多田井 幸視著『住まいと民俗−住意識の変容−』
評者:津山 正幹
掲載誌:日本民俗学233(2003.2)


一 長野県における民家の民俗
 長野県に生まれ、長野県の学校を出て、長野県の小中学校の教職に就いている著者が、「長野県における住まいの民俗」を著した。長野県が著者のフィールドであり、住まいの民俗という視点で長野県を語っているのが本書といえる。

 実は、本書を手に取った最初から、そして読み続けながら、本書のタイトルに「長野県」という県名が入っていなかったことが気にかかっていた。本書のタイトルをなぜ『長野県の住まいの民俗』にしなかったのかと疑問をもちながら読み続けた。

二 居住意識の重要性
 本書で著者は、家人が古い建物に住んでいたときと、新築後の建物に住む場合との比較を試みている。屋根が藁葺きから瓦葺き・トタン葺きへ変わるなどのように、外観は新旧二つの建物で大きな違いを見せる。内部は、古い家屋では、普段使用する勝手場を北側にとり、あまり使わない座敷を南側の日当たりの良い場所にとっていたが、新しい建物では、日当たりの良い方へ居間をもってくるなどの機能的な面での新しい変化がおきる。また、新しい住宅には、真ん中に広い廊下をとる。夫婦や子どもの寝室は二階部分に設けられる。さらに古い建物に比べると玄関が狭くなる。開田村や奈川村を例にして、一昔前の屋敷への出入りは囲いになるものはなく、どこからでも自由に入ることができたのに対し、新しいものは出入口を設けて屋敷まわりを囲んでしまう。こうした閉鎖性は平坦地のムラほど進んでいると指摘する。

 しかし、著者はこうした外観上の違いはあるものの、新旧建物の類似性に着目する。古い建物のときに不便さを感じていた点が、またもや新しい家の中に取り込まれているというのである。具体例として、長野新幹線開通に伴って、七軒が代替地に引っ越して建てた新しい住宅を示す。平成六年に建てられた新居は、以前とほぼ同じ間取りの建物にしたばかりか、植え込みや庭石なども元の家にあったものをもってきて配置し、さらには仏壇・神棚もそのままもってきて、同じ場所にまつった。新しい建物と古い建物との大きな違いは、玄関が南東隅の表側に一つだけあったものを、日当たりや道路との関係から北西隅に移動し、さらに台所に続く内玄関を家族や親しい人の日常の出入口として設けたことぐらいだとする。居住者は二つの建物を比べて「違和感がなく住み心地が良い」といっている。

 こうした新旧二つの建物の類似性は、座敷とオカッテの機能にポイントがあるのではないかと著者はみる。伝統的民家である古い建物においても新しい建物においても、座敷とオカッテの利用度には極端な差がある。これを著者は、住む人々の必要性によって各部屋の使い分けがされている表れとみている。そして、新しい建物において座敷をつくるかどうかは、農村住宅がもつ地域社会との関連や、そこに住む人の意識とも複雑にからみあうとする。座敷は、意識のなかに根強く残る晴れの日のために残しておく空間であるとし、以前以上に、床の間・床柱・違い棚・書院をしつらえた立派な座敷がみられるというのである。このように利用率が少ない座敷を新しい建物に残すということが、古い建物と比較する上での象徴的な類似性になっている。

 これは利用度とは逆の動きであり、これこそが、住居に対する潜在的な意識の表出された貴重な資料であって、過去の農村住宅に客間を取り入れる人々の意識を知る糸口でもあると説いている。著者はさらに続けて、古い建物における客間の存在と成立そのものも、居住意識を知ることによって解明できるとするのである。つまり、居住意識というものを方法にし、民家における座敷を含めた客間の追究ができるというのである。

 本書の最大のテーマは、ここにあると思われる。本書の副題は「住意識の変容」とついているが、著者は単に変容を示したかったのではなく、居住意識が、民家の成立過程に与えた影響を示したかったのであろうことが感じとられる。

 こうした観点は、ところどころに示されている著者の文章からも理解することができる。たとえば、民家を扱う周辺学問を論評するところでは、民俗学では民家を単なる建物ではなく、内の生活を追究しようとするものであるなら、住まう人の考え方や意識、生活行動といった住居に対する人々の価値観にまで立ち入った見方をしていかないと解決できない問題が多いとする。さらに続けて、従来の民俗学における住居の取り扱いの多くは、記録保存の必要性にせまられた報告書や生活史的な市町村誌などのように、羅列的な資料提供の域から抜け出せない現状であることは問題だとした。また、建築学がめざしているものが年代的・歴史的住居構造の追究で、地理学がめざしているものが自然的・社会的・経済的機能面の追究であるとしても、そこに生活し、住生活を支えてきた人々の意識面を欠いたものであったなら、諸要素を含む複雑な住居の総合的追究にはなかなか成り得ないと断言する。

 また、別のところでも居住意識の重要性を説く。住居というものが諸条件に規定されて成立、発展していくというのは固定的な見方であって、住む人はどういった意識で住生活を伝承してきたかという流動的な見方を、たえずもって問題を追究していく必要があるとする。そして、家と人と社会の三要素がからみ合い、その中核に人間が存在し、家と人が互いに融合された住居論を民俗学の立場から追究すべきだとしている。

 著者は、座敷や客間のみならず、民家全般の研究をするには、居住意識というものをおろそかにするわけにはいかないとしているばかりではなく、居住意識というものが民家研究の追究方法になるといっているように思われる。かつてこうした方法論を唱えた民家研究者はいない。居住意識を方法論にまで高めた本書は、民家研究の上からいってもきわめて意義ある功績といえよう。

三 養蚕という視点
 梓村を例に引いて、養蚕農家にみる居室の集中と分化に関する興味ある内容が展開されている。養蚕は、飼育段階によって各間の畳を段々と上げながら養蚕空間を拡張していくが、日常生活における住居空間の機能が養蚕飼育時になると変質することが示されている。オカッテは、養蚕飼育には使用しない空間であったために近所の客を接待する場になり、また家族の寝室にもなった。つまり、日常生活の各部屋の機能が、養蚕飼育時期になると、オカッテに集まるという内容である。具体的には、シモザシキ・オマエ・ナカノマの機能が、オカッテに集合していった。ただし、上客の接待や神的空間としての機能をもつカミザシキだけは、オカッテに機能がもち込まれなかったとする。

 このようにオカッテは、養蚕時期における機能の集中と、日常期における機能の分化の二つの生活の繰り返しによって、絶えず集中と分化を繰り返してきた。こうした繰り返しの変遷によって、オカッテは、調理や食事、くつろぎの場としての機能が定着していくというのである。

 日本の民家において居室の集中と分化というテーマは、かねてより取り上げられてきた。たとえば、川島宙次は、ヘヤ(寝室)から各居室が分化していったという論を唱えた。民家研究の上では、集中と分化は、大きなテーマであることは間違いない。そうしたことからも、著者が本書で示したような養蚕という視点から、民家における居室の機能の集中と分化を取り上げたのは、今までの研究にはみられなかった新視点といえる。今までの民家における養蚕のとらえ方は、養蚕が民家建築に与えた影響そのものに力点がおかれていたのであり、著者が示したような養蚕が居室の機能に与えた影響にふれるものは少なかった。この点においても、意義のある内容になっている。

四 本棟造りの地域性
 長野県の民家の特徴の一つとして上げられる本棟造りの研究は、太田博太郎や小林昌人らによるものがあるが、彼らに次いで本書の著者の業績のある分野といえる。

 本書に示された本棟造りの内容のなかで,興味深いものをひろってみる。本棟造りは、松本平、諏訪盆地、伊那谷、木曽谷などに分布しているが、谷や平(盆地)ごとに、外観の違いや呼称、間取りが違っていることを示す。これは本棟造りを造り出す側の大工の活動範囲とも密接につながっているとともに、本棟造りに寄せる住民の意識の違いがあることを指摘する。

 一般に本棟造りは、スズメ踊りなどの棟飾りをつけて、財を成した者が競って建てるような富と地位の象徴ともいわれる民家であった。外見だけでも本棟造りにしようと、それに似せた現代版本棟造りを建てる家も少なくはない。これは本棟造りがハフヤと呼ばれる伊那谷や松本平では、かつての名主層の住宅を中心にしてしか本棟造りが建てられなかったことに起因しており、経済的・歴史的背景から階層的な差を生み出した地域であった。

 一方、本棟造りをムネツクリとよぶ木曽谷では、どこの家も棟飾りのない本棟造りの形式を建てるのが普通である。木曽谷では富の象徴としての意識が薄いことを指摘する。

 著者は、地域性を浮き彫りにするためには、意識面にまで迫る追究をしてこそ理解できるとする。つまり、同じ長野県においても、本棟造りに対する居住意識をみきわめなければ、本棟造りの成立過程が理解できないといっているのである。こうした考えは、前述した「居住意識の重要性」で示した著者の考え方とまったく同じものである。本棟造りが、広く普及している地域とそうでない地域との二つの地域が長野県内に存在しているのだから、その地域性を理解する方法として居住意識をもち込む必要があることは、十分に説得力をもった方法論といえる。

五 その他の興味ある視点
 本書のなかから、特に興味を抱いた点を取り上げてみると、次のようなものがある。

 著者は、ムラを直接の生活の場の人家に近い場所だけではなく、それを取りまく生産の場である田畑・山林までを含めた生活空間全体と定義する。その上で積雪地の長野県においてムラをとらえるには、雪との関係からムラをとらえることができるとした。それは、個人またはムラ総出で雪かたづけをして行く場所が、日常生活を送るのにたいせつな範囲内に限られていることを指摘し、その範囲がムラ人の意識しているムラだとする。そして、多くの汗を大地に吸い込ませてきた土地こそ、ムラ内の範囲とされると続ける。また、ムラの範囲は、年代でも明らかな違いをみせるほか、農業への従事度の増減とムラの範囲の広狭が相関していることも示している。

 本書では、水のかかわる自然災害も二つ取り上げている。一つは、ムラのなかでも地下水の豊富な場所に起こりやすい、ノケとよばれる地滑りである。山間地の長野県では、オーノケとよばれる大きな地滑りも、生活の隣り合わせの災害といえる。地滑りは、春の雪解けのころから梅雨期にかけての地盤の弱い所で生じた亀裂に、雨水がしみ込んでおきる場合が多い。地滑りは、生活の基盤である土地そのものを削りとってしまったり、大量の土砂に埋めつくされたりしてしまうことから、恐れられてきた。

 もう一つの水に関する自然災害は、洪水である。地滑りの山間地の災害であるのに対し、洪水は平坦地の災害といえる。千曲川や支流河川の洪水による被害は、関東平野のような沖積平野に比べても勝るとも劣らない大きな水害をもたらした。堤防が切れそうになると、藁で編んだネコを何枚か土手に被せ、その上へ畳をのせた。また水は墓を嫌うものだという言い伝えにもとづき、寺の墓石を持ってきて重石として並べた。こうして土手の決壊を防いだ。そして、たび重なる洪水からムラを守るために、各土手に水神や戸隠権現をまつって、洪水除けとしている。河川改修の土木技術を駆使して防水努力を続けるとともに、神仏に頼らざるを得ない側面も併せもっていると説く。

 屋敷の形状が三角形をした三角屋敷のことも取り上げている。昔から三角屋敷に住む家は繁盛しないといわれ、新しい家を建てるときにも三角の形状ではうまく建てられないということから、土地を売ってしまった例を引いている。都合の良さ悪さを知り尽くしてきた過去からの住生活の伝承は、なかなか新しい発想のもとに前進させていく難しさをかかえていると説いている。

 また、著者は、晴れと日常の混在するのが、農家の空間であるとした。ムラ社会と屋敷内を分ける屋敷の出入口のキドを入ると、奥に入るにつれて晴れの部分が薄くなり、逆に日常生活の空間が濃くなると説く。そして建物の出入口であるトマグチは、家の内と外とを分ける境界で、トマグチの敷居は晴れと日常が混在した部分だとしている。

 さて、本書の内容は、著者が今までに発表した論文を組み立ててまとめたものである。あまりにそれを重視しすぎたのか、文体の違う一つの節をそのまま組み込んでいることに対して違和感をもってしまうことと、一つの節が元々は完結していた論文であったため、本書全体としての盛り上がりに欠けてしまっていることが感じられる。本書の内容は、今までに述べてきたように革新的なものなのだから、本書全体の構成と文章を編成し直したなら、クライマックスをつくることができたようにも思われた。

六 新たな試み
 冒頭で示したようになぜ「長野県」という県名を本のタイトルに入れなかったかと疑問をもって読み続けていた。当初は長野県を示さない方が、広く読者を得ることができるのかというような営業面でのものかとも思ったが、完読してみるとそれはまったく違っていたように思われた。著者は長野県をよりどころとし、長野県から発信しているものの、「日本の民家研究」の方法論を説いているのである。言葉を変えていえば、今までの日本における民家研究の方法論として欠落していた居住意識という視点を打ち立てたのである。著者が本のタイトルに「長野県」という県名ではなく「住意識」という用語を入れた理由は、ここにあるとみるべきであろう。本書が説いているのは、単に長野県のことではなく、日本の民家研究に対する大きな試みなのだから。


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