荒川 善夫著『戦国期東国の権力構造』
評者:遠藤 ゆり子
掲載誌:『歴史評論』646(2004.2)

   一 本書の特徴と成果


 本書は、宇都宮氏を主な研究対象とした前著書(『戦国期北開東の地域権力』岩田書院、一九九七年)の成果を踏まえ、那須氏等の考察をも深めることで、東国国衆の特色とその上部権力の存在意義の究明を目指したものである。まず、本書の章立てを以下に記す(括弧内は初出年、各章の細目は省略)。(中略)

 以上のように、本書は、那須氏に関する基礎的研究、政治・軍事動向の考察、権力構造の変容過程の追究(第一編)、宇都宮氏を事例に、第一編で得た議論の普遍化(第二編)、国衆間関係の考察と、上部権力の相対化(第三編)、このような構成をなし、研究史的にも、社会教育的にも意義ある成果が多い。だが、ここでは特に印象に残った特徴と研究史上の主な成果をあげつつ、内容を簡単に紹介することとしたい。まず、本書の特徴・成果であるが、端的に言えば次の五点にあると思う。@下野地方を素材とする戦国史研究の礎=基礎的実証研究を進展させたこと、Aなかでも、国衆レベルの家臣団構造に注目したこと、Bまた、それが変化を遂げていく時期段階を追究したこと、C考察対象が、中世前期から近世初期にかけてであること、D国衆の視点から、東国戦国史を描いていること、である。

 まず@についてだが、これは本書各所にいえる。関連史資料の博捜、そこに登場する人物と年代の比定、そこから見出した政治・軍事的動向。その成果は多岐に渡る。たとえば、那須氏・家臣が信仰する温泉明神の分布から、室町期以前における那須氏の勢力範囲を比定したこと(第一章)。那須氏・宇都宮氏とその家臣団の系譜復元と関連史料の整理(第一編・第二編)。史料読解上有益な、史料中にみえる方位呼称(「南方」・「東口」等)が示す対象の確定(補論)、等。氏の議論は、この堅実な作業とその分析の上に展開されている。

 次にAは、第一編に特徴的である。那須氏のような国衆レベルの家構造を、長期にわたって、ここまで確定できたことには驚かされた。その研究史上の意義は小さくない。戦国大名家のそれと、同質の構造に見受けられるが、どうであろうか。今後、大名レベルとの比較検討を進めれば、さらに地域権力の家構造は明らかになろう。また、当主・一族・家臣間に結ばれた婚姻・養子関係が復元可能な点も、家中結集のあり方を思うと興味深い。婚姻・養子関係の機能を追究することで、家中形成の意義を問うことも可能と思う。さらに、家中の婚姻・養子関係が一家中内に限定されないことが分かる点も面白い。那須氏の宿老大関氏は、佐竹・白川両氏と婚姻・養子関係を結んでいたという(一〇一頁)。両属・多属関係は複雑に展開されていた。多様な外交機能を果たし得る大関氏のような存在は、「那須家」の存続に寄与したことだろう。だが、それは同時に「那須家」分裂の危機を生み出す要素ともなる(拙稿「執事の機能からみた戦国期地域権力−奥州大崎氏における執事氏家氏の事例をめぐって」『史苑』一六七、二〇〇一年)。このような家構造を、複雑で不安定な政治・軍事動向のなかに描いた、国衆の豊かな歴史像がここにある。本書から得られる国衆家中のイメージ。これは、フィールドを異にする地域権力研究へも活かされるべき成果であろう。

 そしてBは、那須氏(第三章)と宇都宮氏(第二編)を事例にした考察の成果である。それまで、当主と有力一族・家臣による「領主連合的体制」だった権力構造が、天正期に直臣中心の「当主専制的体制」に変化することを究明した。さらに豊臣期には、一族・家臣が自立し、直臣による家臣団構造に転換する。そしてこの変化は、戦争の頻発化に伴い、家と所領の存続を目指す当主が、自立的な一族・家臣を排除し、直臣を重んじたことに起因する、とした。東国の政治・軍事的動向のなかに、国衆家中のあり方を動態的に位置付けた意義は大きい。

 またCは、第一編にみられる特徴である。従来の時代区分論が見直しを迫られている現在、近世をも視野に入れた議論は不可避である。また、近世の分析は、豊臣による改易を最終的に免れ、かつ史料的に恵まれた地域ならではの貴重な成果といえよう。

 最後にあげたDは、第三編に顕著である。氏は、古河公方でもなく、戦国大名でもない。まさに国衆の視点に立ち、東国の戦国を描いている。それは、従来の東国史研究が、古河公方・北条氏・越後上杉氏・豊臣政権の視座に立っていたことへのアンチテーゼであった。国衆にとって、上部権力とは何だったのか。その存在理由が問われている。そして、国衆の求めに応え得るか否か。それこそが、国衆が頼むべき権力を選択する際の条件だったこと。すなわち、国衆による選択の動向こそが、上部権力の変遷、東国の政治史を生み出したことを明らかにした。これは、古河公方や関東管領であるという〈権威〉が、支配の根拠となり得ないこと。権力とは、時々の歴史に規定されて変化、生成を遂げること。その実証として、高く評価されるべきと思う。また、国衆が各々上部権力を仰いだ理由は、国衆による「家の存続と所領の回復・維持・拡大を願う思い」であった、と指摘する。

 二 疑問点と研究史上における今後の展望

 以上のように、下野を始めとする東国戦国史研究のみならず、当該期の権力論研究に果たした氏の役割は大きい。だが、幾つか疑問も抱いた。その主な点を指摘したい。

まず第一は、戦国前史における那須氏の位置付けについてである。氏は、那須氏一族・家臣が温泉神社・湯泉神社信仰を紐帯とした結合であったことを指摘し、同社の分布地域=那須郡北部が、那須氏の勢力範囲であったと比定した。だが那須氏は、室町期に惣領家上那須氏と庶子家下那須氏が対立し、戦国期には下那須氏が那須氏を統一したことが知られる。この点を踏まえると、御社の分布地域とは上那須氏の支配領域ではないか、とも考えられる。つまりここからは、後の上那須氏と下那須氏の対立関係がすでに存在したとも思われるのである。しかも管見の限り、同社は那珂川とその支流域に分布する。ここから、用水の用益問題との関わりが予想される。今後追究すべき課題であろう。なお、温泉神社が那須郡北部に集中することは確かだが、日光や隣接する南会津郡にも所在する。この点への説明も必要だったかと思う。 

 第二は、家臣の理解についてである。たとえば、国衆の「親類」の定義。氏は鎌倉・室町期に分岐したことをもって、戦国期も親類と分類する(一四八頁)。だが、戦国の段楷で、果たして彼等は一族として機能していたのだろうか。一族・親類の概念は、当主の跡目を継ぎ得る様な「分身」的存在に限定すべきと考える(黒田基樹『戦国大名と外様国衆』終章、文献出版、一九九七年)。すでに、譜代(家臣)化していた可能性はないのだろうか。その点を明確にすべきであったと思う。また、那須氏の権力構造を、当主と那須衆の「一揆的協調体制」(一一三頁)とする意義も分かりがたい。確かに、家権力も一つの一揆ではある。だが、それでは家中として結集した戦国期的特色(この点は後述)を、見落とすことになろう。もし、那須衆が全く自立的ならば、一地域権力と見なすべきである。さらに、「一揆的」から「当主専制」体制へ権力構造が変遷した、という理解も一面的に過ぎる。果たして当主の志向性から構造変化の問題は解けるのだろうか。「当主専制体制」とは、家中の分裂が生じ、当主の下に直臣のみが残された、政治的結果にも思える。家中成立の意義や、家権力における当主の存在理由から、この状況も改めて問い直すべきであろう。加えて、身分秩序に注目する余り、戦国期と前代の相違が不明確な点も気になった。中世とは身分制的社会であり、家臣が当主との身分差を克服できない(一〇五頁)のは当然に思える。

 そして第三は、歴史の創造主体をどこに見出し、歴史をみる視点をどこに置くか、についてである。それは、研究史の捉え方の問題でもあり、「権力」の理解の問題でもある。氏は、国衆(又は一族・家臣)の視点から、国衆の歴史的性格の究明を試みた。確かに、東国戦国史研究におけるその意義は小さくない。上部権力(古河公方・戦国大名・豊臣政権)→国衆という視座のベクトルを、国衆→上部権力ヘ変えたことにより、国衆の側から彼らを相対化し、〈権威〉の意味を問い直した。だが、同時にその限界も感じた。氏は、国衆による「自己の家の存続と所領の回復・維持・拡大を願う思い」(三三〇頁)が、近隣との戦争を生じさせたとする。そして、その思いが家中構成を変様させ、頼るべき上部権力を変更させたという。つまり、国衆当主の志向性から、家中編成や上部権力の存在意義を位置付けているのである。しかし、それは国衆にとっての問題にすぎない。国衆による家と領国の維持。はたして、それは国衆のみの問題なのだろうか。

 すでに、戦国大名・国衆がともに領域的確力であったことは明らかにされている。だが、その領域の形成も、決して大名・国衆当主の「思い」からだけでは理解できない。顕著な例が、領国境目地域である。天正九(一五八一)年三月、この頃北条氏照領と結城氏領国の境目に位置した中里郷は、「侘言」により「半手」という両属秩序を創り出した(「小山市立博物館所蔵文書」『小山市史通史編T史料補遺編』二八頁、五三号文書)。これにより、「公事以下」を両領主へ納入し、保護を得ることが承認されたものと思われる。だが、半手の郷民はいつ敵方の「指南」を得て裏切るかもしれないと目されていた。そのため、戦時に領主の城へ逃げ込んでも、「敵方へ半手諸郷之者共、佐野門南木戸より内へ不可入事」とされ(「成田山霊光館所蔵喜連川文書」『藤岡町史資料編古代・中世』一二三号文書)、領主から充分な保障を得られないこともあったのである(領主の城については、藤木久志『戦国史をみる目』校倉書房、一九九五年等。以下、藤木a)。それにもかかわらず、勧農の時期であり、かつ年貢延納の最終期限の三月、村落は「半手」という決断を下した。それは、村落の生き残りを懸けたぎりぎりの選択であった。そして、そのような村落側の選択こそが、大名・国衆の領域範囲を決定したのである。 

 そして、そのような領国内においては、次のような問題が生じていた。たとえば、所有地近くの「原か野か山」を「自両方開き詰」めた結果生じる境論(「結城氏新法度」五八条)。川の流路が変わったことに起因して、魚を誰が取るかをめぐる相論(同前六〇条)である。慢性的飢饉状況下における用益や食糧の確保は、村落の再生産維持や、村民の生き死にに深く関わる問題である(藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』朝日新聞社、二〇〇一年)。村落間の再生産問題に発する紛争が、領主間相論へと展開し、その調停役を大名・国衆が求められたものと考えられる。家中形成を促した根本要因も、村落の側にあったといえる(長谷川裕子「戦国期地域権力の家中形成とその背景」『ヒストリア』一七七、二〇〇一年)。家中編成の変化も、領主レベルの問題に止めることはできないだろう。

 さらに同法度には、「里・在郷宿人之小人ども、目の前ゝ引連れ、此身如此と申と披露、誠分外なる事にて候、其身の宿に置き、一人罷出、可致披露候」とみえる(五〇条)。これは、「小人」(身分の低い者)の結城氏への目通りを禁じた箇条だが、「里・在郷宿人」が越訴することを前提にしたものといえる。つまり、結城氏のような国衆も、村落の越訴を保障していたのである。ここから、国衆が村落に直接対峙し、村落の自力による解決の回避に機能していたことがわかる。また、領主の存在理由を考える上で、足利氏の氏寺鑁阿寺領の橋本郷百姓による申状も興味深い(「鑁阿寺文書」『栃木県史史料編中世四』四〇六頁)。同郷百姓は、「去年四月南方(北条氏)御陣下ニ被下地罷成」にもかかわらず、夏年貢の詫言が「無御承引」く、さらに「秋作下地共ニ被食上」れたことは「迷惑」である、と同寺に訴えている。その際、長尾当長の時に「扣(ママ)毛・乱入大水何事成共、作毛ちかい申候筋目候者、御地頭江詫言可申候之趣」を仰せ付けられ、「其時分之御文茂于今御座候」ことを根拠に申し立てているのである。実際、辰年より未年迄は、「佐竹衆乱入」や「大水」により年貢が減免されていた。つまり、当該期領主とは、災害・戦争を回避し、領国の安全と平和の保障(=領主の責務)を果たしてこそ領主たりえ、村落もそのために年貢を納めたのである(藤木a)。

 以上のように、戦国大名・国衆が村落と直接対峙し、自力抑制と平和創出による村の成り立ち維持に機能した家権力であったことは、すでに究明されつつある(藤木久志『村と領主の戦国世界』東京大学出版会、一九九七年。平山優『戦国大名領国の基礎構造』校倉書房、一九九九年。黒田基樹『中近世移行期の大名権力と村落』校倉書房、二〇〇三年等)。私は、戦国大名や国衆を始め、戦国期の権力の歴史的性格は、当該期民衆の発現形態=村落の視点に立つことで、初めて明らかになると考える。またそれでこそ、民衆が負うべき歴史的責任も詳らかになるものと思う。

 だが、氏の研究成果は、むしろこのような理解を踏まえることによって、新たに活きてくるように思う。特に、前述した特徴・成果のD。上部権力の変遷理由を問い、国衆側がその変動主体とした議論を、村落の視点からみるとどうだろうか。すなわち、国衆領国の村落にとって、国衆の存在意義と上部権力のそれは違いがあるのか。あるならばどこが違うのか。また、上部権力それぞれが村落に果たし得た機能の違いが、その変遷を生み出したのか。このような問題を問うことができると思う。たとえば、前述の「結城氏新法度」(五八・六〇条)では、耕地面積や川の利用日数・漁獲量を互いに折半するという紛争処理が取られている。これは、紛争という自力救済自体を禁止する豊臣政権のあり方とは明確に異なる(藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』東京大学出版会、一九八五年)。このように、村落の問題にいかに対応し得たかが、国衆−戦国大名関係をも規定していたのではないだろうか。すでに、戦国大名・国衆が、ともに本質的性格を同じくする地域権力(対中央権力という意味ではない)であったことは、明らかにされている(黒田基樹『戦国期東国の大名と国衆』岩田書院、二〇〇一年等)。だがその上で、改めてその機能の違いを見出し、その歴史的性格を問うことも必要だと思う。そしてその際は、近世の藩−幕府関係をも見据えた議論が不可欠となろう。比較的村落関係史料が豊富であり、かつ政治的事情により国衆−戦国大名関係史料も多い当該地域では、それも可能なのではないだろうか。以上、本書は新たな戦国史研究の展望をも開いたものとして、評価されるべきものと思う。
(えんどう ゆりこ)


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