青山 英幸著『記録から記録史料ヘ アーカイバル・コントロール論序説』
評者:中野目 徹
掲載誌:日本歴史662(2003.7)


 本書は、文書館学・記録史料学の分野で積極的に発言を続けてきた青山英幸氏が、一九八九年から二〇〇〇年までの間に発表した論文と報告九本を、「アーカイバル・コントロール論」の提唱という目的に焦点を合わせて、一書にまとめたものである。限られた紙幅のなかで、内容のすべてを丁寧に紹介するのは不可飴なので、目次を掲げることでとりあえず全体の構成を概観しておこう。(中略)

 まず、分量的には本音全体の半分を占める第T部では、組織体で産み出された記録(records)が記録史料(archives)に移行する過程で生じる諸問題を、いわゆる記録のライフサイクルという考え方を基本におきながら、著者の経験と見開に即して紹介している。

 記録のライフサイクルという概念は、もちろん以前から知られてはいたが、一九八六年に英国国立公文書館(PRO)副館長(当時)のマイケル・ローバー氏が来日したのを契機にわが国の文書館界に普及した考え方である。以後、記録の発生から保存・廃棄そして文書館への移管に至るプロセスを一貫する管理や、中間保管庫の必要性が唱えられ、これが著者のいう「アーカイバル・コントロール論」の重要な基礎をなす部分となっている。

 第U部には、記録史料の編成(arrangement)と記述(description)、日本史研究者が史料の整理と目録作成と呼び慣わしてきた分野に関する二つの童丁を配している。

 内容は、一九九二年にICA(国際文書館評議会または国際公文書館会議)が発表した「記録史料記述に関する原則についての声明」いわゆるマドリツド原則と、それに基づいて策定された「国際標準記録史料記述(一般原則)」ISAD(G)の紹介、およびそれを用いた北海道立文書館所蔵「箱館奉行文書」の記述実験の報告であり、第七章ではさらにICAによる「国際標準(団体、個人、家に関する記録史料オーソリティ・レコードISAAR(CPF)にも関説されている。ISAAR(CPF)については、青山氏もメンバーの一人となっているアーカイブズ・インフォーメーション研究会が編訳した『記録史料記述の国際標準』〈北海道大学図書刊行会、二〇〇一年〉に詳しい)。

 第V部の二つの章では、本書の眼目である「アーカイバル・コントロール論」が論じられている。

 著者の発想に影響を与えたのは、序章において明示されているとおり、根本彰「文献世界の構造』(勁草書房、一九九八年)が図書館学の分野で提唱した「書誌コントロール論」の考え方である。文書館学・記録史料学の領域は、すでに安藤正人氏によって「記録史料管理論」と「記録史料認識論」の二つに体系化する方向性が示されているが(「記録史料学と現代』吾川弘文館、一九九八年)、本書において青山氏は、「記録史料管理学」を「文書館管理論」と「アーカイバル・コントロール論」の二つに区分する。前者は、文書館の制度・組織・施設などを分析し考察することを目的とするもので、後者は記録が発生し保存され記録史料となって一般の利用に供されるプロセスをコントロールすることが研究対象だとされる。その具体的内容は、「ドキュメンテーション・プログラム」「情報コントロール」「資料コントロール」の三つの側面から構成されるという(これらの関係については、本書二八九、二九〇頁の図表に明らかである)。

 以上まとめたように本書は、図書館学の新しい手法を援用しながら、文書館学・記録史料学の最近十数年来の成果を「アーカイバル・コントロール論」の提唱のもとに再構築しようとした問題提起の書として読むことができる。文書館の専門的な実務に従事している職員はもとより、図書館や博物館で史料を扱っている司書や学芸員、そしてそのような専門職員を目指している大学院生などにとっては、格好の入門書といえよう。著者の提唱する「アーカイバル・コントロール論」についても、ほかならない著者自身によって今後一層の深化が図られることに期待したい。また、次の機会には、本書ではあまり触れられていない電子記録の問題に関しても論及し、私たちの蒙を啓いてほしい。これは遠くない将来に、アーカイブズ(記録史料・文書館)そのもののあり方を左右しかねない問題だと思われるからである。

 では、歴史研究者、とりわけ自治体史編纂事業などでは未整理の史料に出会うこともある日本史研究者は、本書をどのように受けとめればよいのだろうか。全体に片仮名語や英語が多く、横書きということもあって一見読みにくいし、ここで紹介されている事例は国内外でも先進的・実験的なもので、現実とのギャップを指摘して批判することは容易い。ISAD(G)やISAAR(CPF)で挙げられている史料に関する記述項目も、古文書学のなかではより詳細に研究され議論が重ねられてきたといえば、その通りであろう。「箱館奉行文書」の記述目録はいわば芸術作品であり、限られた期間・予算・人員のなかで、あらゆる史料目録の模範とするわけにはいかず、せめて原状を記録し仮目録で全体像を把握しながら、原秩序を崩さないように保存するのが、史料整理の場面で実際にできることである。

 むしろ本書からは、的確な概念操作をふまえた「アーカイバル・コントロール論」の提唱がなされているがゆえに、歴史研究における史料学、史料批判と解釈のあるべき姿を方法論的に問い質すための多くの示唆を得られるように思われる。とくに近代・現代史研究に従事する者であれば、本書第U、V部で紹介されている手法を理解し、そのような見方も取り入れて史料に接する必要があることは疑いない。著者は本書の何方所かで、歴史研究者との共同作業を提案している(二九頁、二七六、二七九頁、二八六、二八七頁など)。それは文字通り提案にとどまっているが、「アーカイバル・コントロール論」構築のために共同できる研究領域へは、歴史研究者も独自の史料学をもって積極的に発言していくべきであろう。
(なかのめ・とおる 筑波大学助教授)


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