工藤 威著『奥羽列藩同盟の基礎的研究』
評者:家近 良樹
掲載誌:『日本歴史』669(2004.2)


 本書は、鳥羽・伏見戦争に始まり、函館戦争に終わる戊辰戦争の中でも、重要な位置を占める奥羽列藩同盟(以下同盟とする)について詳細な分析を加えた書である。戊辰戦争に関しては、周知の通り、維新変革の方向が定まるうえで深い係わりをもった戦争として、現在まで幾多の研究がなされてきた。

 その最初の本格的な論者として、原口清と故石井孝両氏の名前を挙げることには異論はなかろう。両氏によって、現在まで受け継がれている戊辰戦争に関する主要な論点の多くが提起されたからである。そして、この両氏を、いわば本格的な戊辰戦争研究の第一世代とすれば、さしずめ佐々木克氏などが第二世代に当たり、藤井徳行・星野尚文・久住真也といった諸氏が、それに続く第三世代ということになろう。そして、本書の著者である工藤威氏なども、この第三世代に属する。

 第一世代が果したもっとも重要な役割は、戊辰戦争の歴史的意義を総合的に分析し、初めて学問的な検証に耐えうる戊辰戦争論を展開したことにつきる。もっとも、その議論の詳細は、本書中に触れられているので、ここではその内容にはいっさい立ち入らない。ただ第一世代の仕事は、どうしても当時の時代的な制約もあって、実証面よりも理論面に重きが置かれた感が否めない。換言すれば、広く関連史料を渉猟し、そこから得られた膨大な史実を基に研究を深化させるというわけにはいかなかった。そのため、当該問題の解明は一時的に停滞し、個別諸藩の動向を軸とする詳細な政治過程の分析や、戊辰戦争をめぐる外国商人の動き、あるいは民衆の動向といった諸点の解明は、後代の研究者に任されることになった。すなわち、こうした問題提起に取り組むことで、研究を深化させることになったのが、第二・第三世代であったといえる。

 本書を、こうした戊辰戦争研究史の中に位置づけると、それまで本格的な分析・研究がなされてこなかった同盟の成立と崩壊の過程を、あまり使われることのなかった津軽・秋田・南部の北辺三藩の史料を丹念かつ積極的に活用することで明らかにしたものと総括できる。

 以上、前口上がいささか長くなった。本書の内容が一目で理解できると思われるので、目次を左に掲げる。(省略)

 目次からも明らかなように、本書は同盟の成立から崩壊にいたるまでの全過程を、事実の解明に力点をおいて考察したものである。そして、全体を貫く著者の問題関心は、同盟を主導した仙台藩の意図は何だったのか、どのような経過をへて同盟は結成されたのか、津軽藩やその他の奥羽諸藩は何を期待して白石に参集し、同盟に参加していったのか、というものである。

 ところで、本来なら、ここで各章ごとに要約を記し、評者のコメントを付すのが筋だが、あまりに紙数を費やすので、これは略したい。そこで以下、本書全体を俯瞰しての感想を記すことにする。まず最初に、評者は、著者の結論部分のエキスともいうべきものには、全面的に同意を表したい。それは、どういうものか。著者は、同盟の性格に係わる特色を次のように総括する。@「政権」とは言い難く、強いて定義づけるとすれば、「圧力団体」とでも呼ぶしかないものである、A反薩長軍的な軍事同盟となったが、仙台藩など一部の藩を除けば、防衛的な意味合いでのものでしかなかった、B同盟には「政権」の核となる政治機関も綱領もない。

 本書では、これらの結論が、具体的な事実経過解明の過程で明らかにされる。そして、そのうえで、第一・第二世代の下した評価が成り立たないことが指摘される。それは、やはり箇条書きにすれば、@公議政体をめざした「地域的な諸藩連合政権」(原口清説)、A「おくれた封建領主(東北辺境型諸藩)のルースな連合体」(石井説)、B「京都政権に対抗する、地方政権=奥羽政権」(佐々木説)といった評価への反論であった。

 先程も断わったように、紙幅の関係もあって、著者の具体的な論証の過程は、ここでは再現しえないが、評者には、この結論部分は首肯できた。同盟は、事態の和平策による収拾を目指した奥羽諸藩の連合体であった、つまり同盟には、新政府を倒そうとする意識はなく、新政府を肯定したうえでの薩長両藩への反発に基づくものであったとの指摘は、その通りであろうと思われた。

 続いて、今度は評者の率直な疑問点を挙げる。評者には、本書を読了したあと、不満な点がいくつか残った。そのまず一は、立論の前提となる幕末史の理解が少し旧いのではないかということである。評者の理解するところでは、幕末史研究は、一九九〇年代に入って、根幹部分の見直し作業(全体の枠組みの再検討)が進んだと思うが、これらの成果が反映されていないと感じた。続いて、その二は、これと係わることであるが、著者にとって、いわば仲間世代ともいうべき第三世代の研究成果への言及が、本文中では、ごく一部の章を除いて、あまりなされていないことである。むろん、第三世代の成果がまったく無視されているわけではなく、注の部分などで触れられてはいる。が、ごく簡単な記述ですまされているとの印象が残った。

 これは、あとがきによれば、どうやら著者の興味が、途中から明治文化や憲政史・外交史等々、他の分野に移ったためだと思われるが、本書を二〇〇二年の時点で上梓した以上、やはり近年の幕末史研究や第三世代の研究成果を視野に入れて、論を展開する必要があったのではなかろうか。

 そして、これが評者のより大きな疑問へとさらにつながる。それは著者が、批判的継承の対象とした第一・第二世代の問題提起を自明のこととして、まったく疑ってかからないことに対する疑問である。評者には、第一・第二世代の問題提起それ自体を、いま一度再検討する段階にきているのではないかとの思いが強い。例えば、第一・第二世代時では、明治維新によって天皇制絶対主義が成立したといった見方がはなはだ有力であった。

 ところが、現在ではこうした見方は必ずしも是認されているわけではない。いや、むしろ、明治維新を経て絶対主義国家が樹立されたといった見解が、通説的な地位からすでに降りたといった方が妥当であろう。したがって、絶対主義権力云々といった枠組みに基づく第一・第二世代の問題提起それ自体を、一度とっぱらって、新たな戊辰戦争論、ひいては奥羽列藩同盟論を構築する位の気概が必要ではなかったかと感じた。ましてや、著者がマルクス主義史観に立たないことを表明(二二頁)している以上、なおさらのことではないかと思った。むろん、これは容易なことではなく、大変な学問的格闘を必要とするであろう。しかし、これこそ、二〇〇〇年を超えた時点で奥羽列藩同盟を取り上げることの今日的意味ではないのか、こういったことを本書を通じて考えさせられた。

 評者の批判もしくは要望は的はずれかもしれない。そうだとしたら素直に謝りたい。また、評者自身に代案があるわけでもない。そういう点では無責任との批判は免れないかもしれない。が、以上のような読後感を持った。

 それはさておき、最後に、同盟に留まらず、著者の新たな視野に立つ、戊辰戦争全体に及ぶ見取り図が、近い将来に打ち出されることを心から願って、筆を擱くことにしたい。
(いえちか・よしき 大阪経済大学人間科学部・教授)


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