吉川 祐子著『遠野昔話の民俗誌的研究』
評者:石井 正己
掲載誌:口承文芸研究26(2003.3)  


 一九九六年の『白幡ミヨシの遠野がたり』、一九九七年の『遠野物語は生きている』に次いで、著者が遠野から送り出す本としては三冊目になる。これまでの二冊は遠野に住む白幡ミヨシ媼の語る話を記録した資料集であったが、今度の本は本格的な学術書であり、やや趣を異にする。しかし、やはり白幡媼からの聞き書きが基礎になっている点で、この三冊は一貫している。

 著者が一〇年にわたって聞き書きを続けた白幡媼は、広く知られるように、写真家浦田穂一によって発見され、遠野を代表する老婆である。その人柄や風貌が写真の被写体として魅力的なだけでなく、遠野の生活や信仰、技術、昔話などに精通し、九二歳になった今も現役の語り部として活躍している。遠野を代表する伝承者からの記録をもとにしているのであるから、この三冊はそれだけで千金の値を持つと言っていい。

 そうした重みの中で学術書として作られた本書は、口絵に浦田の写真を載せた後、本文を「第一編 遠野昔話民俗誌」と「第二編 語りの伝承論」に大きく分けて、巻末に「索引」を付けている。第一編は「民俗誌」と呼ぶように、記録としての性格が強いが、第二編は「伝承論」を名乗るように、論述を中心にしている。全体は、第一編の「民俗誌」をふまえた上で、第二編の「伝承論」を展開する、という構成になっている。初出誌に関する記載はないので、すべてが新たに書き下ろされた文章であった。

 「第一編 遠野昔話民俗誌」は、全部で六章からなる。「第三章 遠野のプロフィール」は遠野の歴史と山・峠・川を概観し、馬と人が同居する曲り家の暮らし、凶作と飢饉への備えなどを述べる。続く「第二章 家督に嫁ぐ」は結婚の儀礼、嫁の休み日と里帰り、出産と子育て、「第三章 衣食の管理」はケとハレの食事、糸仕事と横織り、被り物・運搬具・防寒具・履物の製作と使用、「第四章 生業と嫁の役割」は米耕作、畑作、養蚕、「第五章  年中行事と嫁の休み日」は正月から一二月までの年中行事を記述する。終わりの「第六章 嫁からガガへそして語り手へ」は嫁のホマチ稼ぎ、野送りと供養などに触れている。

 六章全体にわたって、適宜表を利用するなどして、平易な記述を心掛けている。それに加えて、外立ますみの描いた挿絵が入っているので、記述の中の道具が一目でわかる。しかも、そうした記述に見られる重要語彙は、巻末の「索引」で引くことができる。こうした細部にわたる配慮は、遠野の民俗を知らない研究者にとっては、たいへん役に立つであろう。

 この第一編について、「本著は決して遠野の民俗誌ではない。遠野に住む特定の個人の民俗誌である」(三二九頁)と述べている。しかし、第一編のすべては、白幡媼が「語りしまま」の記述なのだろうか。私には、白幡媼からの聞き書きに加えて、一般に知られるような伝承や文献からの引用、著者自身の解釈が入り込んでいるように読める。しかも、その分界は必ずしもはっきりしない場合が多い。やはり第一編は、白幡媼が嫁から語り手になるまでの「女性史」を軸にしながら、それを「遠野」の「民俗誌」に普遍化しようとしているのではないか、と思われてならない。

 もちろん、これも「民俗誌」のスタイルの一つだと言われれば、それまでだが、『遠野物語』は「感じたるまま」であると批判して、「語りしまま」を主張するのならば(三二九〜三三八頁)、白幡媼からの聞き書きに限定してまとめるべきではなかったか。私だったら、たぶんそうするにちがいない。「女性史」とも「民俗誌」ともつかない中途半端な記述よりは、「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」とした『遠野物語』のほうが、遥かに一貫しているように思える。本書は「遠野」の「民俗誌」への新たな試みであるが、『遠野物語』を批判するなら、もっと『遠野物語』をよく知った上で、それこそ「語りしまま」の徹底的な記録化を試みる必要がある、と思う。

 続く「第二編 語りの伝承論」は、全部で五章からなる。「第一章 語りの変容−蛇聟入り苧環型をモデルとして−」は蛇聟人りの分析であり、苧環型英雄誕生譚を神霊型と妖怪型に分け、後者から蛇退治譚と立聞譚が分化し、苧環型から水乞型に移行することを述べる。「第二章 世間話と民俗意識−河童誕生譚をめぐつて−」は河童にまつわる話と捨て子の民間信仰との関係に触れ、座敷童子に言い及ぶ。「第三章 語源説明譚の生成−ハカダチとハカガリ−」は棄老譚がハカダチ、ハカガリの語源説明譚として安定するのは昭和以降であると指摘する。「第四章 記述と語り−サムトの婆様をめぐって−」はサムトの婆のサムトは佐々木喜善や伊能嘉矩も述べるとおり、登戸(ノボト)であったが、今では『遠野物語』の影響下でそうした語りが生まれていると批判する。

 この四章は、やはり白幡媼の話を契機にしながら、歴史的に遡ったり地理的に広げたりして話の分析を行っている。副題に示された事例をもとに、表題のテーマを論じようとする点では、一つの姿勢を貫いている。個別の論考としては、時に安易な判断が交じるものの、納得の行く議論が展開されていると思われる。しかし、柳田国男以来の研究や遠野に蓄積されてきた考察を考えると、すでに行われてきた論証のおさえが弱いという印象をどうしても拭うことができない。

 なお、「第五章 遠野への提言」は、第二編のまとめというよりも、第一編を含む本書の全体に関わる提言になっている。提言は大きく二つある。一つは、『遠野物語』の作った「感じたるまま」の記録ではなく、「語りしまま」の記録が必要である、という提言である。確かに、伝承の忠実な記録が遠野の各地で、多発的かつ組織的になされることによってしか、『遠野物語』は相対化できないだろう。第一編はその試みとして書かれたはずだが、私の目には中途半端に見えるということは、すでに述べたとおりである。

 もう一つは、現在のような「民話のふるさと」ではなく、「民俗のふるさと」をめざすベきだ、という提言である。その中で、鈴木サツは観光語りの犠牲者だったと言い(三三五頁)、観光客は『遠野物語』の強い語りからは離れていたとも述べる(三三八、三四二頁)。果たしてそうか。少なくとも私は、生前の鈴木媼やその妹たちからも、遠野の人々や遠野を訪れる観光客からも、そうした感慨を聞いたことはない。むしろ、観光という場で、地元の人と観光客の期待を汲みながら生き甲斐を持って活躍してきたのが、鈴木媼に始まる語り部たちではなかったか。

 巻末の「あとがき」には、本書執筆の経緯が述べられる。この一〇年は、著者にとっても、白幡媼をはじめとする関係者にとっても、感慨深いものだったにちがいない。そこに費やされた時間や労苦のすべてを思うとき、頭の下がる思いがする。しかし、「本書は、従来の昔話研究をまつたく無視する形で、宗教民俗学の立場で思うがままに書き連ねたものであり、大方のご批判がいただけるものと思っている」(三五九頁)というのは、読者だけでなく、学問に対する甘えではないかと思われる。

 著者も御存知のとおり、『遠野物語』ならば、一九九七年に後藤総一郎監修・遠野常民大学編著『注釈遠野物語』、二〇〇〇年に拙著『図説遠野物語の世界』『遠野物語の誕生』がある。昔話研究で言えば、二〇〇〇年に川森博司著『日本昔話の構造と語り手』、二〇〇二年に拙著『遠野の民話と語り部』が出ている。それらばかりでなく、遠野市立図書館・博物館や遠野物語研究所の活動によって、すでに従来の研究は大きく変わってきている。しかし、そうした蓄積は、本書ではまったく「無視」されている。

 これまで遠野で重ねてきた研究の経緯を考えるなら、ここに来て一〇年前の状況に引き戻されたくない、というのが私自身の正直な感慨である。そして、「提言」を述べるのならば、その声がしっかり届き、議論ができる場を作ってゆく必要がある、とも思う。政治や経済、産業ばかりでなく、学問においても自己責任が問われる時代がもう来ている。著者には是非、自分のために遠野を使うのではない学問のあり方を問いつづけてほしい、と願っている。自戒の思いも込めて、改めてそう述べておきたい。


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