佐久間 耕治著『底点の自由民権運動』
評者:池内 啓
掲載誌:日本歴史666(2003.11)


 本書は安在邦夫氏が序文の中でも述べられているごとく一九八一年の自由民権百年運動を契機に地域における民権運動の掘り起し活動が展開され、また続いて自由民権一二〇年が言われる現在、さらなる掘り起しが期待されている中でまさに時機を得た恰好の書であると言えよう。

 本書の内容を目次にしたがって述べておこう。
(中略)

と、以上本論七章、補論一章ならびに後書によって構成されている。

 それらのほとんどは著者が十数年間に渉る千葉県を中心とした民権家史料発掘の努力の成果を物語っている。いわく吉野泰平家文書、井上宏一家文書、斉藤嘉治家文書等々。吉野泰三、井上幹、斉藤和助等は明治一七年五月の自由党員名簿に名を連ねた人々であり、著者がいみじくも歩きながら考え、考えながら歩き続けてと語られるごとく地域での史料探索の賜物である。

 私事であるが、かつて福井県における自由党員名簿および立憲政党名簿に列記された党員の足跡をたずね歩いた日のことを思い出す(なおこのことは現在も細々ながら続けている次第ではあるが)。それは子孫の方が同地に現存するわずかな旧家を訪ね歩き、史料の所在を探求するものであった。一面何かわくわくする期待感と他面やや面倒なことを予測する不安感とが去来したことであった。そして快く史料を提示していただいた場合とにべもなく調査を断られた場合とを経験したのであった。著者もまたおそらく以上のようなことを経験されたものと思う。

 さて、通読して著者に期待したいことを一、二述べておこう。

 一つは著者も言われているように千葉県夷隅郡は房総の自由民権運動の梁山泊であったであろう。自由党員名簿には県内で最も多く二五名が名を連ねている。これら二五名の人々の後半生の足跡を(井上幹の足跡とまでゆかなくとも)解明でき得れば、地域の民権運動の底点の一端が浮び上がって来ないだろうか。かなり困難なことと思うが著者に期待したい。

 もう一点は著者も自由党解党後の千葉県における運動の継続に注目されており、明治二〇年前後の県内運動の一端を数多くの残存書簡を通じて紹介されているのであるが、この時期をどのように評価されるのか著者自らの見解をまとめられることを期してやまない。

 一方また共感を呼ぶものとして著者の民権運動研究に取り組まれている原点とも思われる反「権力」といった「民」の立場。そして本書の書名にもある「底点」という姿勢とである。氏も語られるごとく底辺の視座からという視点は従来しばしば用いられて来た。底辺という広がりの中に「民」の底力を読みとろうとする民権運動の調査研究には多くの人々が取り組んで来たことと思う。しかし氏のごとく一歩進めて歴史の底流に横たわっている「民」一人一人の個を見つめ、その個々の営為を掘り起こすことの中に歴史の深層の襞を探ることは大切なことだと考える。そして次に地域における自由民権運動の研究を教育者として教育の場に生かされている姿勢とである(補論)。

 終りに若干の問題点を指摘しておこう。一つは著者が桜井静と植木枝盛とが一八五七(安政四)年生れの同年齢であることを伏線にして愛国社路線と在地県議路線の二つを対立した立場と極めつけられている点は問題があるのではないか。二つの路線は国会開設運動の中での二つの潮流として対立しつつ交錯し競合していったのではないか。

 また今一つは、まとめの中で一八九〇年五月五日の愛国公党宣言書の中の政綱第三条、第四条を引用され、それらを日本の平和主義に関わる貴重な宣言文とし、万邦無比の平和主義を銘記した日本国憲法第九条の思想的な源流であると強説されている点である。一応思想的な関連はあるとしても、同宣言書が主張しているのは、当時における同党の「小さな政府」といわゆる「小国主義」の強調であって、ストレイトに現在の平和憲法第九条に結び付けるには若干のブレーキが必要と言えないだろうか。

 以上若干の問趣点を指摘したものの本書は千葉県をフィールドにした地域における史料発掘とその分析の成果であり、自由民権運動一二〇年の今日において在地の運動研究者に大きな勇気を与えてくれたものと言えよう。
(いけうち・ひろむ 福井大学名誉教授)


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