近藤 直也著『「鬼子」論序説−その民俗文化史的考察−』
並びに『「鬼子」とその誕生餅−初誕生儀礼の基礎的研究、九州、沖縄編』
評者:白石 昭臣
掲載誌:口承文芸研究26(2003.3)  


 同時に刊行されたこの二冊のうち、口承文藝の性格の濃い資料を扱っている「鬼子」論序説の方から、まず記すことにする。

 これは副題にも民俗文化史的考察とあるように、鬼子の伝承をとおして、鬼子のもつ意味を明らかにした、民俗学上の成果を示す書であるが、同時に、優れた日本文化論ともなっている。それは、鬼子の伝承の底に流れている意識の構造を明確に掲示しているからである。

 鬼子といえば一般には、鬼のような異様な姿で生まれた子のことを想起するが、著者はまずこの鬼子について、その実像を正確に示すことを試みる。鬼子には様々なヴァリエーションがあり、辞書でも、これの扱い方、記述の内容に相違があることを指摘する著者は、各地の資料報告書と近世初期にかけての『三国名勝図会』『松屋筆記』『因果物語』などの資料、これらを手がかりにしたフィールドワークにより、中世以降の鬼子像を描く。そして『慶長見聞集』『日葡辞書』『お湯殿の上の日記』などの文書や、伊吹童子の記された『御伽草子』、『前太平記』『義経記』など、おもに中世と、それ以前の鬼子の伝承に潜む伝承的実像を把えて、鬼子に共通する特徴を四つにまとめている。その一つは「鬼子」の誕生とその母親の死が表裏一体になっている事、二つ目は、象徴的または現実に三年間の妊娠期間があった事、三つ目は誕生した段階で既に三歳児程の大きさ(歯は上下総て生え揃い、髪は黒々と生え、誕生直後に走り歩き、また同時に言葉を喋るなど、具体的な「鬼子」の表徴としての様々な異常現象も、この一点に収斂される)であった事、四つ目が、三歳から六歳に至るまでの三年間は、人里離れた山奥で鳥獣を友として遊び、また彼らによって哺育される事であったと要約する。そしてこの四つ目の鬼子の特徴は、伊吹童子、酒呑童子、茨城童子や弁慶らの生い立ちにみられるもので、いずれも山中の他界と結びつく伝承となっているが、この中世の草子や物語に登場する鬼子と異なり、他の鬼子は、すべて誕生時に殺される、あるいは儀礼的に殺されていたのであるとする。そして、この四つ目の例も山を里(この世)と異なる「あの世」とつながるものとし、それは死を象徴するものであり、誕生直後に、殺害目的で山に捨てられたのであって、このことから、先の三つの特徴例とも共通することを説く。こうして、長野県上水内郡のゲッケ、岡山県のオケツ、埼玉県、神奈川県のケッカイ、鹿児島県種子島のオンノコなどの現行の民俗にもみられる鬼子の伝承とも、叙上の特徴は、根底においてつながるものと著者は論じているが、ここにいたるまでに資料を整理分析、吟味のうえから、共通する性格、内容の抽出を試みている。鬼子に関わる様々な変化に富んだ多くの事例を要約し、民俗的基層を求めていくその方法は、民俗学でいう重出立証法に通じるが、著者は、事例ごとに自己の註解を詳細に加えつつ論の展開をはかっており、読みすすむには、いくらか努力を要するものの、このことが論を興味深く、説得性のあるものになしているといえよう。なかにはいくらか、自説に引きつけようとする部分もみられるが、全体をとおしての著者の積極的な姿勢が論の中に感得され、深みのある内容となり、単なる謎解きとは異なる、注目すべさ見解を生み出している。次に、全体の構成と各章ごとの概要を記し、まとめて評者の意見を述べることにする。

 二

 この書は第一章「鬼子」の民俗、第二章「鬼子」の文化史、第三章 初誕生儀礼における「鬼子」の三章からなる。第一章においては先にも挙げたように辞書類と各種の報告から民俗語彙ならびに伝説を含む伝承のなかの鬼子など、おもに大正時代とそれ以降、昭和にいたる事例を、十二の資料項目別に挙げ、それらのなかから「鬼子」の条件を抽出し、見解を記している。このなかで、「鬼子」について、もっとも端的に示されている例として、評者は十「生のもののけ」の項を挙げてみる。これは、昭和六十年刊行の斎藤たまの報告をもとに、著者の行った実地調査による内容である。その数節を引用してみる。「屋久島のKには"おにどころ"という場所があった。このあたりでも生まれた時に歯が生えている子を"おにご"といい、これとか双子は"おにどころ"に埋めたという」(Kは、内容を考慮して、具体的地名を表記したもの)「ヒガさん(明治三十二年生まれ)のお宅に伺ったのだ。そのヒガさんがいう。自分より一つ下の者、歯の生えた子生んだ。おにごじやったと人々いった。その子は焼いた」「Kの"おにどころ"へは実際に近藤も平成九年に足を踏み入れたが、山麓の小さな谷であり、淋しい場所であった。(中略)歯が生えて生まれたという理由で誕生直後に殺害されここに埋められていたのである。(中略)近藤も同島で双児の殺害の事例を聴いたが、二人とも殺すのではなく、双子の一方が"鬼子"と見放され、オニドコロに埋められていたのであろう。」

 このような実例報告をもとに著者は斎藤の見解を考慮しつつ「単なる"もののけ"や"怖れ"だけでは解決のつかない問題である」とし「極めて重たいテーマであり、これを単なる興味や好奇心だけで取り扱えば、多くの弊害を及ぼす危険性すらある」と記している。そして他地方の例を挙げる一方「"鬼子"としての弁慶や釈迦に注目すれば、"鬼子"がもつ極めて豊かな世界が実感できる。弁慶が捨てられた熊野の山こそ、この世とは違うもう一つの別の世界であり、彼はその説話が生まれた時から現在に至るまで、さらに将来に向けても、多くの人々に夢や希望を与え続けている。釈迦もまた、現在、過去、未来にわたって無数の人々を救い続けているのである。この世とは違うもう一つの別の世界としての"鬼子"の世界が、いかに無尽蔵の価値や冨をこの世の人々に与え続けているかがよく理解できよう。死んだ「鬼子」の行く先は、まさにこの世とは表裏一体の関係にあり、二つで一つの宇宙を構成するのであった。屋久島の"鬼子"殺しの背景には、これ程広大な宇宙論があった事をしっかりと把握しておきたい」と論じている。

 著者は、他の、徳島県、秋田県など各地の事例にも、それぞれの事例に村しての註解を加え、近世以前と考えられている二章で詳述の弁慶などの鬼子伝承にも言及しつつ、一貫した論旨を展開している。

 第二章では明治期から近世初期にかけての日記や叢書類、物語の中の「鬼子」を九項目に、さらに中世の文書から五項目に分けて、事例を挙げて論じ、次に、藤原道長の『台記』や寛和元年の『日本往生極楽記』と『記紀』の資料をもとにそれ以前に辿り、四、五世紀の日本には、歯が生えたままの子供を鬼子として忌避し、誕生しなかった事にする文化の発生していないことを論じている。そして、伊吹童子や酒呑童子、茨木童子、弁慶伝承を読み解き、中世初頭にかけて伝来した『梅陀越国王経』と、これを再編した『熊野の本地』などの王子の説話の流布が「鬼子」童子を形成し、この課程で、現在まで引き継がれる「鬼子」の概念が発生したと説く。中世に誕生した鬼子の概念が殆ど変化せず、様々な要素が寄せ集められて近世さらには現代に継承されて来た事をも意味するものだと主張するのである。

 この「鬼子」の文化史をうけて第三章では初誕生日前に歩く子を鬼子としたり、この儀礼に一升餅を負わせてころばし、泣かせるのを、先の『熊野本地』などの王子から生まれた、鬼子殺しの延長線上にあるとする。これは、現代における鬼子殺しの乏しい事例を補うものであるとともに、神に声を聞かせるという従来の初誕生儀礼の民俗学的解釈の修正を迫る見解といえる。このような論旨、見解に対して評者は、@屋久島の事例から鬼子の殺されたことは考えられるとしても、他の事例すべてにこのことが該当することを思わせるには、若干、無理があると思う。著者は「儀礼的な死」とみる例を多く挙げているが、文脈からは、多くはそこでとどめておくのが適切であろう。柳田国男の『山の人生』にみられる事例のように山中に隔離されて生きる人々を、あるいは山岳修験の擬死再生儀礼と修行、神事芸能(神楽)での「生まれ浄まわる」儀礼、これらと意味は異なるが、地味が豊かでなくてもこれを称える国讃の呪歌や土地讃めの詞章などにみられる「見立て」の論理や伝承などからみるならば「儀礼的な死」という伝承的事実として扱った例が多く存在するように考えられる。それほどに実際に殺すまでに至った報告は乏しい。だが、鬼子の伝承を「もののけ」や「怖れ」説で理解するよりも「儀礼的な死」を含めて「殺された」とする著者の、その構造を明らかにしていく論理とそこからの見解は、当を得たものである。この見解に関わることとしてA先に記したように著者は鬼子伝承の背後に「この世とは表裏一体の関係」による「広大な宇宙論の存在」について記している。これはヒトと鬼子とを善悪の関係で把えるのではなく、光と影の、二つで一つの関係にあるとするもので「両者は一見対立しながらもより深い次元では対立し合うことによつて密接に繋がり合い、一つの宇宙論を形成する」と説く。そして「繋がり合って一つの宇宙論を形成するという本来の宇宙を見失った時、"鬼子"は単なるおぞましいものに成り下がってしまい、排除や殺害の対象にしかならなくなる」という。この指摘は、特に中世以降、実際に行われたとする鬼子殺しが、本来の宇宙観を見失ったことによるものということにもなるのであろうか、その点の脈絡は、評者には分からないが、きわめて示唆に富む見解である。著者は、山と里、自然と文化、鬼子とヒトの子、異常と常をケとハレの対立し合う事によって繋がり合、つ、一つの宇宙論モデルとして図式化して説明し、先のような見解につなげる。そしてケとしての鬼子は文化や公といったハレの秩序や権力に縛りつけられた人々の精神を解放し、真の意味の人間性を回復する救世主であったと論じている著者のこの主張は前著『ハライとケガレの構造』とともに優れた文化論ともいえよう。このような見解や主張に対し評者は著者がエリアーデや、あるいはユングのいう集合無意識の世界とのつながりを想定しているのであろうか、あるいはそのような視点で把えようとしているのか、その方の説明をさらに加えるなら、理解も容易で、内容も深まるものと考える。B多くは文献や伝承の報告をもとにする展開のなかで評者は、生業との関わりからの追究が必要であると考える。民俗事象は、多くの事象、なかでも生業との相互補完のなかから生じるものだからである。この著者のなかの茨木、伊吹、酒呑童子、坂田金時、弁慶は、すべて鍛冶、鋳物、鈩などの鉱生産加工集団の伝承との関連がきわめて濃いといわれ、このことを記した例を挙げて多くの論考がみられるからである。この鍛冶などの工程と神秘性からくる死と再生の伝承は、評者も発表したことがあるが、わが南のみならず、中国、タイなどのアジアを含めて、古来、ほぼ世界的に伝承されている。著者の説明する「鬼子の死」とは、構造からは共通性が認められるものの、生業との関連からの視点にもとづくならその意味において異なる世界が感得される。

 次に"「鬼子」と誕生餅"の著作について記してみる。"「鬼子」論序説"のなかでも紹介した初誕生儀礼に関わる論考であり、伝承をとおしてその構造を明らかにすることにより、この儀礼での意味を明確に示して、日本人の思考の型を考えさせる。これまで発表を重ねてきたハライとケ方レの論につながる、きわめて民俗学的な論著であり、豊富な資料に加えた丹念な検討と考察によるこの書は、骨太な大部の書といえよう。研究史を巻末に記すことにより著者の見解は、一層、鮮明なものとなっている。これは九州、沖縄編であるが、続扁の刊行が期待される。

 三

 構造的に把えるとかその事象や文化の構造を明らかにするいわゆる構造主義による論考は観念が先行したり、難解な著作の多いなかにあってこのふたつの著書は、緻密で論理的だが、こころに通う説得力を有している。それは身近な伝承を、自己のことばをとおして考察し説明する故であろう。両者を併読しその方法と見解に対して多くの人々が論を交わすことが望まれる。それほどに、従来の説とは異なる見解をも導き出しているのであり、それほどに価値ある書と思われてならない。
(しらいし・あきおみ/本学会理事、日本民俗学会評議員、元島根県立国際短大教授)


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