井阪 康二著『ねがい−生と死の仏教民俗−』
評者:森 正人
掲載誌:日本民俗学235(2003.8)


 著者は前著『人生儀礼の諸問題』(一九八八年)で示されたように、永く「死」に対する人々の考え方を、葬送儀礼や墓制を手がかりに明らかにしようと研究を重ねてきた。本著では葬送儀礼、極楽、閻魔大王というあの世に対する人々の想像力のほか、中山寺を研究対象として「出産」に関する人々の信仰、さらに参詣道に関わってきた人々にまで関心を広げることにより、「ねがい」を持つ人々の心性に迫ろうとしている。

 本著で著者は、大きくは三つの研究の手法でこれらの問題に取り組んでいる。第一は前著でも用いられたもので、広く日本中の史資料を集積・比較し、個別の習俗が持つ意味に迫ろうとすることである。第二は、特定の地域なり対象を設定し聞き取り調査を行うことで、民俗語彙を収集したり人々の心のありようを知ろうとしている。最後は、史料をもとにして中世や近世における特定の信仰や特定の対象のあり方とその変遷をたどることである。     

 これらの方法に基づく著者の分析は、どれも丹念な検討・評価によって支えられているが、限られた紙幅では全てを紹介し評価することができない。そこで以下では、最後に挙げた手法による兵庫県の中山寺の近代的展開(本書の第一章)の分析に注目したい。        

 著者は、なぜ中山寺が安産祈願の場となったのかという問題を、近代以降の仏教勢力の様相や国家政策といった諸権力の絡まりからときほぐしていく。ここでは、中山寺が安産祈願に果たす役割を積極的に押し進める中で重要な役割を果たす複数の人々も取り上げられており、これらのいわばイデオローグの思想的背景や中山寺以外での活動などについても追うことができれば、中山寺の信仰体系がどのような複雑な意図の中で支えられているのかがさらに明らかになるのかもしれない。また中山寺の信仰の広がりを、石碑などに残された寄進の記録から明らかにするだけでなく、私鉄の沿線開発を伏線にして論じることにより、動的な信仰の展開に対する視点を持ち込んでいるといえよう。

 以上の著者の分析視角は、信仰体系や現象を同時代のそれ以外の現象と結びつけて複眼的に捉えることがあまりなかった民俗学に対して、近年の民俗学内外において重要とされている新たな問いかけの方法を提示しているといえよう。これに加えて、著者の関心の広さと、分析手法の多様さが凝縮された一冊である。


詳細へ 注文へ 戻る