保坂 達雄著『神と巫女の古代伝承論』
評者:平林 章仁
掲載誌:日本歴史671(2004.4)


 本書は、折口信夫の文学信仰起源説を拠り所として、文学の発生をめぐる神観念と世界観について考察した著者の、約三〇編の論文を一書に纏められたものである。その目的は、「文学として自覚される以前の言語世界と神を軸とした古代日本人の世界観の解明」にある。索引を含め六〇〇頁を超える大著を限られた紙幅で紹介するのは至難だが、以下に概要を紹介し若干の感想も述べよう。

 第一部「南島の神話とシャーマニズム」は現地調査に基づき、沖縄の神観念と他界観を論じる。第一章「神を抱くツカサの生活」では、今も神信仰の生きる南島社会を八重山のツカサ(女性祭司)を通して活写する。

 第二章「籠もりと雨乞い」は、神婚譚生成の契機である巫女と神の交感合一の儀礼が南島に実在することを実証する。第三章「南島の神話生成と巫女のことば」でも、巫女による神婚譚と神謡の発生情況を生き生きと描写、深い神信仰に彩られた世界が実感され古代社会を彷彿させる。

 第四章「石垣島川平の神と信仰」・第五章「南島の神と他界」では、祭りの調査を踏まえて南島の水平他界と山上他界について考察する。南島の海・山他界観並存は他界が複数あるのではなく、その通路との指摘は傾聴に値しよう。詩人的・直感的な折口学説が、実証を伴って甦ってきたと感じられた。また、八月結願祭での牛供犠のことも興味深い。

 第二部「巫女と古代王権」は、古代社会では兄妹関係が宗教的に一体であったことを巫女・采女・斎宮を通して考究する。第一章「巫祝の家の兄妹」は、琉球の神話や沖縄での調査から村落・王家の始祖伝承と結びつく兄妹婚の重要性を指摘する。第二章「神婚幻想と斎宮伝承」では、巫女的女性の神婚儀礼から神婚幻想の生成を論じるが、婚姻を拒否する逃走婚「いなみ妻」型物語の背景に巫女の世俗交わりの禁忌があるとの指摘も、啓蒙的である。

 第三章「采女(上)」・第四章「采女(下)」は、奈良時代以降の采女について折口の采女巫女説の視点から考察、采女の柏葉採取や山陵祭祀への派遣など、宮廷外の宗教的職務への従事を強調する。なお、采女の貢上と郷里帰還は地方信仰の統一と宮廷信仰の流布・宣布が目的で、『日本書紀』の采女伝承は八世紀の国家意識による創作との指摘は、古代史側で追検証が必要であろう。

 第三部「神の誕生・罪の始源」は、神の示現と罪の発生について論じる。第一章「兄と妹」では、近親相姦の禁忌に反する伊弉諾尊・伊弉冉尊の兄妹婚の疑問から習俗と神話の構造を論じる。兄妹相姦の禁忌侵犯は最大の穢れとされたが、それで異常なエネルギーが放出されて国・神生みができた。反秩序こそ始原の扉を開く威力の根源であり、それは穢れたものにこそ存在すると観念された。神話は習俗との逆立ち構造の中に発生、逆立ちは神話を発生させる装置だったと主張する。

 刺戟的な説だが、逆立ちしているのは実は神話と表裏関係にある祭儀であり、祭儀時空に対する日常を逆転させた世界観が基底に存在するのではなかろうか。

 第二章「天孫神話の誕生」では日向三代の物語を、婚姻を通して海山という異界の霊力を獲得する物語と解読し、天皇家はそれで霊力を獲得し王権の基礎を作り上げたと述べる。

 ただし、海幸彦山幸彦神話の无間勝間をカプセル状の船で山幸彦の水葬形式の葬儀を意味するとの主張は、折口説に拘り過ぎではなかろうか。マナシカツマがベトナム海洋民のものと同様な竹籠製実用船であろうことは、早くに指摘がある。また、山幸彦の綿津見神宮での三年を再生に要する時間とするが、葦原中国での天穂日命をはじめ応神紀十四年条の加羅国に派遣された葛城襲津彦、『丹後国風土記』逸文の蓬山での浦島子などと同様、異郷訪問譚の常套句ではなかろうか。

 第三章「降霊と示現」では、古代語「なく」は霊魂の鎮定を求め神霊を依り憑かせる呪的行為、「たつ」は背後に神霊の存在が感受される霊威ある活動だったと述べる。

 第四章「罪の発生」・第五章「罪の始源」は古代の罪が主題だが、前者で素戔嗚尊の暴虐は天照大神の大嘗祭への神田妨害・祭祀侵犯であり、罪は始源において法律上で刑罰の対象となる行為ではなく神に対する聖性侵犯であったと説く。確かに、素戔嗚尊の暴虐や天津罪は宗教上の禁忌侵犯行為であり、俗法侵犯の罪とは区別して扱う必要がある。

 ちなみに、『魏志』倭人伝が俗法侵犯の罪に対する処罰規定を伝えるように両者は本来、範疇を異にするものとみられ、宗教的罪から俗法的罪への歴史的変遷想定が妥当か、歴史学でも先行説の再検討が必要である。

 第六章「乞食考」では、『日本霊異記』・『今昔物語集』の説話に登場する乞食的人物像を分析、根底にはまれびと信仰に基づく原説話があり、その上から隠身の聖とする仏教的解釈が塗布されていると述べる。

 第七章「海の行幸と留守官の歌」は、持統天皇の伊勢行幸の目的は天照大神ゆかりの聖地を巡り常世の霊力をあびて呪力をつける巡拝の旅であり、それに関わる柿本人麻呂歌三首は留守官の宴の歌とする。

 第四部「神楽と再生」は、天竜川流域の霜月神楽の調査に基づく神の芸能論である。第一章「奥三河の花祭」はその花祭の調査記録、第二章「生まれ清まりと浄土入り」では大神楽の変遷を考察、基底に籠もりと再生の信仰が存在すると説く。第三章「神楽歌の構造」は宮廷神楽歌の成立過程について考察、本・末歌の構造分析から神・巫女を対とする古代以来の歌垣の伝統を指摘する。

 第四章「遊部の伝承と『凶癘魂』」では、『令集解』喪葬令条の注釈が難解で実像が明瞭でない遊部について論じる。遊郭はアソブベとよみ非定住で全国を漂泊遍歴していたが、高市郡に定住して死者の鎮魂に不可欠な呪的職能に従った。その「幽顕の境を隔て」るとは死を確認して新しい身体へ霊魂の受け渡しを補助すること、「凶癘魂を鎮むる」とは疫疾の原因ともなる死者の霊魂を鎮め和らげることで、遊部は葬儀で天皇の霊魂を受け渡す呪儀に従事したと主張する。

 「幽顕の境を隔て」ることから霊魂受け渡しの呪儀を想定するのはやや強引に思われ、それは此・冥界の境を明確にし霊魂に逝くべき世界を明示する、伊弉諾尊・伊弉冉尊の「絶妻之誓」のごとき儀礼ではなかったか。天皇の霊魂継承説は継受される天皇霊自身確かでなく、喪儀を催す殯宮での王位継承も考え難いことなど古代史家には強い否定論があり、それへの反論があればより説得的だったと思われる。なお、遊部の遊は非定住の漂泊ことではなく、王権への奉仕内容をさすのではなかろうか。

 第五部「折口学の成立」・第六部「折口名彙の生成」は、折口信夫の研究で本書の基礎論だが、第五部第一章「まれびとの成立」では折口学説の核をなすまれびと論成立過程を詳細に再現し、柳田国男との対立理由に及んでいる。以下の第二章「まれびと論成立以前」・第三章「折口信夫の沖縄採訪」・第四章「青年折口信夫の精神的遍歴」・第五章「折口信夫と北野博美」とともに折口の人物像が鮮明に描かれ、半ば神話化した彼の実像を知る上で興味深い。

 第六部第一章「精霊」は、まれびと論と対をなす精霊についての、第二章「あまつつみ」は天津罪を長雨の頃の物忌、雨障と解する折口学説の解説だが、天津罪雨障説は天津罪の生剥・逆剥などから問題が残る。第三章「みそぎ・はらへ」も同じく解説だが今一つの折口学説の核、所謂「水の女」論、水の神を迎えるため河海辺のタナの上で機を織る巫女的女性がタナバタツメとの仮説も、タナバタが機台(タナ)つきの高機とみられることから、再検討が必要と思われる。

 神と巫女による祭祀に文学の起源を求め古代日本人の世界観解明を目指した本書は、古代史とも交差する論点が多く、筆者も多くの教示を得た。小文に行き届かない点や読み違えがあれば著者の御海容をお願いし、拙い紹介を終えたい。
(ひらばやし・あきひと 片塩中学校教諭)


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