末永 恵子著『烏伝神道の基礎的研究』
評者:前田 勉
掲載誌:文芸研究154(2003.9)


 埋もれていた思想家を掘り起こして、思想史上に位置づけることは容易ではない。まず事績の探求、著作の書誌学的研究からはじまる基礎的な作業には、膨大な時間と労力が費やされねばならない。そして、いよいよ著作の内容分析だが、当該思想家がどのような先行思想を学んでいたのかを明らかにした上で、同時代の思想状況のなかで、彼が何を問題にし、どのような答えを提出していたのかを見定めることが必要である。そのため思想史研究者には、彼が影響を受けた先行思想にたいする知見と、当該思想家を取り巻いている同時代の思想状況への目配りが求められる。もしこれらの一つでも欠けていたならば、深い思想理解は得られない。

 本書は、賀茂規清という幕末期の「異端」神道家にたいして、この困難な作業に果敢に取り組んだ労作である。この作業をするに当たって、確かに末永氏にはいくつかの幸運な面があった。その最たるものは、東北大学附属図書館の狩野文庫に規清の版本・写本を生めた『瑞烏園叢書』が所蔵されていて、地の利を生かすことができた点である。また事績についても、近年、萩原稔編『梅辻規清伝記資料』が公刊され、地道な作業の幾分かは省力化することができただろう。本書の「基礎的研究」の面目は、こうした好条件を生かしきって、規清の創唱した烏伝神道の独自性を解明した思想分析にある。

 まず末永氏は序章において課題と方法、それに『和軍蜻蛉備』の自伝的部分にもとづいて、規清の事績を丹念に叙述する。その上で、第一編「烏伝神道の思想」で規清の神道思想の分析を試み、第二篇「烏伝神道の受容」では、弟子の黒羽藩主大関増業、明治期の神習教、管野八郎と烏伝神道との関連を明らかにしている。このうち、本書の中心となる第一編では、「@『日本書紀』神代巻解釈、Aコスモロジー(=宇宙生成論)、B民俗信仰、C死生観、D国家祭祀構想、という規清の思想における大きな柱である五つの側面を取り上げたい。この五点は、幕末期の神道が、人々の探究心、あるいは死後の不安に応えるために課された課題であった」(一二頁)と述べ、この五点について、それぞれ各章で検討されている。その個々の内容は、本書末尾の結語に要領よくまとめられているので割愛して、ここでは本書を貫いている末永氏の問題視角について、感想を述べるに留めたい。

 末永氏は本書において、国学と後期水戸学という同時代の思想の間に規清を置くことによって、烏伝神道の思想の独自性を浮き上がらせようとする戦略をとっている。ここから、「特殊日本的、非合理的神観念を背景に神代巻そのものの持つ世界像を尊重した国学」にたいして、「修身斉家治国平天下ノ道」を示すストーリーとして「神代巻の中に徹底的に普遍的合理的世界像を描こうとした」(六八頁)規清の神代巻解釈の特質や、死後の霊魂の行方を想定した平田篤胤らの国学者のコスモロジーにたいしては、天人一致的なコスモロジーが再評価される。また権力側の祭祀構想を提示していた後期水戸学との対比においては、『蟻の念』『和軍蜻蛉備』をもとにして、「現実政治への神道の応用という観点から、烏伝神道の有効性を説こうとした」(一七九頁)親清の「忠孝山」「香山」の祭祀構想が、江戸の下層民の家存続と死後の不安を掬い上げるものであったことが解明されている。

 このような本書の戦略がきわめて有効な方法であることは、規清自身が主観的に国学と自己の教説を区別しようとしていたという内在的な意味において、また同時代の思想的配置からする客観的な意味においても、異論はない。ただ、この戦略によって十分な成果を得るためには、国学と後期水戸学にたいする深い思想理解が求められることは言うまでもない。そういった観点からいえば、本書は若干の物足りなさを感ぜざるをえない。というのは、宣長・篤胤の国学にしても、会沢正志斎の後期水戸学にしても、その思想理解は末永氏の理解というよりは、これまでの研究史の借り物の域を出ていないからである。

 たとえば、神代巻を「譬喩」ととらえ、その寓意を解き明かして「今日ニ活用する」規清の神話解釈は、宣長によって徹底的に批判されていた。にもかかわらず、あえてこの儒家神道的な立場を取ろうとするならば、規清が宣長の批判に反論できる新たな地平を切り開いていたかどうかが、思想の独自性を評価する際に問題となってくる。末永氏はこれにたいして、普遍と特殊、合理と非合理という二項対立的な概念によって説明しているが、その位置づけは抽象性を免れがたい。思うに宣長の神観念を「特殊日本的」「非合理的」と評価して、これに「普遍的」「合理的」というレッテルを貼っても、宣長学出現以降の思想の位置づけとしては不十分である。

 また先行研究の借り物の問題性は、分析視角そのものの有効性の問題でもある。本書全体を通じて感じることは、「呪術からの解放」を主体性確立の指標とする安丸良夫氏の民衆思想・民衆宗教理解の影響が色濃い点である。たとえば、規清は「民俗的世界の呪術の主宰(「身ノ外ノ神」)を排除し、自己の「心」を信頼する自立的生活へと人びとを方向付けようとしたのである。(中略)勤勉、忠孝、倹約などの実践は、この「自得」や「修行」の基盤があって生れるとされたのである」(一〇八頁)という叙述は、その一つである。しかし、このような安丸氏の「主体性」概念が烏伝神道の思想理解に有効であるかどうかについては、評者は判断を保留せざるをえない。というのは、「勤勉」「忠孝」「倹約」という通俗道徳に示されるような、生産を担う禁欲的・自己鍛錬的な主体形成の側面が規清にあったかどうかは、本書の思想分析からはうかがうことができないからである。呪術の排除だけではなく(これだけであれば、先行の神道思想のなかにも存在した)、もう少し規清の通俗道徳論の検討が必要であるように思えた。

 冒頭に述べたように、埋もれた思想家を掘り起こすことは、そう容易いものではない。実はそのことを一番よく分かっているのは、『続神道大系』のなかで規清の写本を翻刻する地道な作業を続けている末永氏自身であろう。今後、末永氏によってなされるであろう、規清を起点とする幕末思想史の新たな読み替えを期待して、擱筆する。
(まえだ つとむ・愛知教育大学教授)


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