砂川 博著『一遍聖絵研究』
評者:牛山 佳幸
掲載誌:国文学49-6(学燈社)(2004.5)


 金井清光の命名による「時衆学」とは、絵巻物の『一遍聖絵』を始め、一遍の宗教思想、時衆教団史などを研究対象とする総合的な学問領域を指すが、その基盤は国文学・歴史学・宗教学など様々な分野に及んでいる。

 本書はその「時衆学」者として、いまや不動の地位を築かれている砂川氏が、氏の主宰される『時衆文化』誌に掲載された論文を中心に、若干の新稿を加えてまとめられたもので、『中世遊行聖の図像学』に続く『一遍聖絵』に関する第二論集である。タイトルの通り『一遍聖絵』を俎上に載せ、そこに描かれた一遍の行動様式や思想を徹底的に明らかにしようとしている。

 著者の手法は先行研究を領域の別なく、また精粗分け隔てなく取り上げ、それらをとことん批判検討しつつ自説を展開することで定評があるが、本書でもそれは貫かれている。また、絵巻物を分析する際の氏の基本的姿勢は、詞章と画面は互いに補完関係にあるとの立場に立ち、描かれた画面の細部まで注目して詞書の記述との整合性を追究しつつ、それぞれの場面の意味を読み解くことにあるが、こうした点はとりわけ第五章の「一遍聖絵を読み直す」で遺憾なく発揮されており、これまで誰も思いも寄らなかったような視点から、詞書作者の意図や一遍の思考を見出そうとする手法には、しばしばはっとさせられる。例えば、「佐久大井太郎の館」の項で、「帰る」の語彙が「戻る」の意であることに着目して、「伴野」を単なる通過点ではなく佐久地方での「遊行」の拠点とされた点などはその最たるものだろう。その上で、一遍の足取りについて小田切屋形が最初とする詞書と、伴野を冒頭に置く図柄の展開との矛盾点を解消しようとされ、しかも、肝心の伴野の領主名に触れずに大井太郎の名を残した背景に、霜月騒動での伴野氏没落が関係していたと指摘されたところなどは圧巻である。

 「小田切の里」の所在地については評者が別稿で論じたように(『時衆文化』第九号掲載)、実は全く別の考え方もあるものの、「聖絵は宗教絵巻」であることが共通理解になりつつある現在、踊り念仏「始行」の地に関わる問題提起だけに、本書で最も論議を呼ぶ部分となることは疑いない。ただ、著者の手法も枝葉末節に拘泥する余り、例えば因幡堂の場面に描かれた桜が「一遍の再上洛にかけた決意」を暗示するといったような、首を傾けざるを得ないような指摘に陥っている箇所も見受けられ、深読みにも限度が必要であろう。

 そもそも評者などは不遜にも、詞書作者と絵師との間にそれほど連携があったものか、さらには絵詞は実景を見て描いたのか、といった根本的な疑問も抱いている。一遍の人物像については、承久の乱で没落したとは言え伊予国第一の豪族の出身であるだけに、階級意識から脱却して真に民衆の救済者になりえていたのかといった点なども含めて、今後に残された課題は多々あるように思われ、砂川氏の今後の更なる鋭敏な切り込みに期待するところ大である。

 なお、著者と、師匠である金井清光氏との「美しき師弟愛」は夙に知られ、私などのように恩師との関係がすっかり疎遠になってしまった者には、常々羨ましく感じられてきたことだが、本書でもそれが随所に垣間見られ、胸が熱くなる思いであったことを最後に付記しておきたい。
信州大学教授・日本宗教史


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