斎藤卓志著『刺青 TATTOO』
掲載紙 日本経済新聞(99.10.3)


いかがわしい本ではない。在野の民俗学者が十一年余りの構想の末に、刺青(しせい)とタトウーについて研究と調査結果をまとめた労作である。
「親方、私はもう今迄のような憶病な心を、さらりと捨ててしまいました」。谷崎潤一郎が処女作「刺青」で描いた娘は、腕利きの刺青師の手になる八本足の巨大なクモの彫り物を背中に得で、大人の女性へと生まれ変わる。著者の視点も、長年、禁忌とされ、しかも相当の痛みを伴う行為になぜ人が魅了され、どういう変化をもたらすかに収れんしていく。
歴史は柳田国男が調査したアイヌや南島の習俗にはじまる。さらに明治初期に「刺青禁止令」を招くまでに広まった、江戸後期の大衆文化にさかのぼって、発展を追う。浮世桧から継承された下絵のテーマや意匠。構図と場所。手彫りで陰影を付ける繊細な技術、今日の電動刺青機まで、現役の刺青師たちへのインタビューから、知られざる芸術が明らかにされる。
施術の現場に通う著者は対象を広げ、刺育を入れる人の側に目を向ける。多くの場合、女性がエステの一部として施すタトウー。熱烈なファンを持つアーティストさえ存在するという。
著者のたどり着いた一つの結論は「危うさ」の持つ魅力である。「どこかあぶない存在からは、ふつうなら遠ざかっていたいというのが人情。ところが、退く者が多ければ多いほど、今度は逆にそんな対象をおのれにひきよせる狂気とでもいうしかない者がでてくる」。身体論に新たな視点をもたらす試みだ。
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