高橋 実著『助郷一揆の研究』
評者:森 朋久
掲載誌:地方史研究304(2003.8)


 本会の活動に大きく寄与され、史料保存利用運動や文書館運動を推進され、茨城県立歴史館に奉職された高橋実氏が、長年の研究成果である近世中後期における農民運動史論を一冊にまとめられた。本書の課題は、常陸国南部に地域限定し、文化元年におきた牛久助郷一揆の分析を基軸とし、その他訴願と村方騒動の検討から、近世中・後期から幕末維新期における農民の意識と行動の問題を解明されたものである。本書の目次は次のとおりである。
(中略)
 次に、各章の内容を概観していこう。

 序章では、戦後の近世史研究と民衆史・民衆思想史の各研究史の流れを概観されたうえで、それぞれの課題を明らかにされ、さらに、近世農村史研究での視角と方法を説いておられる。歴史の基本法則の貫徹を確認するいわば「金太郎飴」的な農村史について批判され、「世直し状況論」を批判的に継承することや、近年の近世地域社会における中間層の議論や高橋敏氏の民衆生活史研究に対して賛意を表されている。そのうえで、近世農村史研究の視角と方法は、「天下国家」の政治・社会経済史を基礎に位置付け、地域史料の丹念な読みとりから、当時の人々と同視点・視野に立ち政治社会・生活文化を解明するとともに、当時の人々が知らなかった知恵を駆り出し、彼等が認識できなかった問題をも明らかすべきと説かれている。特に幕末維新期に政治社会情勢の変容に対して反復・循環的に対応する主体の歴史的な資質が問題となることから、農民運動を担う人間の意識と行動の解明を課題とされ、そこに牛久助郷一揆など農民運動史の研究の意義を見出されている。

 第一章は、宝永元年から四年における筑波郡将監新田(茨城県伊奈町)と同郡上谷井田村(同町)との別名主訴願運動を通して、不服従、強かさ、巧みさ、政治性、御百姓意識など、近世中期の地域農民たちの訴願運動の意識と行動の諸相を明らかにされている。この地域の農民は、近世農民像として言い習わされた「惨めさ」「愚昧さ」などの側面をもたず、自らの生活の安定をはかり、少しでもその向上をめざしたいという強い意識をもちつづけ、それが阻害されると、それに対応して能動的行動し、強かな術策的方法や強硬な政治的手段を駆使した。この結果、農民たちや村あるいは村々に、自立、自主、自治的性格が強まってゆくことを明らかにされた。

 第二章から第五章までは、牛久助郷一揆を対象とした一連の研究であり、第二章は第三章から第五章までの前提となっている。牛久助郷一揆の起きた地域の概要、一揆の原因、一揆の展開、結果について農民の動向を中心に詳述されたうえで、幕府の取締改革を間接的に導き出したと、牛久助郷一揆の歴史的意義を示されている。

 第三章は、「悪」の措定を契機にした一揆への結集、発頭人や頭取への飛翔など、日常の生活から非日常の蜂起へ飛躍した牛久助郷一揆に参加した農民の意識と行動の特質、一揆の発頭人や頭取らの人間像などを分析されている。特に、一揆が「訴」に向かわずに仲間制裁に向かった背景、牛久助郷一揆の特徴である一揆の組織性、うちこわしの規律性、倫理性を明らかにされている。

 第四章は、牛久助郷一揆の徒党・うちこわしにかんする諸記録を素材にして、百姓一揆の世界に地域性や時代をこえて存在する共通の行動様式を解明されたものである。具体的には、最近の一揆の研究成果をうけて一揆勢の「いでたち」「得物」などを検討され、それにもとづいて一揆固有の行動様式の特質を解明された。そして、「いでたち」「得物」は農民と領主とで合意された意思伝達手段であること、近世の百姓一揆は「竹槍・蓆旗」型一揆につながる前史として位置づけられるものではないことなどを説かれている。

 第五章は、牛久助郷一揆に対する当時の見方、鉄砲使用にかかわる意識などの問題を分析し、さらに一揆への参加のありようを検討され、従来の百姓一揆論を再検討する際の論点を提示されている。そして、領主・役人、農民共に直接対決を避ける状況とその論理、領主の鉄砲など武器使用に対する消極性、役人合意のうえでの一部農民の参加と内通などの事実から、牛久助郷一揆に現代の「春闘」的な要素を見出されている。これを踏まえて今後の課題として、さまざまな相対立する要素を織りこんで全体を包括する百姓一揆の論理をみいだし、近世における百姓一揆の全体像を描き出す必要性を説かれている。

 第六章は、村方騒動にかんする研究の現状から、筑波郡足高村(伊奈町)を舞台に展開した天保期の村方騒動を素材に、さまざまな局面で対立と連合を繰り返す農民の行動の特質を分析されている。訴訟側または相手側を善悪二元論的な固定観念で位置付けられないこと、村役人が村政を担ううえで一般農民の世論を無視できないことなどを説かれている。

 付論は、幕末維新の変革期について、これまで社会構成体の変動という視点からの分析が数多く提示されているが、個々の農民のあゆみに光をあてた分析は意外と少ないという問題意識から、真壁郡梶内村(茨城県関城町)の一農民飛田佐平太の生活や生涯、意識について、彼が残した「年々覚附」という記録から検討されている。

 終章では、以上各章の成果と課題をまとめたうえで、今後の全体的な課題として農民諸階層の矛盾・対立と連合の諸相を総合的に明らかにし、よりいきいきとした豊かな農民像を提示することをあげられ、具体的に、幕末維新期における地域社会における中間層の歴史的な役割をあげられている。中間層の問題は、序章での問題意識につながるものである。

 以上の内容を踏まえて評者の見解を述べていこう。

 評者は、八〇年代に世直し状況論や一揆に多少関心をもち論考をいくらか読んだが、現在の興味の対象は近世百姓一揆や農民運動史ではなくまったく門外漢であり、この分野の知識は当時のレベルに留まっていた。そのようなものにとって本書との出会いは、八〇年代から現在までのこの分野の研究の流れを知るうえで貴重な体験になったとまずいえよう。特に、百姓一揆の発達段階説や「豪農・半プロ」論、「竹槍・蓆旗」論のような理論、階級・階層対立にかんする研究から、運動構造、つまり一揆特有の行動様式の研究に研究の重点が移行してきたことが把握されたが、この研究史の流れが本書の研究に大きな影響を与えているといえよう。一揆の研究史は長年蓄積と厚みがあり、その理論のなかにはなかば教条化されているものもあるが、これから一度はなれて、当該期農民の視点から農村史料をみる研究視角と方法論を説かれている。これは、長年史料保存運動や文書管理学を推進してこられた高橋氏の日頃の実践から生まれてきた、氏ならでは可能な方法論であろう。

 本書は近世史研究を主眼にしているが、文書管理学的な方法論が諸所に取り入れられている。例えば、第一章では、論拠となった史料一覧を提示されている。また、牛久助郷一揆の検討にあたっては当一揆関係の記録類を基本史料とされているが、第四章において記録を史料として扱う場合の配慮、つまりできるだけ多くの記録・実録を集めて史料批判を行うべきことを示され、牛久助郷一揆関係記録では五系統二一写本の存在を確認され、やはり史料一覧をあげておられる。その他、佐倉藩など領主側の史料の存在も確認され、事実比定に十分な配慮がなされている。さらに、第六章で検討の対象となった片山家に伝来していた一件文書は、同家文書を文書の保存・伝来の現状を尊重して整理し、目録編成した結果として年代や内容によって区分けされることなく塊文書としてもれることなく把握することができたことを説かれていることなどである。以上の切り口は、先の述べた高橋氏の姿勢の現れであろう。

 これまで、本書に対してかなり賛意を表してきたが、ここで一、二の辛口の意見を述べておこう。

 まず、第五章において領主が百姓一揆との対決に消極的な理由として牛久助郷一揆が対権力問題に至らず危機感の薄い一揆であった点にみておられるようである。これは領主の一揆の対応を農民だけにおいた場合に当然の見解であろうが、さらに領主、役人の幕府幕閣への対応という視点を加えてみると、別の見方もできるのではなかろうか。例えば郡上八幡一揆のように徒党・一揆となれば一揆の鎮圧過程もさることながら、領主の領内に対する自分仕置の問題も問われ、これに問題があれば幕府の重い処断が下るのが当然である。そこで、領主は、牛久助郷一揆を幕閣に徒党・一揆として認識して欲しくはないし、幕閣も幕領で徒党・一揆が起きれば自らに責任が及ぶことになるので同じ認識であったのではないだろうか、つまり、実際の農民一揆の状況から離れ権力内部の問題に領主の関心が移っているのではないかということである。

 また、高橋氏は幕末維新期における地域社会の中間層の役割を重視されている。確かに、牛久助郷一揆の起きた取締改革以前はこのことは疑う余地もないと考えられるが、取締改革以降は、寄場組合制のもとで村に囲が設置され、村の治安維持機能が強化されると、中間層の多くは支配層側につくようにみうけられる。そうなると、中間層が本当に一般農民を代表する存在となるのかどうかは検討の余地が生じるとともに、世直し状況論の理解も生きてくるのではあるまいかとも思われる。

 とはいえ、これだからといって本書の評価を下げようという意図は全くない。

 本書を構成する大半の論考が自治体史の紀要であり、本書は高橋氏の学位論文である。学位授与は、高橋氏の諸著書や史料保存利用運動の諸論考を踏まえてのことであろうが、同時に現在の地方史研究の水準の高さを示しているように思える。
(〒177-0044 東京都練馬区上石神井3-11-17)


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