研究戦略の立て直しを迫られ、今新しいスタイルを模索しているのは、そのためである(上野誠「万葉研究の現状と研究戦略―筆者の選んだ選択肢―」『日本文学』二〇〇〇年一月号所収、日本文学協会)。評者の場合は、戦線を万葉研究のみに限定し、そこからの文化論に特化して研究を進めるという道を選択したのであった(上野誠・大石泰夫編『万葉民俗学』世界思想社、二〇〇三年)。

 筆者はそういう修正主義に走らずに、ここに大著をなしたのである。だから、冒頭において述べた歴史軸を度外視して総論を語る民俗学にもなっているのである。なぜなら、日本神話における神とは何かとか、巫女伝承の悲劇性は何に由来するのか、というような大きな問いに答えようとしているからである。

 しかし、それが今日の学問状況で正当な評価を獲得するかどうかについては、残念ながら否といわざるを得ない。民俗学者も古代文学研究をするべきだ。古代文学研究者に、フィールドに出るべきだ・・・とはいえないからである。その意味では、本書を受け入れる学問の市場は、きわめて狭い。いわゆる国学院派、慶応派のように、古代文学と民俗研究を重ね合わせて研究する立場の研究者は、今や稀有な存在だからである。したがって、かくなる細分化された研究状況のなかで、筆者も評者も研究者としては苦汁をなめてきた仲間ということができる。民俗学の学界にも、文学研究の学界にも身の置き場がないという状況の中で・・・研究を発表してきたからである。とある文学研究者が、評者と筆者とに共通したこの研究スタイルを「絶滅種」に喩えたことがあったが、それは言い得て妙な表現である。
かえりみて、今評者が目指しているところは、日本文化の総論を語る力を―細分化された研究状況に対応しつつ―いかに養うかというところにある。「希少価値」であることを最大限に利用しつつ、しなやかに、しぶとく、そしてしたたかに。六〇〇頁近い大著を前に、評者は、そういう思いを新たにした。
(〒631-8502 奈良市山陵町一五〇〇 奈良大学文学部内)


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