佐越歴史資料調査会編『地域と歩む史料保存活動』
評者:新井 浩文
掲載誌:地方史研究307(2004.2)


 昭和六十三年(一九八八)に「公文書館法」が施行されて以来、一五年が経過した。この間、「同法」の普及によって、全国各地に都道府県を中心に公文書館が建設され、その数も四〇館に迫る勢いとなっている。こと「同法」がうたう「歴史資料として重要な公文書」に関する収集〜保存〜公開が、公文書館の基本的業務として認知されるに至った功績は極めて大きいといってよいだろう。

 しかし、その一方で民間に所在する史料(以下、民間所在史料)をめぐつては、「同法」におけるその位置づけが積極的でないこともあって、公文書館の中にはこれを全く扱わない館も出てきている。この点は、筆者も以前にその現状と課題について触れた経緯があり(拙稿「文書館における民間所在資料(古文書)の取り扱いをめぐって」『(埼玉県立文書館)紀要』一五、二〇〇二年)、現状では民間所在史料の保存はその所蔵者の負担に拠るところが大きく、何らかの措置が取られない限り、散逸の危機に瀕しているといっても過言ではない。いわゆる「公文書館法」の功罪ともいえる現象が生じているのである。ところが、従来からその役割を担ってきたはずの博物館や図書館といった行政の類縁機関に於いては、いまだ民間所在史料をカバーする体制には至っておらず、問題は棚上げされたままとなっている。一方、民間所在史料の調査については、首都圏の大学を中心とした民間ボランティアによる調査事業活動も見られるようになった。本誌でも既に何度か取り上げられている「甲州史料調査会」や「房総史料調査会」によるものである。また、行政でも大分県や新潟県といった一部の県では、文書館施設が主体となって、県内の民間所在史料の現状確認調査を実施しているところもある。

 しかし、これらの調査活動は、行政や大学の研究者が調査主体となって実施されることが多く、これまでその保存に深く関わってきた史料の所蔵者や当該地域の人々が顧みられることなく進められてきた経緯がある。そのような現地関係者不在の形で進めれてきた民間所在史料の調査に警鐘を鳴らし、史料の「現地保存」の視点から、地域の関係者が主体となり、所蔵者や地域の人々の参加を得た史料調査活動を展開しているのが、本書で紹介する「越佐歴史資料調査会」(以下、調査会)である。

 本書『地域と歩む史料保存活動』は、平成五年(一九九七)に発足した調査会が新潟県東頚城郡安塚町をフィールドとして五年間行ってきた史料保存活動の中間報告書といっても良い。

 以下、本書の目次に沿ってその概要を紹介していこう。(中略)

 プロローグでは、まず「越佐歴史資料調査会」の四つの基本理念@「地域の文化遺産である歴史資料の保存」、A「新潟県内における地方史研究と史料保存ネットワークの拡充、B「地域住民参加型の調査活動」、C「近年の史料整理方法と現地主義(現地保存・現地整理・現地利用)」を掲げる。とくに、BとCが本調査会の最大の特長であるといっても良いだろう。本書の言葉を借りれば、「史料というものは、それが存在した地域や所蔵者の許に存在してはじめて、歴史資料としての意味を発揮」し、「史料整理は、所蔵者のため、地域のため、史料群を長く保存していくこと」を目的とし、だから「史料の整理・保存・活用は、すべて現地で行う」という趣旨がここで明快に述べられている。

 第一章では、我が国における戦後の史料保存運動と、前述したような全国各地で展開されている近年の様々な調査会活動についての総括があり、その反省から調査会が誕生するまでの背景が克明に語られている。ここでも繰り返されているが、調査会の取り組みが@各々の史料と長く向き合うために、A現地で史料が生き続けていくために、B史料に対してよりきめ細かい対応ができるために、行政の組織を離れて、個人・民間レベルでの保存活動を行ってみようという取り組みであることが確認されている。

 第二章は、新潟県内の史料保存の歩みについて述べられている。 新潟県史編纂事業の発足から終焉までの足取りと、そこから文書館設置運動が生まれ、一九九二年に新潟県立文書館が設置されたことと、その後の同館の県内における現地調査活動を紹介している。同館の活動で注目されるのは、所蔵者ごとの史料調査カードの作成と、史料所蔵者宅に『史料保存日誌』を配布し、虫干しや防虫剤の入れ替え・薫蒸の実施等を依頼している点である。こうした県立文書館の地道な活動が契機となって、調査会が生まれてきたことが理解できる。

 第三章では、実際に現地(所蔵者宅)での調査の進め方について述べられている。まず、調査会で作成した現状記録法に基づいた「史料整理の確認事項」に従って目録取りやラベル貼りが行われている点に感心させられるとともに、そうした調査活動に地域の人々が初期段階から積極的に調査に参加されていることに驚かされる。こうした市民参加型調査が形成されてきた背景には、『越佐歴史資料調査会報』(現在一五号まで発行)を定期的に発行して地域の人々に調査経過を報告してきたことや、調査成果を共有するための現地報告会を実施し、当該地域で整理された古文書の内容をわかりやすく説明してきたこと等が、所蔵者はもとより、地域の人々に評価されて受け入れられてきた成果であろう。また、本書では参加者数の推移と参加者層の現状についても分析しているが、地元参加者の他に県外参加者が多い点も興味深い。その理由としては、調査会が実施している「地酒と焼肉のタベ」や「ナイタースキー研修会」といったイベントに拠るところもあろうが、何よりも県外参加者の感想にあるように、史料調査の主体が現地の人々であるという点に尽きるのだろう。研究者主導型で行われてきた従来の史料調査の多くが、その後の史料の現地保存に必ずしも繋がっていないという反省点に立った人々にとって、調査会の地元主導型調査に魅せられて全国から吸い寄せられた理解ある参加者によって調査会の活動が支えられてきたと言った方がよいだろう。所蔵者や地域の人々と、調査参加者との交流の輪が調査会の原点であることを痛感させられる。

 第四章は、古文書の調査段階で、必ずといって良いほど遭遇する屏風の下張り文書の解体作業の実践報告と、その後の整理〜調査報告会についての紹介である。本来、屏風の下張り文書は、内容からすれば、廃棄・転用された文書群である。しかし、本書ではそうした下張り文書を再生することによって、そこから現代公文書の評価選別論に繋がる江戸時代の文書管理制度をも垣間見ようと試みている。実際、切断された一枚の古文書が復元されたことにより、新たな歴史が焙り出されることは大きな感動に値しよう。従来、研究者に独占されがちだったこうした新発見文書の発掘作業に関われた地域の人々の喜びは望外だったに違いない。地域の史料を自分たちの手で発掘し、残していくことの醍醐味を調査会は地域の人々に伝授したともいえるだろう。

 第五章では、調査会の活動が町政や住民とどのように関わってきたかについてが述べられている。その中では、教育委員会の協力や議会で調査会の地道な活動が取り上げられたことに触れ、調査会の活動が確実に行政を動かしはじめていることや、古文書愛好会の人々が中心メンバーとなって調査会の活動を支えてきたことが、紹介されている。特に、古文書愛好会の活動が地元の広報誌で大きく取り上げられ、地域史の掘り起こしに一役買っている話や、古文書解読が定年後のライフワークとなった愛好会会員の話、そして、愛好会のメンバーが一丸となって自分たちの集落史を一冊の本にまとめた話は注目に値する。古文書を通して生涯学習を志す人々は全国に数知れずいようが、失礼ながら古文書愛好会レベルで地域史をまとめるのは決して容易なことではなかったろう。調査会が、地域における研究者を見事に育て上げた成果といっても過言ではあるまい。

 エピローグでは、調査会の今後の活動に対する課題が述べられている。その中では、「内容がわかればもっと大事にする」、「この地にあってこそ、内容も意味もあることだと強く思う」といった所蔵者の率直な感想を取り上げて現地保存の問題点の洗い出しを行うとともに、これまでの所蔵者を欠いた研究優先の調査=「史料保存という名の利用主義」に対して一石を投じている。まさに、この点は関係機関でもよく耳にする「史料は利用できて当然」、「自分たちが史料を使って研究してあげている」という一部の奢れる研究者に対する批判にも通じるものがあろう。本書が最後に結んでいるように、史料の「現地主義」の考え方は、史料の発生母体である「所蔵者」と「現地」=生きている地域において、生きている史料、生きている歴史を重視する史料保存活用運動の原点であろう。この原点に回帰すべきことを我々に気づかせてくれた調査会、そして、その活動を発足時から支えた八名の世話人の方々の労苦には計り知れないものがある。読後の感想はこの一言に尽きるだろう。

 現在、地域の枠組みが大きく変わってしまう市町村合併を目前に控えている。長年その地域に住み慣れた人々にとっても、そして新住民にとっても、自らの地域の足跡記録である地域史料が合併によって散逸する可能性も否定できない。まさに、史料を守る活動体制の整備がまさに急務となっている。まずは、本書を通して関係機関や関係者がこの点を自らの地域の課題とし、それぞれの地域での取り組みが全国で実践されることに期待したい。

 最後に、本書を読んで一つ気になったことを述べておきたい。それは、安塚町で成功したこの調査会の活動が、果たして全国のどの市町村でも実践出来るものなのかという疑問である。たまたまフィールドが最良の場所だったから出来たのでは?という素朴な感想が全くないわけではない。しかし、この愚問に対する回答を求れば最的には自分に戻ってくるのでやめておこう。史料保存活動は、これまでも、そして、これからも地域と共に歩む人々の熱意がある限り、ずっと続いていくのだから。
(〒345-0824 埼玉県南埼玉郡宮代町山崎一七五−八)


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