阿部 昭・長谷川 伸三編『明治維新期の民衆運動』
評者:星野 尚文
掲載誌:地方史研究307(2004.2)


 本書は、副題にみえる「地域社会と近代化」をタイトルとするシンポジウムの報告集である。編者が執筆した「刊行にあたって」によれば、このシンポジウムは茨城・栃木・群馬三県の近世史・近現代史の研究者によって始められ、本書刊行までに一三回開催された。そのうち「北関東の世直し一揆とその背景」をテーマにした第一回から第六回までが本書の土台となっているという。このシンポジウムは、「二一世紀を迎え、各地で地域の個別研究が深化しているにもかかわらず、現在の都府県の枠組みに規制され広域的考察に欠けるところがあること、依然として近世史研究者と近代史研究者の断絶が克服されていないことへの反省に立って、地域や専門分野の枠組みを越え、広く多角的視野に立った近現代移行期の地域社会史を目指した」(本書三頁)もので、その成果として用意されたのが次の六本の論文である(副題は省略した)。(中略)

 以下、個々の論文を紹介していこう。まず、第一章(高橋実論文)は常陸国西部地域を分析の対象として、戊辰戦争期を中心に維新変革期における農民の意識と行動を追ったものである。高橋氏は問題関心として、尊王攘夷運動などの政治路線に走らず、きらに世直し一揆の流れとも距離を保ち、「村々を基盤にして村々の問題解決を目ざす地域社会運動を担うもう一つの『農民運動』の流れを形成し、主導していた農民中間層が相当の厚みで存在していたのではないか」(本書三七頁)と述べ、村役人・豪農層に重点を置いて分析を進めている。そして維新政府が「御一新」の論理によって農民たちの行動を規制しようとするのに対して、農民たちはその論理を受け入れたうえで、自らの地域利害=農民的「御国益」と結びつけ、下からの「御一新」意識を形成しっつ、社会変革に主体的にかかわろうとするようになったことを明らかにしている。

 第二章(高橋裕文論文)では、常陸地方で起きた一揆について、文久期から慶応期にかけて起きた、水戸藩内の尊王攘夷派と保守派の抗争との関連を軸に分析されている。そして、従来、保守派に荷担することが多く、反動的ととらえられることもあった農民の行動の中に生活防衛的な側面を見いだし、これを世直し一揆と規定した。さらに、藩内の内乱が終息すると共に世直し一揆も少なくなるが、これは藩権力を握った保守派または尊攘派が一揆勢力を圧殺したためだとしている。

 第三章(齋藤論文)は、慶応四年に下野各地で起きた世直し一揆を分析の対象とし、特に戊辰戦争による権力の空白状態の下で、民衆が社会情勢をいかにとらえ、さらに戦争後の秩序回復のあり方を検討した論文である。分析の結果、世直しの高揚の後には、村や組合など従来の枠組みに立脚しながら、一揆勢が獲得した内容の確実な遂行を求めていたことや、攻撃対象になった村役人などの中間層に代わって、寺院が秩序回復のうえで大きな役割を果たすようになったことなどが明らかにされた。

 第四章(中島論文)は、西上州で起きた世直し一揆と信州佐久地方を分析の対象とし、慶応期から明治初年にかけての政策展開との関連を追究している。まず慶応二年の武州世直し一揆において、経済的な結びつきを背景に、広い地域に一揆勢が展開したことを確認し、慶応四年の世直し一揆の分析と政策への影響について論じている。この一揆は西上州で発生し、内山峠を越えて信州の佐久郡に入った。一揆勢は米の安値販売や施米・施金を求めて打ちこわしを行い、佐久農民はもちろん、商人や佐久諸藩も彼らに対して好意的な対応をとったという。この世直し一揆は、議定書が取り交わされることによって解決を見たが、その議定書には、上州から送られる塩と佐久から移出される米いずれとも時の相場に従い、安定した供給を相互に保証することが記されていた。こうした合意が形成されたのは、西上州と佐久地域の間で伝統的連帯意識が培われていたためであるとしている。そして明治二年の凶作に際して、いったん佐久米の上州への移出禁止令が出されたものの、岩鼻県と伊那県との間で前年に起きた世直し一揆の成果が確認され、移出禁止令が撤回されることになる。長年にわたって築かれてきた農民的経済的紐帯が世直し一揆によって明らかにされ、それを為政者も認めざるを得なかったことが、本稿によって論証されたといってよい。

 第五章(長谷川論文)は、武州東北部で起きた世直し一揆について、次の点を重視しながら論じている。まずひとつは、元治元年前後から明治二年までを「内乱状況」期として把握し、慶応四年三月・四月をピークとする世直し一揆を政治過程との関連で分析することである。そのうえで、世直し一揆の広域性に注目しつつ、一揆後における村落内の対立の終息過程を検討している。分析にあたっては近年の自治体史の成果が積極的に活用され、羽生騒動が広範な地域に波及し、しかもそれによって農民の階層対立が激化して複雑な村方騒動を生み出したことなどが明らかにされている。

 第六章(阿部論文)は、下野国日光山領地域を対象に、豪農層による新しい社会秩序形成の動きと民衆運動の対抗関係を論じている。阿部氏の論証によれば、日光山領の筏荷主(豪農層)は「国産国益」を旗印として領主層と連携し、地域経済活性化を目標とした商品振興策を展開していった。それに伴い、彼らは新たな地域社会秩序を形成するようになるが、それは地域住民の負担を増すと共に生活難をもたらし、物価統制と社会的救済を要求する小前・貧農層を軸とする運動と対立することになる。そして、豪農層は維新前後の民衆運動の高揚の中で、小前層から不正を追及され、運動の主導権を奪われたと結論づけている。

 さて、私自身は、明治維新期とりわけ本書が分析の中心においた戊辰戦争期を研究しているとはいえ、民衆運動や北関東という地域に関する十分な知識を持つ者ではなく、実証的な批判を行うことはむずかしい。以下は本書に関する雑駁な感想である。
 まず、本書の意義としてあげられることは、農民の視線から変革期を見るという姿勢が各論文に貫かれていることであろう。高橋実氏は、第一章の中で「本稿において我々が貫こうとした視野と方法は何かといえば、それは地域史料の丹念な読み取りを基礎にして、地域農民の視線から地域の歴史展開を具体的に浮き彫りにしていこうというものである」と言っている(本書一五頁)。これは、「我々」という主語で書かれているように、高橋氏個人の主張というより、このシンポジウム参加者の共通認識といってよいものであろう。近年の近代日本成立期研究の動向を整理された大日方純夫氏は、研究の視点が「に対して」から「にとって」へと変わっていることに注目しているが(「近代日本成立期研究の見取図−地域の視点から−」『歴史評論』第六三一号)、本書もそうした研究動向を象徴するものと言ってよい。すなわち、維新変革が地域農民に対してどのよぅな影響を与えたか、ではなく、「地域農民にとって維新期の政治社会とはなんだったのか、それをどう受け止め、いかに対応し、どう行動したのか」を追究しようとしているのである。維新期における地域社会の実態を明らかにするためには、こうした視角による研究を積み重ねるほかないと、本書を読んで改めて痛感した。

 一方、戊辰戦争研究からみれば、当該期の民衆運動はこれまでもよくとりあげられてはいた。しかし、それは農民(あるいは一揆)が奥羽越列藩同盟軍と新政府軍のどちらかを支持した例として引き合いに出されるに止まり、それを分析の中心に置いたものは決して多くない。そうした中で、戊辰戦争後の支配体制に与えた影響を重視しながら、当該期の民衆運動の様相を明らかにしていることも本書の意義のひとつであろう。同様の視点から北関東の民衆運動を分析した成果として、溝口敏麿氏の論考があげられるが(「戊辰戦争−戦争と一揆−」『講座日本近世史8 幕藩制国家の崩壊』有斐閣、一九八一年、ただし本書ではこの論文について触れられていない)、本書の諸論考はこれをより広範な地域に分析対象を広げて精緻に分析したものとも言えよう。

 先に述べたように、私は本書を評するのに必ずしも適任とは言えず、本書の豊かな内容を正確に伝えているか心許ないが、もし誤読があったとしたら、私の非力によるものであるのでご海容いただきたい。なお、本書の「あとがき」によれば、このシンポジウムは本書刊行後も継続され、第二集の刊行も予定されているとのことである。第五章で今後の課題としてあげられている、明治初年に新たな村落秩序がいかに形成され、農民たちがそれをどう受け止めたかという問題の解明を含め、シンポジウムのさらなる発展を期待したい。
(〒251-0043 藤沢市辻堂元町二−一八−二一 ディアス湘南一〇二)


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