北原 かな子著『洋学受容と地方の近代』
評者:田中 智子
掲載誌:日本史研究490(2003.6)(抄録)


 明治五年二月、旧藩校を引き継ぎ慶応義塾の影響下に開学した弘前の東奥義塾の分析を試みた著作である。明治七年末に財政基盤を確立し、本多庸一とその後押しをうけたお雇い外国人教師ジョン・イングの着任によって教育方針が改変されたこと、明治一六年に旧藩主津軽家の財政的援助を失ったことの二点に画期を求めており、第一の時期(明治七年末以前)と第二の時期(明治一六年以前)が分析対象となっている。

 先行研究に対する本書の分析の特色を述べると、第一の時期に関しては、開学過程の検討により旧藩校との連続性や地方行政府の積極性を強調したこと、これまでイングの陰に埋もれてきたお雇い外国人教員アーサー・C・マックレーの業績に焦点を当てたことであろう。第二の時期に関しては、東奥義塾が所蔵する洋書の分析を通しイングの教育方針・教授内容に踏み込み、出身校のインディアナ・アズベリー大学のカリキュラムをモデルとしたレベルの高さを指摘したこと、イングの支援によりアメリカに渡った四名の生徒たちの足どりを追いかけたことが特徴的である。

 東奥義塾とは、地方教育史的視点と国際交流史的視点の結節点にある貴重な研究対象だといえるが、全体を通じて本書は、前者を踏まえつつ後者の視点をより深く自覚的に追究せんとした研究書であるとの印象を受ける。(中略)

 なお本書は多くの史料をそのまま引用し、書誌的情報を豊富に含むため、東奥義塾に関する資料集としても今後有益な役割を果たすであろう。


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