梅屋 潔・浦野 茂・中西 裕二著『憑依と呪いのエスノグラフィー』
評者:川田 牧人
掲載誌:宗教研究336 77-1(2003.5)




 本学会の第五八回学術大会(一九九九年、南山大学)において、「日本における宗教学と隣接諸学?人類学、民俗学、社会学との関わり?」と題するパネル部会が設けられ、個々の学の領域にとどまらず、相互の接続端子をともに探り当てながら外部との共同へひらこうとするための種々の議論が展開されたことは記憶に新しい。このパネル部会の中心課題のひとつは、乱暴の誹りを恐れずあえてシンプルに表現すれば、明確な対象化が困難な「日常」をいかにして相手にするのかという問題であった。これは、文化人類学を専攻しながらも、教育制度の隣人として日本民俗学を学び、社会学の名を冠する組織に奉職する評者にとってもつよく関心をひかれる問題である。そして、パネル部会レジュメ集にも、民俗学・人類学・社会学の三者が「フィールドワークを重視する諸学問」(一一四頁)と述べられているように、宗教的実践の現場に身体的にも方法論的にも多くを共有しながらかかわる三者にとって、フィールドの日常とどのように向き合うのかは問
われなければならない。

 それが問われるにもっともふさわしいのは、その学の営みが結晶化したエスノグラフィーにおいてであろう。ところが不思議なことに、三者共同の作品というものはこれまでほとんど見あたらなかった。本書『憑依と呪いのエスノグラフィー』を書評に取り上げるにあたり、まず強調しておきたいのは、この書が民俗学・人類学・社会学の三者による異色のエスノグラフィーであるという点だ。エスノグラフィーが全体性の書き物だと言われるのは、原質状の生を捉えようとするからだが、フィールドと向きあう三つの学の共同が、それを可能ならしめたという意味で、本書は上記パネル部会の実演編とでも位置づけられよう。

 本書は、三部構成をとっており、それぞれ、第T部<「憑きもの」研究の地平から>、第U部<人類学の地平から>、第V部<社会学の地平から>、というタイトルが付されている。第T部と第V部が一章ずつであるのに対し、第U部には五つの章が配置されるというアンバランスさはあるものの、この構成が民俗学・人類学・社会学の三者関係を反映したものであることは一目瞭然である。第T部において言及される「憑きもの」に関する先行研究は必ずしも民俗学的背景をもつものだけではなく、また「おわりに」でも著者自身が「日本民俗学者ではない」(二四〇頁)と言明しているが、資料提示の手法において、この部分は民俗学ともっとも親和性が高い。そもそも、「憑きもの」という用語自体、「民俗学的研究のための学術用語として生み出されたものである」(小松和彦『怪異の民俗学1・憑きもの』河出書房新社、二〇〇〇、四一六頁)わけだから、第T部を民俗学からのアプローチと捉えてもあながち誤りでもなかろう。先に「異色の」と書いたのは、ここでいう「三者」が三人の著者個々人をさしているのではなく、三つの学の共演という意味である。複数の学による編集本が、学際を謳いながらも個別論文を並列させただけにおわるケースも少なくないことを考えると、問題意識や議論が絡み合いながら憑きものという主題を追究した本書は、好意的な意味で「異色」なのである。

 二

 各章冒頭には、著者の一人・梅屋による「解題」が付されている。初出の発表年が八年にわたる複数論文を一冊に編む際の配慮であり、「今にして思えば」的な指摘もあって一定年数を経た論考を現時点(刊行時点)で位置づける手がかりにもなる。以下、その「解題」との重複をなるべく避けながら、各章の要点を整理したい。

 第1章<佐渡島の憑きもの現象>は中西の執筆で、一四三という膨大な話例をもって、フィールドである新潟県佐渡島における憑きもの現象を記述し、従来の憑きもの研究を批判的に検討している。従来の憑きもの研究は、狭義の憑依現象ならびに憑きものの家筋という社会的側面に重点が置かれており、あるいは災因論としてクローズアップされてきた。これに対し佐渡のフィールドにおける憑きものの語りは、憑くとされるものが多様であり、特定の家筋に憑くとは限らない。このような特徴を持つ憑きものの語りは、現実の経験を構成することに重きが置かれる。災いの原因を追求するというスタイルよりむしろ、憑くもの(ムジナ、生霊や呪詛など人間、死霊)と空間構成(山、里、海)との対応関係から導き出される世界観が表象される語りとなる。また語りの枠組みは(調査途中から著者がその類似性にうんざりしてしまうほどに)一定しており、この枠組みと世界観により、個々の生活経験を有意に変換する作業なのである。

 続く三つの章は梅屋による執筆である。第2章<邪なイノリ>は、人の不幸を祈願するという意味でのイノリ(イマイ)とその執行者であるアリガタヤという民間宗教者に焦点をあて、ムジナへイノるという語りについて分析する。このようなイノリは、マッケー(血縁の者)が不在のアトイレ(後妻)が起こすパターンが多く、社会単位としてのイエ間の対立というより、イエ内部でさらに分節化されるマッケーという個人の存立基盤の安定が鍵となる。このような社会構造上の特徴を指摘することで、憑きもの筋が明確には存在しない当該フィールドの地域的性格が逆照射されている。これにつづき、アリガタヤにより特化した議論を展開しているのが、第3章<「有り難き」ひとびと>である。前章の結末部では、ムジナの属性として中性的で操作可能な力をもつ点が指摘されたが、この章では逆に、その力を操作しうるアリガタヤの呪力の来歴を追究する意図がまず示され、そのための資料としてアリガタヤのライフヒストリーが提示される。そこでは病をはじめとして、家の帰属の変更、不動産をめぐる係争など、じつに様々な災難が提示される。表題の「有り難き」に示されるとおり、滅多にないような不幸の連続であり、それらの克服の果てに呪力が獲得されるのである。ライフヒストリー研究には理想的自己の社会的形成という主題があるが、この章で示されるのはまさに、理念的な社会生活を修正する経路としてのアリガタヤである。

 この二つの章は、憑きもの筋とその不在あるいは巫者のライフヒストリーという従来の研究におけるオーソドックスな主題設定を一義的には踏襲しているようにみえる。すなわち、憑きものと社会構造は「筋」という概念において重要であったし、民間巫者の研究においては、成巫過程をライフヒストリーからあぶり出す手法が用いられてきた。しかしこれら先行研究の単なる焼き直しではなく、フィールドの呪術世界を社会構造と個人というふたつの側面から光を当てるものとして、またニュートラルな力とその操作という呪術作用の考察として展開している。これらを助走的に用いながら、第4章<「象徴」概念は「合理」的に埋葬されうるか?>では、呪術的思考の合理性という主題が追究される。憑かれた、化かされた、あるいは不思議な体験をしたといった語りにあらわれるトンチボ(ムジナ)とはいったい何であるのか。この問いに対して、トンチボに関する語りから、生物種として、憑きもの動物として、人間との類縁種として、神として、といったさまざまな分類が可能となる。これらの分類は明確に弁別されるわけではなく、いくつものイメージが重複し、あるいは流動的に語られる。佐渡の語りにおけるトンチボは、スペルベルのいう有名な「一見して非合理な信念」にあたるが、ここで著者は、スペルベルの合理性を軸においた議論が必ずしも象徴の本質を明らかにするわけではないとして退け、語り手の経験を物語として構成するためにいっさいの疑問を不問に付す概念装置であり、かつ語りによっていかようにも内容を充填できる「間に合わせもの(stopgap)」であるという見解に達する。象徴の意味作用は発動しないことによって、人々をして語りの共同体への参与へと向かわしめるのである。

 第U部の残るふたつの章は、著者をふたたび中西に戻して、象徴研究や「民俗の想像力」といった側面に関する批判的検討がなされる。第5章<憑依、あるいは憑依の語りにおける口唇性と肛門性>では、ムジナによる憑依が起こったときに見られる表徴(症状)についての語りの類型が示され、とりわけ摂食と排泄に関する異常が口唇性と肛門性という対比で主題化される。この対比は、構造主義的変換群において、非統制対統制、さらには動物的対人間的といった対比に展開される。前者は経験的演繹、後者は先験的演繹であるが、この両者をムジナが併せ持つのは、象徴研究でよくいうところの「両義的」存在だからではなく、人々の「具体の科学」、すなわち生活世界の緻密な観察にもとづくものであると主張している。また第6章<民俗的災因体系における隣接性の問題について>は、第1章でとりあげた憑きものの分類を再考し、憑くものと憑かれるものの関係が生まれるのは、日常生活における近接した領域であるとして、「隣接性」を見出すものである。ここでも象徴研究につきものの「境界性」という既成概念を回避するが、これは単に語の置換の問題ではなく、東アジア地域に卓越した死者霊、とりわけ無縁仏の憑霊のケースが希少であることから、憑きもの研究が比較論的視座を得ることを示唆している。

 第7章<「口承の伝統」の分析可能性?物語の相互行為分析?>は浦野による社会学的アプローチである。筆者の立場は、フィールドワークの現場でなされる「聞き書き」自体を相互作用とする構築主義であり、この立場からインタビュー調査の現場を解剖することは、解題を記した梅屋の言葉を借りれば「とりようによっては耳触りのよくない記述」(一九七頁)であるかもしれないが、この章によって、トンチボという「口承の伝統」をめぐる6章までの象徴論的検討が立体化するのである。まず聞き書きの現場では、情報収集者と情報提供者というふたつの役割行為が現出するが、録音された聞き書きの会話分析によると、情報提供者が常に一定の知識をもっているわけではなく、聞き手の承認を獲得しながら物語が構築されたり、引用される伝聞によって自らの情報が正統づけられたりといった種々の特徴が指摘される。口承の伝統を共有するとみなされる言説の共同体においても、トンチボのような概念はある種の流動性を持った動態なのであり、語りの当事者自身によっても手探りで操作される。これは前章までの民俗学・人類学的アプローチと合わせ鏡のような対応関係にたつ指摘である。

 三

 以上が本書の概略であるが、憑きもの概念、呪術的思考の合理性、具体の科学など、いずれも研究史の層が重厚で議論の豊富な主題があつかわれている。これらの主題をすべて仔細に検討することはこの稿に許された紙数も評者の能力もはるかに超えてしまうので、いくつかの点を指摘するにとどめたい。

 まず「一見して非合理な信念」であるが、本歌をうたったスペルベルは、半命題内容にかかわる表象的信念には微弱な合理性基準があると考えた。あるひとつの表象が唯一の命題を同一指定できない場合、理解が十全でなく生半可な理解にどどまるものは半命題内容として処理される。これに対して「知識」とみなす事実的信念では合理性はあり得ないが、「信念」や「意見」とみなす表象的信念を合理的に抱くことはできるというわけだ。これは「異なる型の表象はそれぞれ異なるやり方で合理性を達成する」(スペルベル『表象は感染する』新曜社、二〇〇一年、一一九頁)という意味で、信念が同一メカニズムによって表出するとする認知的相対主義とは異なり、反相対論の立場から文化的表象を捉えようとしたものである。本書、とりわけ第4章はこのスペルベルの議論に異議を唱えているが、必ずしも相対論の立場からの反論ではない。むしろ、相対論対合理論という対比を超越したところで議論を展開している。それは、近年の合理性議論で藤原聖子が「実体的非合理性」としてとりあげたものに近接する(藤原聖子<「呪術」と「合理性」再考>『思想』 九三四号、二〇〇二年)。理論的合理性、実践的合理性に対する「第三の(非)合理性」として、当事者によって体験される恐怖や不思議がそれであるが、フィールドの現場での「間に合わせもの」として当座の解釈と納得の繰り返しの果てにおぼろげながら姿を現すトンチボとは、まさにそのような「実体」としての不思議である。したがって本書の視角は、相対論と合理論の対立を止揚したり調停したりするものというより、それとは別次元で、トンチボにまつわる畏れや恐怖や、にもかかわらず人々が饒舌に語るある種のこだわりといった、心的側面をも含みこんだ生活の総体に向かおうとするのである。

 であればこそ、続く章において「具体の科学」が焦点化されるのも理解できる。それが「動物の生態や植生への微細な観察が換喩的思考、隠喩的思考を喚起し、自らの世界を再構成するという作業と関係している」(一七三頁)という点において、境界性や両義性といった象徴研究の常套句から生活者の視線への移行が可能となるからである。ただし、たとえば『人間と動物』のなかで描かれるレレにとってのセンザンコウ、ヌアーにとってのウシ、フィパにとってのニシキヘビなどの場合は、いずれも生活者の日常観察が微細に行き届くほどに身近であり、「具体の科学」の対象としてふさわしい対象動物であった(ロイ・ウィリス『人間と動物』紀伊國屋書店、一九七九年)。しかし、「滅多に人目につかない動物」(一四四頁)と本書中でも記されているトンチボは、果たして「具体の科学」たり得るものであり、一六六?一六七頁で示されているようなムジナ憑きに関する知識を成り立たせ得るに十分な対象だろうかという疑問がないわけではない。このような憑きに関する知識は、「具体の科学」というひとつの大もとから同時にもしくは同一の因果関係によって発生すると考えるより、むしろ、先後の順序がありながらも互いに影響しあって成立することが考えられないだろうか。たとえば摂食の異常など、ある条件はムジナの動物性を「具体の科学」から導き出したものであるかもしれないが、入浴の拒否というのは、風呂にきちんと入るという文化的規範が片側にあり、それからの逸脱がムジナ憑きの特徴にあたると逆に規定されることもあり得るのではなかろうか。これは「俗信」における行為の禁止もしくは不行為の問題、すなわち柳田国男のいう「禁」の領域の問題である。柳田が「こういったことからいったい昔の人は、何をもって幸福としていたか、これが不行為との関係によってだいたい見当がつく」(「郷土生活の研究法」ちくま文庫版、一九九〇年、二四一頁)と述べているように、<xしたらyになる>という俗信の言い回しは、明らかに、xしない事より、yを回避することを目的としており、そこに生活上の理念型が読みとれるのである。このような生活知識から生活目的を見通すことは、「具体の科学」からさらに生活そのものへ分け入っていく経路になると考えるのである(この点については、下記参照。関一敏<俗信論覚書>『族』二十七号、一九九六年)。

 またこのように考えた方が、第7章の社会学的アプローチにおける相互作用による語りの発生という側面とかみ合う点も多いように思われる。ムジナ憑きの語りが発生する現場にあっては、陳述の承認や正統づけがことばのやりとりによってなされていた。これはあらゆるクレドが無前提無条件に受け入れられるのでなく、アドホックにして創発的であることの証左である。つまりこのような相互作用を経て、ムジナ憑きに関する知識は増補されたり改訂されたりするわけである。この点に関しては、浜本満がドゥルマの民族誌で提起した「言説空間」の概念に通じるところが少なくない(浜本満『秩序の方法』弘文堂、二〇〇一年)。人々は個々の語りにおいて、言説空間にアクセスしてそれに依拠し参照しながらも、新たな創作も可能にしていくのであって、すべての知識が単一的に発生する大もととして想定されているわけではない。アドホックな運用に資するために、あえてあいまいなままで言説空間に置かれたものがトンチボのような概念であり、それが相互交渉的に発生するとすれば、民俗学・人類学・社会学の三者が取り組むべき方向性のひとつとして、言説空間のエスノグラフィーという可能性も垣間見えてくるのである。

 憑きもの研究から憑霊研究へというスローガン(小松和彦)によって、「人に憑いて弊害をもたらす動物霊とある種の生霊をとり上げること」(石塚尊俊「憑きものと社会」『講座日本の民俗宗教4 巫俗と俗信』弘文堂、一九七九年、一三七頁)に限定された憑霊現象へのまなざしは拡張・展開されてきた。その拡張・展開とは、ごく簡略に、憑く霊と憑かれる対象の多様性を認識することであり、またbenevolent/malevolent両面への視線の延長であったと言えよう。本書はその拡張・展開路線を継承し、さらにその先に「単なる「憑霊」研究以外の意義」(一九二頁)を見出そうとする試みであるといえる。この表現で示されるのは、日本という地域的限定にとどまらずひろくアジア地域における比較研究を可能にする方向性と、象徴研究のジャーゴンに押し込んでしまわず日常生活の現場に密着した視点を最重要視しようとするエスノグラフィーの立場表明である。前者に関しては、宗教の民族誌的研究における概念と用語の課題がある。ある特定地域における用語が流通してしまうと、一般概念として通用しにくく、その典型的事例との距離でもって論じられる傾向がつよいという問題である。この点で、知識と信念を規定のジャンルとして固定化することなく、日常の知識と実践を「べた」に記述していくという後者の課題にも連なる。本書は、これらいずれも大きな課題に果敢に取り組み、生産的な洞察を与えてくれる。


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