根本誠二著『天平期の僧侶と天皇―僧 道鏡 試論―』
掲載誌:古代文化56-1(2004.1)


 道鏡といえば、天平時代後半、女帝称徳(孝謙)天皇の寵愛を受け望んでも得られない天皇の位を切望した悪僧として描かれることが多い。本居宣長の『続紀歴朝詔詩解』に端を発し、長年月を経て固定化されたそのイメージは、もはや覆すのは至難の業であろう。著者はこうした道鏡に関わる風説を再評価しようというのではなく、道鏡を真正面から語ることによって、政治的にも文化的にも日本の古代社会に転機をもたらした稀代の存在として、史料群の背後にある道鏡厳然たる実像に迫っている。同時に、道鏡は『天皇の帰依と忌避によって生きもし、死にもした』意味を語ることによって、律令国家を宗教的に守るためだけに存在していたとされる奈良仏教(者)の存在感(あるいは存在感の無さ)を見直そうというのが、本著の今ひとつの目的である。

 構成は第一章『道鏡の時代』、第二章『女帝と道鏡』、第三章『高僧と天皇』、第四章『仏法の王と八幡神』、第五章『仏教政治の本質』、第六章『肥大する道鏡像』、第七章『道鏡に対峙する』からなっており、巻末に引用史料と参考文献が付されている。

 本著は奈良仏教史の精力的な研究で知られる著者が、従来の道鏡研究に見られる単なる史料の『読みかえ』ではなく、平城京から平安京への遷都の原因であったと指摘されている奈良仏教の堕落をも、道鏡の来歴をとおして再確認しようとする、非常に読み応えのある内容となっている。また著者は古代国家において、宗教(仏教)とのあるべき関係を模索せず、真正面に対峙しなかったということが、宗教と国家の関係のあり方という重要な課題に対して日本人がいまだ解答を出し得ない要因であったと唱えている。道鏡研究が宗教史・政治史的な意義にとどまることなく、日本人の信仰観への問いかけにも繋がるのである。


詳細へ 注文へ 戻る