井阪 康二著『ねがい−生と死の仏教民俗−』
評者:渡部 典子
掲載誌:御影史学論集28(2003.10)


 著者は、葬式と仏教の関わりを知るため、仏教民俗の研究をされている。本書は、生と死の民俗儀礼の中に、仏教の関わりをみた論文集であり、「ねがい」という題名によつてまとめられたものである。内容構成は以下のようになっている。

 (中略)         

 第一章では、兵庫県宝塚市にある中山寺において、安産信仰の由来が位置づけられ、信仰が普及していくことを論じられている。さらに信仰圏についても考察されている。そして、京都府丹後町中浜の産育習俗、大阪狭山市の産育・婚姻習俗を報告されている。

 第二章では、厄年と葬送習俗について論じられている。葬送習俗の六文銭については、死者をあの世へと導く六地蔵への賽銭であることを検討され、地獄と地蔵信仰について考察されている。また、淡路島のダンゴコロガシの習俗からも、地蔵信仰との関わりを述ベられている。そして、淡路島の厄年・年祝い、大阪狭山市の厄年・年祝い・葬送習俗を報告されている。 

 第三章では、阿弥陀信仰について論じられている。まず、大阪府箕面市にある勝尾寺では、播磨国加古の沙弥教信の口称念仏による阿弥陀信仰との関わりを述べられている。次に四天王寺では、極楽土の東門信仰について検討され、その東門信仰が西に向かう阿弥陀信者によって、西門信仰に至ったことが考察されている。また、阿弥陀信仰と熊野信仰から生じた四天王寺別当の争いについても検討されている。第四章では、まず真言密教の阿弥陀信仰にとって、不動明王が臨終正念としての仏であることを論じている。そして、長宝寺の『よみがえりの草紙』から、衆生救済の仏として地獄の閻魔王が強調されていくことについて考察されている。さらに平野における熊野信仰とその影響についても詳しく検討されている。また、小野篁と閻魔王信仰については、京都のショウライ迎えをとりあげ、考察されている。

 第五章では、主に、願いを持った人、宗教者・巡礼者と人々の往来する道をとりあげてている。道は、陸だけでなく、海や川もとりあげられており、伝説や信仰などから詳しく考察されている。

 以上のように本書は、生と死の民俗儀礼の史料が収集され、丁寧に分析されている。さらに著者がフィールドワークにより、人々の「ねがい」が強く捉えられている。そして、仏教民俗を「ねがい」という視点から、深く考察されている。


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