荒川 善夫著『戦国期東国の権力構造』
評者:江田 郁夫
掲載誌:日本歴史662(2003.7)


 本書は、荒川氏が二〇〇一年二月に中央大学に提出した学位請求論文「戦国期東国における地域権力の構造」をベースにしている。一九九七年に刊行された前著「戦国期北開東の地域権力」(岩田書院)につづく論文集である。

 本書の課題は、「東国における戦国期国衆の権力構造を再検討し、彼らの歴史的な性格などを明らかにする」ことにあるという(二二頁)。具体的には、下野の那須・宇都宮両氏をおもな検討対象とし、第一編では那須氏の動向と権力構造、第二絹では宇都宮氏の権力構造、第三編では小山・宇都宮・那須氏相互の関係を追究している。本書の章立てを示そう。(中略)

 章立てを一見すれば明らかなように、那須氏の権力構造の解明が本書の中心的な課題のひとつになっている。すでに前著で、戦国期の宇都宮氏について詳細な検討をくわえた荒川氏は、本書により戦国期地域権力の実態を見極める視座をいっそう広げたことになる。

 前著同様、本書においても荒川氏の考察は丹念、かつ詳細である。近年の研究成果にくわえ、文字どおり足で稼いだ史・資料をもとにして、那須・宇都宮氏の権力構造の全容を明らかにしている。まさに労作といえる。

 荒川氏によれば、那須氏や宇都宮氏など、北関末の戦国期地域権力の基本的な権力構造は、当主と宿老層による領主連合的な体制であった。ところが、東国の戦国時代の最末期、天正年間を迎えると、小田原北条氏の怒涛のような北開東侵攻によって、家臣団統制に支障をきたした当主たちは、権力構造の再編成に踏み切った。従来の領主連合的な体制からの脱却をめざし、あらたに「側近の重臣や直属の重臣を基盤とした当主専制体制」への転換をはかったとされる(三人一頁)。当主がすばやく、果断に政策決定をおこなうためであった。この当主専制体制への転換は、豊臣期に最終的に完成するという。

 本書と荒川氏の前著「戦国期北関東の地域樟カ」を比較したばあい、本書にはつぎのような特徴がある。まず前著では、北関東に蟠踞した戦国期地域権力の政治的動向の解明が中心的な課題となっていたが、本書では地域権力の権力構造の解明に力点がおかれている。また、彼らの政治的動向の画期として、古河公方足利氏からの自立化が進む永禄年間が強調されていた前著にくらべ、権力構造の画期として、あらたに天正年間が注目されている。総じて前著では、同時期の東国の地域権力について論究した市村高男氏の成果(『戦国期末国の都市と権力』思文閣出版、一九九四年)の影響をつよく感じたが、本書ではそれらの仕事からの「自立化」も進んだ印象をうける。その点では本書は、荒川氏がいうようにまさに「ゼロからの再出発」だったのかもしれない(あとがき)。

 以上、おおまかながら本書の概要と特徴を述べた。つづいて、本書の成果をもとにいくつかの論点を提示したい。

 第一に、荒川氏が主張する・当主専制体制概念の当否である。従来の領主連合的な体制から、「側近の重臣や直属の重臣」を基盤とする体制への転換は、たしかに見かけ上は当主専制体制と呼べるかもしれない。しかし、実態はどうなのか。それが問題であろう。

 転換のきっかけは、小田原北条氏の軍事的な庄力にあったという。これにともなって家中でも、「従来の有力な親類・家風層を中心とした権力構造が崩壊しつつあった」(二二二頁)ことを考慮するならば、この転換を当主の能動的な対応とみることはできない。かえって、一族・重臣層のあいつぐ離反という状況のなかで、生き残りをかけた必死の対応だったのではなかろうか。つまり、権力基盤の縮小と荒川氏のいう当主専制体制とは、いわばコインの裏表であって、実態としては「当主専制」からもっともかけ離れた状況にあったとも考えられる。その点は、当主専制体制から排除されたはずの一族・重臣層が、なお領内において独自の勢力を維持しつづけていた点からも端的にうかがえよう。

 第二には、近年さかんな戦国期家中論との連関である。荒川氏のいう領主連合的な体制とは、はたして家中・渦中と同義なのかどうか。たとえば、本書が明らかにした那須氏当主と那須衆からなる「自立した領主同士の連合権力」(一一二頁)を、荒川氏は那須家中と称している(三一九頁)。領主連合的な体制という点では、宇都宮氏・下総結城氏・当主とその宿老中との関係も同様とされ(三七三頁)、宇都宮氏のそれも家中と称している(三一五頁)。このような理解は、家中をいわゆる国衆の譜代家臣と限定的にとらえる黒田基樹氏の所説(『戦国期東国の大名と国衆』岩田田書院、二〇〇一年ほか)とは大きく異なる。この点に関し、本書ではとくに言及はないが、黒田氏の所説が「後北条氏側に視点を据えた国衆論」であり(一八頁)、荒川氏のばあいは「戦国期東国国衆の典型的な特色を持った領主たち」(二二頁)の検討にもとづく指摘であることを考えれば、無視できない見解の相違といえよう。今後の荒川氏による家中論の展開にも注目したい。

 荒川氏は、栃木県の県立高校に勤務するかたわら、本書に結実する研究を進めてさた。とくに本書のほとんどは、前著刊行後の数年間に成稀されたわけで、その労苦は想像を超える。これまでに県内の多くの自治体史編纂にあたってきた氏は、現在、それらのもととなった原史料の保存活動にも力を注いでいる。たしかな史料調査・分析に支えられた本書の指摘は多岐にわたるけれども、ここでは紙数の関係で論及できなかった点が少なくない。ぜひ一読をおすすめしたい。
(えだ・いくお 栃木県立宇都宮北高等学校教諭)


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