菅原 寿清著『木曽御嶽信仰 宗教人類学的研究』
評者:西海 賢二
掲載誌:日本歴史661(2003.6)


 待望久しかった宗教人頚学者菅原書清氏の最初の論文集が刊行された。

 著者の近年の研究足跡を見ても、二〇〇二年三月十六日に大正大学を会場にし「日本人の死生観のゆくえ−人生儀礼はなお有効か?」という国際宗教所シンポジウムにおいて「伝統仏教と葬祭儀礼」と還して報告されたり、同年九月の日本宗教学会学術大会では「中国白族のシャーマン」という報告をされた。

 さらには一九九七年二月に発足した「アジア民族文化学会」では企画担当の中心的存在としてタイ・台湾・中国などを視野に入れたアジア学の構築に奔走していることを知っていたが、菅原氏の研究原点である「木曽御嶽信仰」がいつまとめられるのか、首を長くして待っていたものである。
 さて本書は「御嶽信仰にみられる宗教現象を全体として明らかにしていくために、次のような視点に注意した。それは、主として行者の執行する呪術宗教的な憑依儀礼から、その儀礼が成り立つ木曽御嶽のコスモロジーを形成している神観念の体系、それらを具体的に表象して祀った山や講社の神殿や霊神場におけるパンテオンの象徴の体系、さらには儀礼を執行する中座と前座と呼ぶ行者と信者の人的組織の体系、そして「御座」と呼ぶ憑依儀礼の体系、これら諸要素によつて構成された御嶽講、さらには御嶽信仰についての宗教人類学的な理解である」(「序章」)として、木曽御嶽信仰の中枢を占める行者と儀礼、さらに地域社会(講集団)との関わりを中心にまとめたものであるとしている。

 以下に主要目次を掲げる。(中略)

 菅原氏の三七歳から五九歳までの約四半世紀にわたる「木曽御嶽信仰」に関わる諸論が一書にまとめられている。

 さて、日本の山岳は古来より、神霊のすまう他界としてあがめられ、山麓で祭祀が行われた。その神霊は農耕生活を守る水分(みくまり)神、あるいは、祖霊を考えられていたことはよく知られている。もっとも山中で生活する猟師たちは山の神を獲物を与えてくれる女神としてあがめることもあった。これらの信仰は現在も民俗宗教として広く行われている。

 こうした山岳信仰は江戸時代になると、富士・木曽の御嶽など、全国各地の霊山に一般庶民が直接講をつくって登拝するようになっていった。明治時代になるとこれらの御嶽登拝者は奈良県に本部を置く御嶽教、富士山登拝者は扶桑教・丸山教・実行教などの教派神道をつくりあげていった。
 本書はさしずめ、近世後期から近代以降の御嶽信仰の担い手であった行者の人的体系と行者たちの「御座」を中心とする憑依儀礼、そしてこれらによって構成された御嶽講をまとめたものである。

 最近、富士山など山岳信仰を観光地域史の立場から、信仰を発信する側(ホスト)と信仰を受容する側(ゲスト)との対応関係で把握しようとする試みが行われている。このホスト・ゲスト論からすれば本書は七章までがホスト論、八章がゲスト論からまとめられたものとなる。

 菅原氏の立場はあくまで「宗教人類学」であると弁明しているが、木曽御嶽信仰を全体的に把握するには、ホスト側からだけでなく、ゲスト側、いうなれば菅原氏のいう行者、儀礼によって培かわれた御嶽講の比重を多くもたせることも必要ではあるまいか。さらに、ホスト・ゲスト論の中で山岳側と地域を繋ぐ過程、具体的には山と御嶽講を結ぶ沿道(例えば中仙道・東海道など)との関係を視野に置きつつ、木曽御嶽信仰をまとめていただければ、より御嶽信仰の深層が浮上してきたのではなかろうか。

 また、近世後期以降の木曽御嶽信仰を教団史の中で位置づける時に、木曽御嶽は日本の山岳信仰のなかでは特例であることを前提にした御嶽の行者、儀礼論であることに留意して記述する必要があるであろう。それは、近世中期以降の覚明行者系と普寛行者系の行者が御嶽山そのものを聖地化するにあたって異なった信仰体系を持続してきたこととも相通ずるものである。

 これは近・現代以降の御嶽教と木曽御嶽本数との併立や、頂上社祭祀の問題など、また登拝口としての黒沢口と王滝口との問題が表面化して、行者や儀礼が展開していったことを、歴史的事実として認知して、近・現代以降の木曽御嶽の行者像を描写する必要に迫られてくるであろう。

 前掲した諸点は歴史学や宗教史からのアプローチかと思うが、切り口は「宗教人類学」であっても、題材としての「木曽御嶽信仰」は同じ土壌にあるべきもので、もう少し中世以降の御嶽信仰の歴史的経緯を展開していただければもっと木曽御嶽信仰が鮮明になったのではあるまいか。

 それにしても、本書は生駒勘七氏によってまとめられた『御嶽の歴史』(木曽御嶽本数、一九六六年)、同『御嶽の信仰と登山の歴史』(第一法規、一九八八年)以降、はじめて木曽御嶽信仰が宗教学をベースにしてまとめられたものであり、今後「木曽御嶽信仰」の基本図書となることは疑いもない。

 菅原氏の研究は、木曽御嶽信仰に限ってもこのほかに多くの論文があり、かつ本書をベースにしたアジアにおける行者論が体系化されれば、日本のシャーマニズム研究が飛躍的に展開されるものと信じている。

(にしがい・けんじ 東京家政学院大学人文学部助教授)


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