鈴木久子・野村敬子編『ミナエ婆の「村むがす」―山形県口承文芸資料―
評者・杉浦邦子 掲載紙 女性と経験24(99.10)

本集第一話「こゆき」を一読、強烈な衝撃を与えられた。言葉は優しく、情景は目に見えるように美しい話なのに、である。
これは公然と「間引き」を扱った「はなし」である。それも言われているような出生直後に第三者である産婆などによるのではない。初子を、宮参りの日に、姑が手を下して葬ってしまう。しかも、幼子の母・こゆきが夫・ゆぎおの元に嫁入りして妊娠し、苦労して産んだオボコを舅はじめ家中が喜び迎える様を細々と叙述した後での、惨いまでの場面転換である。消えてしまった我が子・コオイチの行方を必死に尋ねるこゆきに、オバコ(小姑)は「橋の上がら、身投げしたべ」と応える。
「コオイチ。コオイチ」と猛吹雪の中を赤子の名を呼びながら探し歩くこゆきゆぎおの姿は、子故に狂う若い夫婦の道行きを連想させさえする。死んで雪女と雪男になった二人は、吹雪の夜には今も赤子を探し続けていると結ぶ。この「はなし」をミナエさんに伝えた祖父は、彼女が語り伝えてくれることを望んだと言う。
このように記せば、本集は、大人のための口承文芸資料集であることが知れよう。これまで野村敬子氏が編んでこられた山形県最上地方の数々の昔話資料集とも性格を異にする。今まで顧みられることがほとんどなかった話柄を集めた意欲的で刺激的、かつ挑戦的な集である。
本書の序及び解説によれば、「むがす」とは、山形県北地方において「昔話」「伝説」「世間話」を総称する民俗語彙であるという。「「はなし、かだりごんぜぇ」と、相手を得て無聊をなぐさめる日常的な口承文化である」「はなし」に、氏は「村むがし」と名を与えた。「ぴったりと村に吸着し、話柄は村内の情報的要索をはらむ、興味本意なものが大部分である」からという(傍線筆者)。
名前を与え、一群の話柄を現代の人々に知らしめた編者は、ミナエ婆の「村むがす」再生の産婆役でもあったと言えるのではあるまいか。と言うのは、仄聞するに、ミナエさんの「むがす」は観光的行事や教育的配慮が優先する場には馴染まないと考えられてか、敬遠されがちであったからである(かく言う筆者もかつて、聞き取りにくい方言で延々と続くミナエさんの語りに音を上げた一人であることを告白しなければならない)。
「聴く心が見えないとミナエ婆の『むがす』は単なる長話になってしまう」(あとがき)その語り口の奥に埋もれている真の価値を見抜いた野村氏と、聴いてくれる相手を得られないまま、「はなし」が衰え果てるのをかろうじて繋ぎ止めていた(良き聞き手であり続けた)もう一人の編者である鈴木久子氏とお二人の努力で、ミナエ婆の「むがす」は蘇った。心を込めて聴く人があれば、「はなし」は息を吹き返し、その姿が美しく立ち上がるのを目の当たりにする思いである。
必要不可欠の言葉を選んで筋を追い、余計な説明や修飾を排除する昔話の語りと違い、ミナエさんの「村むがし」は身辺事情や処世術、民俗知識や諺などを盛り沢山に挿入する。素晴らしい記憶力である。彼女は文字を識らない人という。純粋に口承の伝えを守る故であろうか。
佐藤ミナエさんは大正五年に山形県最上郡鮭川村に生まれ、現在は新庄市蛇塚に住む。幼くして両親と祖母に別れ、弟を育て、視力を失い按摩業を営む祖父を助けて幕らしたミナエさんは、その祖父から「むがす」を伝えられたという。管理する二百余話のうち、本書に収録されたのは十九話。「四月八日お釈迦様」を例に彼女の語りの特徴をみてみよう。
本格昔話「天福地福」(大成一六一)を骨格に持ち、昔話らしい形を守っている。「むがす むがす」と語り始め、「とんびすかんこ・ねっけど」と語り納める。しかし、爺様と婆様が働き者で仲睦まじい様子や爺様に先立たれた婆様の暮らしぶりを具体的に説明するのは、昔話とは異なる語り方である。風呂桶のタガの材料の変遷や寺参りの身嗜みに言及し、胡瓜の植え時をさり気なく教え、諺を引用して喜びを表現し、宝を授かった後に実家を助ける後日談を語って締め括られる。
爺様は早くに死んでしまい、活躍するのは婆様たちである。良い婆様の立ち居振る舞いや働きぶりが、目に見えるように語られるが、針仕事、特に継ぎ物上手なことが強調されているのは、他の話にも共通する。
驚くべきことには、この夫婦には子どもがないのだが、それは爺様に子種がなかったからと言い、言い寄ってくる男もいたが、「人の嚊まで、ちょっかいかげないで、オワの田耕せ」と撃退したと回想するのである。
子なきは去れの時代に、子宝に恵まれないのは夫に原因があると言い切っている。他にか弱い妻とその夫が樹の上で拾った子どもを育てる話もある(「ヤマコ(樵)の子供・金太郎」)。
ここでは、身持ちの良さを称揚するが、女房の浮気譚もある(「大岡裁き」「六月土用村」)。共に、浮気した妻より相手の男のほうが罰を受けるのは興味深い。総じて、女性の側に傾斜する心意が感じられるのは、女の世間で語られてきたからだろうか。
「六月土用村」は語れば一時間くらい要するのではないか。何不足ない家の美しい妻の浮気が原因で相手の住職は殺されるというのに、この長い「はなし」が重苦しくないのは落語のような聞き方をしたのだろうか。興味津々、時には蔭微なくすぐりを伴って聞き手の心を穿つ、そんな言葉の芸が今に生き続けてきたことを知る貴重な証左である。
語りは聞き手を得てこそ成り立つ行為であり、昔語りは村落共同体における教育の役目を担い、広く大人社会に機能していたことを納得させるに十分な資料集である。これを機に、膨大な他の「むがす」が公になることを期待したい。
詳細へ 注文へ 戻る