浦井 祥子著『江戸の時刻と時の鐘』
評者:岡田 芳朗
掲載誌:歴史評論642(2003.10)


「花の雲鐘は上野か浅草か」という芭蕉の有名な句は上野寛永寺と浅草観音の時の鐘を詠んだもので、これと日本橋本石町の時の鐘はよく知られている。江戸にはこのほかに、市ヶ谷八幡、芝切通し、赤坂円通寺・成満寺、目白不動尊、本所横堀、四谷(実は内藤新宿)天龍寺などにも時の鐘が設置されていた。著者は、これに下大崎村寿昌寺、目黒祐天寺、目白新福寺、巣鴨子育稲荷などを加え、さらに、時の鐘の置かれた可能性のある寺社をも検証している。

 このように、百万都市江戸には数多くの時の鐘があったが、史料が比較的少ないために、それらの創設・維持管理・普請修理・鐘撞人の変遷などについては、一部のものしか明らかでなかった。       
 著者は、『撰要類集』、『類集撰要』、『本石町三丁目時鐘書留』などの他、新たに『時之鐘』、『時之鐘時之太鼓之事』、『寛永寺鐘撞堂文書』などにより、これまで不明であった点を解明している。

 江戸の時の鐘はその起源が城中の時の太鼓にあり、江戸の都市生活の運営と維持のために設けられたもので、直接間接に幕府の管理統制下にあった。

 時の鐘の維持のために徴集された鐘撞銭については本石町の場合、武家屋敷を除いて町屋のみを対象としていたが、他の時の鐘では武家屋敷も対象とするもの、武家屋敷のみのもの、寺院の自費のものなど、さまざまの方式があったことを紹介している。

 時の鐘の鋳造・修理や、鐘撞堂の普請などの費用も、関所金があてられるなどさまざまであること、鐘撞人の世襲や株の存在など、この書に教えられるところが多い。

 ところで、時の鐘は何により正しい時刻を知って撞かれたかということは、多くの人が持つ疑問だが、それについても詳しい考察がある。そして、各所の時の鐘がバラバラに撞かないような工夫(撞く順番)がされていた。本書の書名が『江戸の時刻と時の鐘』とあるように、時刻についても当然検討が加えられている。しかし、なにせ複雑であいまいな江戸時代の時刻制度のことである。著者の努力にもかかわらず、なかなか理解しにくい。

 ことに、時の鐘が各正刻(時刻の真ん中)で撞かれたため、世俗では時の鐘を聞いてからある一刻が始まるとするようになったことなどの説明がやや不足ぎみである。

 本書は著者が近年発表した諸論文を加筆訂正して博士論文として提出されたものであり、考証が厳密である。反面、図版や地図、現在の位置などについては、一般読者にややもの足りなさを感じさせるであろう。

 しかしながら、本書は江戸の時の鐘についての初めての本格的・総合的な研究書として高く評価されるものである。
(おかだ よしろう)


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