成清弘和著『日本古代の王位継承と親族』
評者・永瀬康博 掲載紙 御影史学論集 24 (99.10)

およそ二十年前に御影史学研究会の顧問横田健一先生から、神話というのは古代に限ったことではなく、中世以降にもあると伺ったことがある。各々の集団には始祖伝承があり、その源泉として記紀が援用されており、何故記紀が用いられてきたかが、その問題点を解く鍵と注目されてきた。
一方著者は「自序」で伝承資料としての旧辞的部分は扱いにくいと述べて、帝記部分を中心にして内的(史料)批判の手法で王統譜を綿密に構築し、その理由を明らかにしてきた。このことからも記紀が研究する者の目的に応じて語りかけてくる尽きせぬ研究対象であることが明示される。
さて、著者の研究が天皇系譜(王統譜)へと深化していったことは、著者の学問成果を順にたどっていくと一層鮮明になる。一九七○年後半から八○年前半が記紀の内的批判の時代であった。第一編のながれである。ここから導き出されたことは、記紀の編者達が万世一系へと改編する意図を見抜き批判することであった。その根底にあったのが、継体・欽明から始まる直系(嫡系)継承であった。そしてこれが完成するのが、唐の律令導入による「不改常典」とよばれる皇位継承のため亡の法であった。ところが、法としては成立したが、現実の王位継承システムは直(嫡)系の父系親族集団ではなく、従来から行われていた双系(双方)的親族集団つまり父系と母系の両方からの王位継承であると結論づけている。これが第一編第五章「日本古代王位継承法試論」であり、著者のこれまでの研究成果の到達点と思われる。
第二編は第一編で導き出した記紀から生じた問題点を律令の中から解答を見いだした論文で構成されている。著者の一九八○年代後半以降の仕事が中心である。方法論は一貫した内的批判であるが、史料上の性常から生じるのか、第一編が政治史的であるのに対して、第二編は社会史的であることに読者は注意を払う必要がある。
第二編の主な内容は、唐の制度である父系の直(摘)系を律令国家が積極的に受け入れながら、従来からある双系(双方)継承の中に取り込みをはかったことを証明している。
著者にとって重要な意味をもつ双系(双方)は「自序」でも述べているように文化・社会人類学の影響であった。第二編の大きな柱である。日本古代の親族集団は中国父系親族集団とは異なり、直系では祖孫・傍系ではイトコまでを範囲とした集団であり、父系と母系双方への広がりをもっているという。これらの論証の中から祖にたいする著者の考え方は、五世を一つの区切りとしているという。また生まれた子供が律令以後父系帰属主義に標榜されたが、その前は父系あるいは母系のどちらかに帰属する、つまり双方であったと述べる。しかしながら古代天皇制のもつ生母尊崇の念・母方の重要性が明瞭に窺えるとも著者は述べている。
本書は古代天皇系譜という限られた範囲ではあるが、日本の家族制度を考える上で、有益な問題提起をしている。現在我々の生活の中にある家族制度の根幹部分が中国の家族制度に依拠していることに注意を払っておく必要がある、これが著者のメッセージであろう。
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