保坂 達雄著『神と巫女の古代伝承論』
評者:石井正己
掲載誌:国文学48-11(2003.9)


 著者が二〇年以上にわたって書き続けてきた古代伝承論が、ここにまとめられた。長短三〇編の論考を収録して、六〇〇頁を越える書冊になっている。大著であるが、・古代日本人の言語と信仰から文学の発生を論じる態度を貫いていて、心地よい緊張感が張りつめている。ゆっくりした歩みであったが、その持続カは驚異である。

 ここで著者が想定した「古代」とは、歴史的なそれではない。折口信夫が『古代研究』で提示したような世界であり、文学の発生段階を指すと言い換えてもいい。そこでは、訪れる「神」と迎える「巫女」とが中心にある。そうした構造を認めるならば、本書は古代伝承の本質に迫ろうとするものであり、大道を行く研究であったと言える。
 全体は、「南島の神話とシャーマニズム」「巫女と古代王権」「神の誕生・罪の始源」「神楽と再生」「折口学の成立」「折口名彙の生成」の六部に分けられている。沖縄での聞き書きに始まり、『古事記』『日本書紀』、『風土記』『万葉集』などの分析を経て、折口学の誕生にまで言及してゆく。配列は、比較的新しい論考から初期の論考へ緩やかに溯る構成を取っている。

 著者の意図に反するかもしれないが、論考の推移を辿ろうとするなら、むしろ、第六部から戻るかたちで読むべきであろう。本書の核心を捉えるには、そうした発生論的な読み方がいいと思う。実際、私はそのようにして読んだ。本書は、個々の論考の結論ばかりでなく、研究の過程や方法そのものが重要な課題を孕んでいるからである。

 書名にもあるとおり、本書の主題は、「神」と「巫女」への飽くなき追究にある。「兄と妹」に始まった関心は、「斎宮」「釆女」を経て、沖縄の「ツカサ」に辿り着く。しかし、「神」と「巫女」の関係は対等ではなくなり、「巫女」への比重が次第に大きくなってゆく。そして、折口は「まれびと」から文学の発生を説いたが、「巫女」から文学の生成を論じるのだと言挙げされる。これが本書の到達点ではなかったかと思われる。

 改めて考えれば、本書が生まれるには、二つの人脈があった。一つは、折口が教鞭を執った慶応義塾大学の学統である。末尾に置かれた「折口学の成立」「折口名彙の生成」は、そこから生まれた成果である。本書の基礎には、他の追随を許さない折口学の研研があり、その上で、折口が手繰り寄せようとした「古代」を実証的に検証しようとしたのである。

 もう一つは、七〇年代からこの分野を先導してきた古代文学会の活動である。「巫女と古代王権」「神の誕生・罪の始源」は、この会と関わりつつ書いた論文が中心になっている。その結果、本書の至る所で、古代語の新鮮な読みが光を放っている。同世代の研究者の仕事が大きな刺激になったことは、ほとんど疑う余地がない。

 こうした人脈は、研究を進めるにあたって、恵まれた環境になったであろう。だが、敢えて言えば、それは同時に大きな束縛にもなったのではないか。本書の達成と限界も、それと無関係ではなかろう。一方で、本書のような方法論は、すでに厳しい批判の目に曝されている。今後の研究は、古代文学研究が作ってきた枠組みを破壊するところまで進められないかと願う。

 それとともに重要なのが、折口信夫の徹底的な解明である。本書はすでに折口学への批判を学んでいるが、もっと明確に態度を表明してもいいだろう。没後五〇年を迎えて、同性愛者でオチにするような批評は、もう終わりにしなければならない。そのためにも、著者には、勇気を出して世俗の議論に加わってもらいたいと思う。
(東京学芸大学助教授)


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